2016/11/20 | 投稿者: 礒邉自適

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    石部の館
                                  28・11・20

今朝のメッセージの映像には、光に満たされた顔をした、30歳代の男性の上半身が現れて、食の世界の研究会を主催している様子が映し出されて来た。

そして、其の男性が取り組んでいる最大のテーマが、「塩・ナトリウム」である事が強調されて来て、其の解明が進まないので、其の男性は、向こう側の部屋から、隠し鏡(マジックミラー)の様な物が嵌められている私が居る方に向かって、壁に両手を着き額が鏡に当たる様な近距離にて、私に「協力してくれ」と言う様な表情・仕草を繰り返して居た。

其の事を考えて居ると、「いそべのやかた」との言葉が一言告げられて来たので、私は「礒部の館」「石部の屋方」「石工の館」等の言葉を考えて居た。

そして、時刻が気に成ったので照明を点けて時計を見ると、「5時30分」だったので、私は其の数字を「530・ごみぜろ・塵ゼロ」と記憶した。

其れから、再び電気を消して「食べ物」の世界と「塩・ナトリウム」の事に付いて考え始めると、日本の「塩梅・あんばい」との言葉や、「土肥無庵」の訓えに付いて思いが動き始めた。

そして、「ミネラル」の世界や「カルシウム」等の世界に付いて想いが至ると、英語の「ソール・soul」と「ルーツ・ツール」との言葉が、中国の「魂魄・コンパク」の世界と通じているのではないかと考え、やはり人類の言葉・概念の元が、マレー語の世界に有り、其れが南方からと、西洋から、日本に合流して来ているのではないかと考え始めた。

其の様に考え始めると、私が此の世界に入った時に、自動書記で「海渡族の謎を追え」と書かされた事を思い出し、「国津神・地祇・くにつ(の)かみ」と「天津神・あまつ(の)かみ・渡来系」の合流に付いて、明確にしなければ成らないと意った。

其処で起きて時計を見ると「7時3分」だったので、私は其の数字を「73・なみ」と記憶した。

今朝のメッセージのポイントを確定する為に、夫々の言葉で検索すると、次の様な事に成る。

2003/10/5・・今日は、ウトウト昼寝をしていると、平仮名で「いそべ」と映って来た。
私が、何故、礒邉の姓の家に生れなければならなかったのか、其の理由は良く分からないが、血筋的に何等かの意味が有るのだろうか。
「いそべ」の姓は、「磯部・礒辺」と有り、「石部」と書くのも元は同じ一族であろうと想われる。
地域的には、私の「いそべ」は、鹿児島湾の鹿児島市内(旧谷山市)の磯辺部落であり、三重県の伊勢湾の入口にも磯部町があるので、どちらかと言うと海で生活していた部族なのかも知れない。
北上すると、群馬県の安中市に「舌切り雀」の物語が伝わっている「磯部温泉」がある。
神社では、兵庫県の滝野インターから北に上った辺りに、私の姓と同じ漢字の「礒邉神社」が存在するが、其の「礒邉」の名前の云われはハッキリしない。
滋賀県の竜王町には、「石部神社」が有るが、此方も、未だ由緒は調べていないので、何とも言えない。
私が19年前、神の世界に入った時に、無意識で書いた物に「海渡族の謎を追え」との言葉が有った。・・・
「いそべ」http://wave.ap.teacup.com/20060106/60.html

2003/4/30・・氏族、血縁で一番分かり易いのが、日本の天皇家や、イギリス王室等の例であるが、旧約聖書のアブラハムの子孫の様な伝えられ方をしている血筋も在る。
天皇家や、西洋の王族は、政治的な要素を含んでおり、アブラハムの子孫は宗教的な要素を含んでいる。
釈迦や、イエスや、老子の子孫は継続されてはいないが、孔子の子孫は現在まで続いている。
日本では、天武天皇が日本書紀の編纂を命令し、次の持統天皇の時に、儀式を一本化させる迄は、18の氏族が其々異なる生活習慣を持っていたとされるので、18通りの血筋と、其れに伴う処の、価値観があったと思われる。
今日、私に出て来たのは「明晰は 氏で ながれる」なので、戦いに強い氏族や、権力に強い血筋の事ではなく、道理に明るい血筋の流れの、一族との事だろう。
私自身の血筋を謂えば、父親は鹿児島市上福元町(旧谷山市)出身で、住んで居た所の地名も「磯部」と呼んでいたらしい。
磯部は、錦江湾(鹿児島湾)に面した部落で、伊勢湾にも磯部町が在るので、湾に面した土地に住み、海を生活の場として居たのかも知れない。・・・
「 明晰は氏で流れる」 http://star.ap.teacup.com/8940/79.html

2008/10/11「アトランティスの最後の記憶」http://star.ap.teacup.com/2007313/568.html
2009/6/17「祇神(くにつかみ)の言葉」 http://green.ap.teacup.com/20081229/19.html
2008/5/4「霊威の系統」http://green.ap.teacup.com/20060818/738.html
2009/2/23「磯部の血・霊」http://star.ap.teacup.com/8940/78.html

・ソウル(soul)《「ソール」とも》
1 霊魂。魂。心。
2 「ソウルミュージック」の略。
・ルーツ【roots】 の意味
1 物事の根元・起源。
2 祖先。始祖。「―をたどる」
・ツール【tool】
1道具。工具。工作機械。
2 コンピューターを効率良く利用したり、アプリケーションソフトの開発を支援したりするソフトウエアのこと。
           デジタル大辞泉

2006/8/27・・昨日ようやく、22年前に神に告げられた二つの仕組みが、表に現せた様な気に成って居たら、今朝の映像では、自分意識も「魂魄・コンパク」の二つの世界に分離されて、現れて来た。
魂魄とは、「魂・コン」が霊魂の魂で「魂(たましい)・精神」を意味し、「魄・パク」は肉体のたましいだから、肉体の「DNA・遺伝子」の情報を意味している。
だから、先祖の霊や、釈迦牟尼佛の弟子である仏教伝承者達の流れは、霊魂の繋がりだから「魂・コン」の世界であり、親から子に伝わる血筋の流れや、其れに伴うDNAの情報の流れは「魄・パク」の世界と言う事に成る。・・・
「魂魄・こんぱく」http://star.ap.teacup.com/170606/1022.html

2010/8/31・・旧約聖書では、アブラハムの血統が神の系統とされている。
しかし、イエスは、処女のマリアから生まれている事に成っているので、アブラハムの血を引いている譯・わけではない。
そして、イエスは結婚をしていないので、イエスの子孫も居ないのである。
其れに、アダムとイブの子供である「カイン」は、弟の「アベル」を殺して、神の国から出ているので、妻を持っていない事に成る。
 其れを考えると、聖書では、神の子孫は居ない理・ことに成る。
其れは、「魂・コン」だけではなく、「魄・パク」も途絶えている理・ことに成るので、聖書からすると、我々人類は何所から生じたのか、まるで判らない理・ことに成る。
だから、聖書に拠って、物事を考えるのは、もう止めにしなければ成らないだろう。・・・
「魂魄・コンパク 2」http://green.ap.teacup.com/20060818/1653.html

2011/4/2・・「塩」はナトリウムで、ナトリウムは陽性物質である。
「野菜」はカリウムが多く、カリウムは陰性物質であり、塩分濃度を調節する働きが有る。
其の関係性の為に、野菜類を茹でる時には、塩を入れるのである。
日本語には、「塩梅・あんばい」と言う言葉が有って、塩梅とは、梅を漬ける時の塩加減の事から生まれた言葉である。
青い梅はシュウ酸が強く、人間が青い梅を食べると、死ぬ事が有ると言われている。
其のカリウム・アクが強い青梅を、塩・ナトリウムに漬けると中和されて、人間が食べられる食品に変わるのである。
 私の師である無庵師匠は、「梅干しは世界一の薬であり 下痢にも便秘にも効果が有る」と謂っていた。其れは、梅干しは、病状に因ってナトリウムが反応したり、カリウムが反応したりするからであるとの理・ことである。
 今朝の私のメッセージの映像には、塩に関して、自分の身体が維持出来ている理・ことや、生命が海から誕生した理・ことや、食べ物の塩分のことや、血圧のことなど、様々な塩に関する事が示されて来て、塩・ナトリウムに関する事を研究している、70歳くらいの男性研究者の姿が、映し出されて来た。
 私の意識は、其の後、神社や繁華街の入り口に、手塩が盛られる事や、葬式に参加した後に、塩が清めとして、使用される事の理由を考えていた。
其の理由として考えられる事は、昔 塩が自由に手に入らない時に、植物性の食べ物ばかりを食べていると、人間の身体に「カリウム・あく・陰性」が溜まり過ぎて、吹き出物が出たり病気に成ったりするので、其れを悪霊の仕業と考えて、「塩・ナトリウム・陽性」を撒く事を考え付いたのかも知れない。・・・
「上りと下り」http://green.ap.teacup.com/20060818/1885.html
 2016/8/22「特別傳授」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3963.html

今朝の文章の題は「石部の館」とした。
其れは、「石工・メーソンの秘儀」に覚醒した私にしか出来ない事が、「石・岩・いそ」と「チャンネル・同調」する、「魂・ソール」と「魄・ルーツ」の解明と伝授に有り、其れが正しい「すめらのみこと・統の命・大君・帝・みかど」を育成する天津日嗣の「ツール(tool)・道具」であると考えるからである。

2009/2/8・・私には、25年前に、全島が花崗岩である屋久島の岩山と、何万ボルトの高圧電線に関係して、他人に説明できない様な事が起きた。
だから、其の体験から、「石工の秘儀」の内容が能く理解出来るのである。
「石工の秘儀」には「岩の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナモ・dynamoを 正しく応用する事であると知るとき 彼は 結社の神秘を学びとり ルシフェルの力は 彼のモノと成る。」と有る。・・・
「天つ宮事もちて」http://green.ap.teacup.com/20060818/1039.html
2015/6/24「自由な石工」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3508.html

其れは、釈迦牟尼佛の謂う「本当に頼れる物は 此の自分の躰だけである」との理をしっかりと自覚して、精進に努める事の他に「自分(みずからの分け・存在理由)」を解明する手段は無いと言う事である。

そして、其れに成功した者にしか、石上神宮の初代である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が傳う「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割を、果たせないと言う理・ことである。

何故、其の様に考えるかと言うと、私が島根県太田市に有る「物部神社」に初めて参拝した時に、裏山の御陵で私の足の裏から強烈なエネルギーが流れ込んで来て「此処がお前の墓だ」と告げられた事が有り、メッセージで「子供達に早く岩を溶かしたミネラルを与えろ」と告げられて来たからである。

其れは、岩の成分であるミネラル(稀少成分)が、人体の成長に最も必要であり、其の吸収バランスが悪ければ、正常な魂魄の完成が出来ない理・ことが示されており、宇宙とチャンネルする電磁気力が高まらないと言う理・ことである。

2009/7/19・・其れは、新しい陰陽・タオの結び付きの「真理の箱・truth-boxトゥルース-ボックス」を意味して居るのではないだろうか。
其れは、人間の精神・魂しいの完成に関わる世界である。
そして、水分が多い建物の壁は、人間の肉体の水分濃度を意味しているのであろう。人間の肉体は、60〜70%が水であるので、四捨五入すると、人間は固体ではなく、液体である事に成る。
 そして、體を形作っている物は骨であり、骨が建物の鉄骨である理・ことに成る。だから、「からだ・体」の元字は、「骨+豊」の組み合わせの「體・タイ」で、骨が豊なのが身体である事に成り、肉太の「肉体」は體ではない理・ことに成る。そして、砂や砂利は、ミネラルや栄養分等を意味しているのであろう。
今は真夏の季節で、熱中症の多い時期である。
熱中症を防ぐには、水分補給を小まめにしなければならない。
しかし、水ばかり飲んで居ると、塩分不足に成るので、塩分補給が欠かせないのである。其の塩分は「ミネラル・希少鉱物」である。
人間の身体は、カルシウムのバランスだけでも、血液中のカルシウム濃度の1万倍が「細胞」に有り、其のまた1万倍が「骨格」に有るとの理・ことである。其の「カルシウム(ミネラル)」のバランスが崩れると、あらゆる病気の引き金と成るらしい。
人間の身体には、最低でも46種類の栄養素が、必要であると謂われている。其れは、108種類ある元素の約半分程にも成る。・・・
「身体の水分濃度」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1211.html

2001/6/21「大田に下車しろ」 http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
2013/10/23「物としての自分」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2848.html
2014/9/30「遺伝子・DNAのちから」http://green.ap.teacup.com/20060818/3214.html
2015/4/14「祭り事のレベルアップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3427.html
2012/2/10「體と意識」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2212.html
2016/2/22「最古龍」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3765.html
2008/1/23「常世バンク」 http://green.ap.teacup.com/20071223/35.html
2010/1/12「神の姿が現れた」http://green.ap.teacup.com/20060818/1403.html
2016/9/26「石部の神」 http://green.ap.teacup.com/20060818/4000.html
  
2014/12/15・・本日12月15日は、大正3年12月15日に、鹿児島市谷山町磯部で誕生した、私の父親「礒邉勲」の生誕100年の日である。
其の事に関係が有るのか、今朝のメッセージには「総論・そうろん」との言葉が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、先ず、大きな劇場の舞台に架かる五色の「緞帳・どんちょう」の様な垂れ幕が映し出されて来て、其のクルクル巻かれる幕の芯の所に、一本の大事な巻物が、隠されているのが示されて来た。
 そして、其の巻物は、人間に盗まれる物ではなく、雨に濡れて腐敗する物でもなく、鼠に齧られる事も無い物である理・ことが、示されて来た。
其れから、其の巻物に書かれている内容は、直接調べる必要はなく、誰でもが、自分の執着心を捨て、所有物を全て廃棄すると言うか掃除をして、透明な水の様な状態に成れば、自から理解している世界・ものである事が示されて来た。
そして、「1・2・3・4・5・6・7・8・9」の数字が、自由に前後が入れ替わるのが示されて来てから、「総論・そうろん」との言葉が示されて来た。・・・
「総論」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3297.html

今朝の映像で、私が居る部屋の方に向かって、私に「協力してくれ」と言う様な表情をして居た30歳代の男性は、私が1984年11月20日の夜、伊勢神宮外宮に到着して、守衛に許可を受けて駐車所で車中泊し、11月21日の早朝神宮に参拝して、翌22日の未明に磯部町で姿を現した「伊雑宮・磯部の宮」の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらします すめおおみかみ のみたま」の存在が、代替わりした事を示唆しており、新しい御世創りに付いて、何等かのヒントを与えて来た事に成るのではないだろうか。

其の様に考えると、赤い実が澤山実った千両の枝が玄関を被っていた建物は、磯部町に存在すると言う事に成るのかも知れない。

其れは、1984年11月21日から丸32年と成る明日、明確にされて来るのではないだろうか。
2008/6/3「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
2016/10/16「伊勢神宮 神嘗祭の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4021.html

                             平成28年11月20日

                                    礒邉自適










2016/5/23 | 投稿者: 礒邉自適

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   天津日嗣のスメラのミコト

                                 28・5・23

今朝のメッセージの映像は、私が是まで、知り得た理・こと、学習して来た世界を、どの様にして後世に継続すれば良いかの問題・テーマが、映し出されて来た。

そして、其の事を説明する為に、何と表明・なづけて良いのかも、未確定なのである。

其れは「「惟神・かんながら」の世界や、「すめらみこと」「おおきみ」「ブッダ」の人物名、そして老子の「道徳経」の訓え等を、全て統合した上での「人智」の結論でなければ成らない世界である。

其れは、三次元世界での「王・皇帝」の役割だけではなく、四次元世界・神秘を会得した「佛陀・聖者」の立場も合わせた、総合的な立場から物事を現さなければ成らない世界であり、是まで誰も表現していない世界であるから、簡単には行かない。

そして、其処には、老子の謂う「知る者は博からず、博き者は知らず。聖人は積まず。」の最終節81章が立ちはだかっている。

老子 道徳経八十一章
信言不美、美言不信。
善者不辯、辯者不善。
知者不博、博者不知。
「信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。
「善なる者は弁(べん)ぜず、弁ずる者は善ならず。
「知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。

聖人不積。既以爲人己愈有、既以與人己愈多。
「聖人は積まず。既(ことごと)く以(も)って人の為にして 己(おのれ)愈々(いよいよ)有し、既く以って人に与えて己愈々多し。

天之道利而不害、聖人之道爲而不爭。
「天の道は利して而(しか)して害せず、聖人の道は為(な)して而して争わず。
現代語訳
真実を語ることばは、飾り気がない。
かざった言葉は、真実を語らない。
行いが正しい者の口は、雄弁ではない。
雄弁なものは、行いが正しくない。
真の知者は、もの知りではない。
もの知りは、真の知者ではない。
聖人は、自己の為に徳を積むわけではない。
ひとのためにすべてを捧げつくすが、そのことによってかえって限りなく豊かな境地を得るのだ。
天の道は、万物を利するばかりで、これをそこなうことがない。
これと同じく、聖人の道は、ひとにつくすだけで、自己を主張することがないのである。
    徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平卓訳

2003/10/27・・今朝のメッセージには「神惟」と二文字が現れて来た。
辞典を引いて調べると「惟神」と書いて「かんながら」と読み、「かんながら」は「随神」とも書く事が判った。
日本語で考えるのなら、神様の事を昔「かんさぁー」と読んでいたので、「神」の文字が上に位置しても間違いでは無いだろう。
万葉集では「神ながら神さびすと・・」と書かれている事でも、昔の使い方が分かる。
「かんながら・かむながら」の意は「@神でおありになるまま。A神の御心のままで人為を加えない様。神慮のまま。万葉集「葦原の瑞穂の国は 惟神 言挙せぬ国」と、載っている。 広辞苑
 辞典に載っている「葦原の 瑞穂の国は 惟神 言挙せぬ国」との言葉は、何時の時代に、何処の誰が言い出した言葉かは知らないが、其れが真実を伝えるものであるなら、私は今日から、何も言葉にしてはならない理・ことになって来る・・・
「惟神・かんながら」http://star.ap.teacup.com/170606/102.html

2005/5/9・・私は、「惟神の道」が、こんなに難しいモノとは想わなかった。
惟神の道とは、「見てもいけない。聞いてもいけない。教えてもいけない。」との世界である。そして、一切言挙げせずとある。
私は21年前、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受けて、それに身を徹して行動して来たが、未だ多くの人達に、その世界が理解される処までには、事が進んではいないのである。
其れは、何故なのであろうか。
私が、此処まで来て感じる事は、それこそが惟神の道で、人々には明確には見えなくとも、神霊の計画は着実に進行しているとの事であろう。
全体的に見れば、私の知る範囲では、全て問題なく進んでいる。
其れと反対に、問題ばかりだと思う時は、私自身の自我が働いている時である。
自分の自我を止めて、座禅や瞑想をしていれば、全てが調和して、神霊の意・おもいが、上手く進んでいる事が理解出来る。
その、全てが上手く進んでいる事を自覚出来ることが、仏陀であり、道(タオ)の実践者であると言えるのだろう。・・・
「かんながらのみち」http://moon.ap.teacup.com/20061108/347.html

「すめらのみこと」を検索すると、次の様に載っている。

【天皇・てんのう】
日本の歴代の君主の称号。元来は中国の言葉で,万物を支配する皇帝の意味をもつ。日本以外では,中国で唐の高宗が称したほかに例がない。日本の初代の天皇は,『古事記』や『日本書紀』では神武天皇とされるが,天皇という呼称の成立期は推古天皇時代,天智天皇時代,天武・持統天皇時代の3説がある。
     ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
・すべら‐ぎ【天=皇】
《「すべらき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―の天の下知ろしめすこと」〈古今・仮名序〉
・すめら‐ぎ【天=皇】
《「すめらき」とも》天皇(てんのう)。すめろぎ。
「―の近江の宮に作りおきし時のまにまに御世もたえせず」〈日本紀竟宴和歌〉
・すめろ‐ぎ【天=皇】
《「すめろき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―の食(を)す国なれば命(みこと)持ち立ち別れなば後れたる君はあれども」〈万・四〇〇        
      デジタル大辞泉の解説
てん‐のう〔‐ワウ〕【天皇】《「てんおう」の連声(れんじょう)》
1 日本国憲法で定められた日本国および日本国民統合の象徴。その地位は国民の総意に基づくとされ、一定の国事行為だけを行い、国政に関する権能をもたない。皇位は世襲とされ、男系の男子によって継承される。明治憲法では、国の元首として統治権を総攬(そうらん)する地位にあった。
2 その世界・分野で強大な権力をもつ人のこと。「財界の天皇」
3 皇帝・天子の尊称。
[補説]もと、中国から取り入れた称号で、古く大和朝廷時代の大王(おおきみ)が用い、「すめらみこと」「すべろぎ」などと訓じた。奈良時代から平安時代にかけて政治・祭祀の頂点として絶大な権力を有したが、摂関政治、院政、武家の台頭により次第に政治的な権能を失う。室町時代には廃絶する宮中祭祀も多く、その地位は著しく低下したが、江戸時代末に尊王論が盛んとなり、王政復古、明治憲法における天皇制へとつながった。
天皇【てんのう】
〈天皇〉号は,日本列島上の最初の本格的国家である,律令国家の君主の称号として,7世紀後半,国号の〈日本〉とともに制度的に定着したと推定されている。天皇号以前の呼称には,〈オオキミ(大王)〉と〈スメラミコト〉があった。  
     百科事典マイペディアの解説

其れに、以前の文章を「すめらのみこと」で検索すると次の様な物が有る。

2015/5/11・・今朝の映像から、私が思ったのは、「新しい金網の鳥籠」の様な物と、女の子が自分の大事な人形を、柩の中に入れて居た事から、エジプトの柩に描かれている「籠目・かごめ」と関係があり、其の籠目の眼は「ラーの眼」であり、其のラーの意識が、新しく誕生する事を意味しているのではないだろうか。
そして、新しい都庁の建物の最上階で、執務をとる「政務官」が新しい時代の「ラー・王」であるとの事なのであろう。
其の者は、日本で「すめみま」と呼ばれる「霊留・ひと」の働きであろう。
「すめみま」を、検索すると次の様に載っている。
すめ‐みま【▽皇▽孫/▽皇▽御▽孫】
1 天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫、すなわち瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のこと。「遂に―天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を立てて」〈神代紀・下〉
2 天照大神の子孫である天皇のこと。
「―の命(みこと)の御世(みよ)を手長(たなが)の御世と」〈祝詞・祈年祭〉
国語辞典より
「スメミマの働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/3461.html

2004/11/20・・皇御子とは、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の皇で、「スメ」とは「スメラギ・すめら(王)の命」のスメで、神に仕える「王・君」の事である。
「スメラ」とは、シュメール語の「スメル(統める)」で、「葦の生える地を 治める」の意から来ていると聞く。スメラは「皇王」と文字を当てられる。
古代エジプトでは、太陽に司える王は「ラー」と呼ばれていた。
日本語には「スメミマ」との言葉があって、スメミマとは「皇身体・すめみま」と書いても可だが、天皇の事であり「スメ(澄目)」は、太陽の鏡としての第三の目が開いた者のことで、「ミマ(美身)」は天皇の穢れ亡き肉体のことである。
「スメミマ」とは、インドの言葉では「ブッダ(覚醒した者、成仏した者、覚者、尊者、世尊)」の意味と同じである。
「スメミマ・ブッダ」とは、漢字で書けば「大徳者」であり、日本語では「大己貴・オオナムチ(貴き者)」と呼んでいた様である。
「大己貴」を現代風に呼べば、「大賢者」となるだろうか。
古代では、選挙は無くとも、皆が認める賢者が「政治(まつりごと)」の中心に存在していた事に成る。
まつりごとの中心に在る者は、天(神)の意志を受け取りながら、民を導いていたのだ。・・・
「我らが皇御子」http://star.ap.teacup.com/170606/52.html

2002/2/27「転輪聖王への道」http://moon.ap.teacup.com/20061108/162.html
2001/3/27「嘗」http://moon.ap.teacup.com/20061108/92.html
2008/5/4「霊威の系統」http://green.ap.teacup.com/20060818/738.html
2010/10/15「大君と仏陀の違い」http://green.ap.teacup.com/20060818/1697.html
2014/12/16「000・神の道」http://green.ap.teacup.com/20060818/3298.html
2012/3/17「スメル=スメラ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2248.html
2016/3/23「王の選択法」http://green.ap.teacup.com/20060818/3795.html
2016/2/15「歴史・文化の切り口」http://green.ap.teacup.com/20060818/3757.html
2016/1/30「一カップを任す」http://green.ap.teacup.com/20060818/3742.html
2007/3/10「新しい名前」http://green.ap.teacup.com/20060818/218.html
2010/1/26「天津日嗣」http://green.ap.teacup.com/20060818/1417.html
2006/3/12「迫って来た神の計画」http://star.ap.teacup.com/170606/804.html
2009/10/21「一番高い山」http://green.ap.teacup.com/20071223/675.html

今朝は、老子の言葉「知る者はいわず」を検索すると、其の文章が道徳経の最終章である事が判明した。

私は其の事で、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社」の祠の前で、昭和19年6月10日に、岡本天明に始まった「日月神示・天津日嗣神事」に、「老子だけを中に祀り 他の神は外に祀れ・・」と有る事を、改めて納得できた。

其れは、老子は「釈迦牟尼佛」や「イエスキリスト」とは違い、弟子・信者を一人も採らず、5千字の書き物を残しているだけであり、カルマ・業・罪(積)が何も無いからである。
其の理・ことが、最終章の「聖人は積まず」の言葉に集約されている。

だが、私は此処まで、膨大な文章を記録して来たので、其れは「聖人は積まず」との言葉に反している事に成る。
だが、自分自身の著書を、一冊も出版していないから、回収する必要が無いので其れは救いでもある。

其れに私は、殆ど毎日告げられて来るメッセージや、出来事を、文章に書き残す事で、自分の頭を日々空白にする事が出来、此処まで事を詰める事が出来たのである。

其れは、私に1984年6月4日に起きた、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」と、其の後に亡く成った昭和天皇等の御霊を供養すると言うか、成仏させる事に繋がっているので、現在・いまの私の意識の安楽・落ち着きは、其れ等の霊魂の念や憶いが解消されて、霊界から消去され、天界が晴れた事にも原因が有ると考えられる。

今朝のメッセージの状況からすると、其れ等の私の行為で「天界・宇宙・天神(てんのはたらき)・森羅万象の在り方・事象」と「霊留・ひと」の存在・関係性が、本来の処に還ったのであれば、私の後継は、必要では無いと言う事にも成る。

だが、今朝のメッセージの映像では、私は本来の「政・まつりごと」を継続させる為に、能力の有る男性を捜し回って居た。

其れは、私を捜し出して此の神(はたらき)の世界に入れた、土肥無庵と同じ行動であるとも謂える。
だが、土肥無庵は、私を捜し出して、此の世界に送り込み、自分の役割を果たしているが、今度は、私には其れが出来ない事にも成る。

しかし、別の角度から見れば、土肥無庵と私の関係は、立場は逆に成るが「弘法大師空海」と「恵果和尚」の関係や、「菩提達磨・ボーディダルマ」と「慧可」の関係にも見られるので、此の世界は人智を超えた処に、何等かのシステムが存在する事は顕かである。

其れを考えると、確かに、日本の伝統である「惟神道・かんながらのみち」の存在は、最高レベルの世界であると謂えるだろう。

今朝は、文章の題は「惟神道 三」として書き始めたのだが、途中で「天津日嗣のスメラのミコト」と改めた。
其れは、私を此処まで動かした(はたらかしめて来た或るモノ)の存在が、何をテーマとしているのかを考えたからである。

其れに、「一二三神事・日月神示・天津日嗣神事」を告げられた岡本天明の誕生日が「12月5日」であり、メッセージの開始が6月10日(時の記念日)である事を考えると、私の是までの行動と謂うか、事象の現象化が「サムシンググレート・偉大なる何者か」の意思の下に在ると、考えられるからである。

其れは、日本の神社で唱えられる大祓祝詞の中に有る「神議りに はかりたまいて」の文言が、日本人には、古代から其の存在が認識されていた事の証しと成るであろう。

其れは、イエスキリストの言葉に有る「永遠の魂(いのち)に入る為には・・云々」と関係が有り、「王様」と「大君」の立場の違いが顕かである。
其の世界に触れる為にこそ、日本伝統の「禊ぎ祓い」の儀式や、「注連縄・しめなわ」の存在が傳えられて来ているのである。

其の日本の伝統を考えると、私は自分の後継者を捜す必要は無く、老子の御魂だけを、内側に祭祀して措けば良いのではないだろうか。
其れが、天津日嗣の伝統を、継続する唯一の道・タオなのであろう。

そして、私には「文字」や「IT・PC」が存在するので、「イエスキリスト」や「釈迦牟尼佛」の様な説法の旅も必要では無い。
其処にも、老子の世界との共通点を見出す事が出来るのである。

                            平成28年5月23日

                                  礒邉自適



2016/2/13 | 投稿者: 礒邉自適

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    主食の大事さ

                                 28・2・13

今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、料理が盛られた7〜8皿がテーブルの上に並べられている映像が映し出されて来て、最後に、其の真ん中に玄米か蕎麦の様な食べ物が入った器が置かれる場面が映し出されて来て、「主食が大事である」との意味が告げられて来た。

明け方の映像には、私が他の男性と三人で、海岸の岩場を歩いて行くと、渡った岩場の先が海であり、其れ以上前に進めないので、右横の方に進んで行かなければ成らなくなった。
だが横の方に進むにも、海を泳いで行かなければ成らないのである。

他の二人は、迷わず服を着たまま海に飛び込んで泳いで渡ったが、私は服が濡れるのが嫌なので、岩場から来た方向に一旦引き返した。
だが、途中には既に潮が満ちて来ていて、渡れなく成っているので、私は杖を使って、打ち寄せる波の隙間を狙って飛び越えて、陸地の方に戻った。

其れから、二人が渡った方に歩いて行くと、其の、先に渡った二人が、迎えに来た女性と三人で立って居り、私に「もう一人は どうしたか」と言うのである。
だが、私は自分一人だったので、もう一人が誰であるのかは判らない儘、今朝の映像は終わった。

そして、21年7月14日の日付が示されて来た。

今朝は先ず、其の21年7月14日の日付を検索すると、次の様な内容が書いて有る。

2009/7/14・・今朝のメッセージの映像は、私が是まで、踏み込んだ事の無い世界に、意識が侵入していた。
其れは、二段階に成っており、始めの方は、私の母親と妻の姿らしき人物が現れ、子供を生む女性に関係が有り、「DNA・遺伝子・生命」を継続している、基礎の世界が、映し出されて来たモノの様である。
そして、「ソース」と「セル」の言葉が記憶に残った。
そして、場面が変わって、他に何も物が無い、薄暗い空間の中の見上げる様な高い位置に、強烈に白く輝く太陽の様な球体が一個だけ現れた。
しかし、其れは太陽ではなく、宇宙の中心核である様な感覚を受ける、球体(恒星?)であった。
其の白銀に輝く白い球体は、私が是まで、見た事の無いモノで、私の意識が、究極の世界に辿り着いた感覚があった。
其れは、物言わぬ存在であり、全ての中心であり、其の存在がなければ、此の宇宙も存在しない様に、想われるモノ・正体である。・・
今朝の球体は、其の根元であり、純粋を意味する源だったのかも知れない。
いま、PCで「ソース」と「セル」を検索して見ると、次の様に載っている。
・「ソース・source」 出どころ。 みなもと。
・「セル・cell」   小部屋の意
@細胞。
Aスプレッドシート(表計算ソフト)の枡目の一つ。
B       大辞林より
私には、英語の意味は良く解からないが、今朝のメッセージは、我々の存在が何であるのかの、ヒントを示しているのではないだろうか。
今朝の映像では、我々の肉体が存在する背景に、電子記号の様な物が、無限に在るかの様に感じるぐらい存在する理・ことが示されたのである。
PC画面に、現れて来る文字や記号は、PCのチップの中に記録されている、電子記号の組み合わせに拠ってである。
其の電子記号が、文字や記号として現れて来ているのと同じく、人間の身体の部位も、背景に、DNAが持つ電子記号のシステムが存在する理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故、其の様に謂うかと言うと、今朝の映像には、人間の身体の爪・指・耳・鼻・唇等の部位が、バラバラに分かれて、絵文字情報の様に、縦に並んで流れ下って行ったからである。
其のバラバラの情景を見て、私は、ピカソの思考を理解出来た様な気がしていた。
この様に書いて行くと、今朝の映像に現れた白銀に輝く球体は、「ソース・source出どころ。みなもと。」であり、人間の肉体を創り上げている、其々の部位は、「セル・cell小部屋の意。細胞。」の積み重ねであるとの理・ことではないのだろうか。
そして、「セル・cell」細胞の源・みなもとは、今朝現れた、白銀の球体が放っている「ソース・source」のエネルギーであるとの理・ことなのかも知れない。
昨日のメッセージにも、金色の球体が現れた。
其の、昨日現れた球体は、地球上の生命情報の源であり、今朝現れた球体は、宇宙の情報・ソース・sourceだったのかも知れない。
其の様に考えると、地球の生命体は、其の白銀の球体のソースから、水の集合体である彗星・箒星に乗って、「セル」として遣って来た理・ことを、私の記憶が思い出したのであろうか。
そして、其の縁・波動を通じて、全宇宙から、地球に意識体が遣って来ているのかも知れない。・・
交渉の「渉・ショウ」の漢字は「川(水)+歩」の組み合わせで、水の中を歩く。わたるの意味を表わす。
【字義】 @わたる。ア水を歩いて渡る。ウ経過する。通過する。オおよぶ。達する。カかかわる。あずかる。関係する。キ広く見聞する。調べる。研究する。 と 載っている。             漢語林より
此の「渉・ショウ」の漢字の意味からも、私は「水・川」の世界に、関わっていなければ成らないとの事ではないだろうか。
其れは、水の島である此の屋久島に、最も相応しい事・テーマであると言えるのではないだろうか。其の様に考えると、何故、私が此の屋久島で生まれ育ったのかも、良く納得できる。
先ずは、阿部敏郎氏との話しのテーマは、「水・川」と「彼岸」に付いてと言う事で、良いのではないだろうか。
其の様に一応決めてしまえば、私の頭も10月まで、空にして置く事が出来るであろう。
だが、今朝の映像に現れた「白銀の太陽」は、一生、私の脳裏からは「いのちの源」として、消える事は無いだろう。・・・
「白い太陽」http://green.ap.teacup.com/20060818/1206.html

此の文章の内容と、今朝のメッセージの関係性を考えると、今朝の「穀物の食べ物」「主食の大事さ」と、上記の文章の中の「ソース」と「セル」との言葉と関係が有り、穀物の「ソース」と「セル」が人間にとって一番大事な物であり、其れが食事・食卓の、基本と成っていなければ成らないとの事なのであろう。

今朝の愉伽さんのビジョンは、嘉穂という地名の場所に「行って帰る」を一カ月ほどの期間、毎日繰返していたという事である。

「嘉・カ・ケ」【解字】神へのそなえ物に香をくゆらせ(または、音楽を奏し)清く美しくするの意味を表す。また、賀に通じ、贈り物をして祝い、よろこぶの意味をも表す。」
【字義】「@よい。けっこうである。㋐りっぱ。すぐれている。美しい。㋑めでたい。㋒うまい。おいしい。Aよみする。よいとしてほめる。好む。Bよろこぶ。たのしむ。C幸い。D五礼の一つ。(冠婚など。)」

「穂・スイ・ほ」【解字】形声。もと采に作る。手でつみとるほの意味。穂はその俗字。禾+恵(惠)。音符の恵は、めぐみの意味。穀物のめぐみ、ほの意味を表す。」
【字義】「ほ。㋐穀物の茎の実のつく部分。穂先。㋑ほのような形をしたもの。ともしびなどをいう。「一穂の寒灯」

「采・サイ」【解字】会意。「木+爫」木は、甲骨文では、果につくるものもあり、木の実の意味。爫は、手の象形。果実を採取するの意味から、一般にとるの意味を表す。采を音符に含む形声文字に彩・採・綵・菜などがある。
【字義】「@とる。手にとる。えらびとる。A知行所。領地。Bいろどり(彩)。もよう。あや。Cすがた。かたち。Dつかさ。官職。Eみつぎ。みつぎもの。」
漢語林より
「神も喜ぶ穀物」http://taijinkouka.blog.bbiq.jp/blog/2016/02/post-2883.html

此の愉伽さんの「嘉・穂」の「よろこびの禾(穀物)」の意味からも、人間は穀物を主食としなければ、本来の精神状態を堅持する事が出来ないと言う理・ことであり、アメリカ人の様な肉が主食である人間は、本来の「道(タオ)老子」「法(ダルマ)釈迦」からは外れており、イエスキリストが謂う「永遠の命」には入れないと言う事ではないだろうか。

其れは、人類が6000万年前からイネ科の植物に拠って、進化して来た事と関係があり、其の次元の生命情報を感知しなければ、本道に復帰出来ないと言う事であり、其の本道に帰る事が悟り・覚醒の意味なのであろう。

2007/7/2・・イネ科の植物が生え始めたのは、約6000万年前で、其の時期に恐竜が滅び、哺乳類が大きく登場して来ている。
我々は、其のイネ科の植物が繁殖し始めて来た事で、遺伝子を拡散する事が出来たのである。
しかし、其の記憶の中には、蜥蜴や鳥など、恐竜の子孫と同じ世界を、抱え込んでいるのである。
人間の思考は、全て、無い物ねだりで出来ている。
現在・いまを生きる為に、昔し失った記憶を、意識の対象として、探りながら現在を生きているのである。
其れが、人間の記憶の仕組みなのだ。
忘れた事を、思い出そうとするのが宗教の世界であり、雄が雌を求め、雌が雄を求める行動の基本と、成っているのである。
「全てが電気」http://green.ap.teacup.com/20060818/345.html
2015/2/20「つなぎめ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3367.html

今朝の明け方の映像に登場した二人の男性は、最初に海に飛び込んだ男性は、45歳位の体格が良い體の丈夫な男性で、もう一人は40歳位の勉強ができる普通の感じの男性であった。
そして、迎えに来て居た女性は、40代位の品の良い女性だったので、女神か龍宮乙姫の様な役割の女性の存在を、示唆していたのかも知れない。

しかし、私に「もう一人は どうしたか」と云ったので、男性が四人揃わなければ成らない事に成り、もう一人の存在を考えなければ成らない様である。

其れは、「女神・姫」一体に対して、男性の存在が四体揃わなければ成らないと言う事であり、「四天王」か「四方神」が揃わなければ、「エホバ、ヤハウェ」「大日如来、マハーヴァイローチャナ」の働きが始まらない・地上に降ろせないと言う理・ことなのかも知れない。

してんのう【四天王】〔「してんわう」の連声〕
〘仏〙 仏教を守護する四神。帝釈天(たいしやくてん)に仕え,須弥山(しゆみせん)の中腹にある四王天の主。東方の持国天・南方の増長(ぞうじよう)天・西方の広目天・北方の多聞(たもん)天をいう。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配され,甲冑(かつちゆう)をつけ武器を持ち邪鬼を踏む形。護世四天王。
大辞林 第三版
ししん【四神 Sì shén】
中国の古代に発祥する四つの方位を表す象徴的動物。東を青竜(蒼竜とも),南を朱雀(しゆじやく)(〈すざく〉ともいう),西を白虎,北を玄武で表す。戦国時代前期の,曾侯乙墓出土の漆器の蓋に,北斗や二十八宿とともに竜と虎とが描かれて,四神の観念の基礎となるものが天空上の星座と結びついて,すでに生まれていたことを示す。この竜虎の組合せに朱雀と玄武とが加わったのは,四霊(麟,鳳,亀,竜)の観念と結合したからであろうか。
世界大百科事典 第2版の解説

2006/1/9・・東西南北を司る神は、北方は「玄武・げんぶ」、東方は「青龍・せいりゅう」、南方は「朱雀・すざく」、西方は「白虎・びゃっこ」と成っている。
其れは、私も以前は、架空の想像神だと想っていた。
其れが、1987年1月に奈良市の「大倭あじさい邑」の会館で其の「玄武」が現われ、霊界に実在する事が解った。
そして昨日、「白虎」が、私の魂しいに備わった事も確かめられた。
「青龍」や「朱雀」は現われ易いが、玄武は、王の使命を持った人間にしか現われないし、まして白虎は、総ての経済や道路を管理する物であるので、普通の役目の人には、感じ取れる存在ではない。
宇宙には、澤山の働きの神が存在するが、人間の暮らしに直結する神は、此の四神である。
人間は、此の四神の神に護られて存在しているのである。其の神の僕として、澤山の神霊や聖霊が、存在しているのである。
人間は、其れ等、一切の働きの現象として、存在しているのだ。
其れ等の、目には見えない働きがなければ、人間は存在出来ないし、また神々も、人間が居なければ、存在を維持する事が出来ないのである。
だから人間の意識の中にも、其の四神の働きは、内蔵されているのだ。・・・
「四神の働き」http://star.ap.teacup.com/170606/718.html

2015/8/30「四体の視覚」http://green.ap.teacup.com/20060818/3580.html
2013/4/29「四つの働き」http://green.ap.teacup.com/20060818/2670.html
2013/5/24「禰宜職」http://green.ap.teacup.com/20060818/2695.html

「采・サイ」の漢字の意味「木は、甲骨文では、果につくるものもあり、木の実の意味。爫は、手の象形。果実を採取するの意味から、一般にとるの意味を表す。」を考えると、昨日のメッセージの映像に、熟したポンカンの実が枝に着いていた場面が映し出されて来た事と関係が有り、私達は食卓に並べられている食べ物の中から、どの品を手に采るかに因って、魂しいの品格や、人生の在り方が決定するとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。

其れを考えると、雨が少なくて穀物や野菜が育たない、寒い草原に生まれて、動物の肉や乳だけが主食である民族は、佛陀に成る事は無理であり、我々日本人は此の自然豊かな日本国に生まれた事を感謝しなければ成らないと言う事であり、出来るだけ早く、肉食文化の価値観から、脱却しなければ成らないと言う理・ことであろう。

其れに、主食が大事であるとの理・ことは、愉伽さんのビジョンに毎日が嘉穂であると示されて来た様に、主食に穀物が有って、毎日決まった時間に、決まった穀物を食べて居れば、精神状態が安定して、意識がぶれる事が無いので、物事の判断が正しく出来ると言う理・ことなのであろう。

其れが、釈迦牟尼佛の謂う「精進・しょうじん」の世界であり、マクロビオティックの創始者である桜澤如一の謂う「正食」の世界であるのだろう。

そして、其れが正しく行われている世界が、日本の伝統である「食国の政・おすくにのまつりごと」であり、「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が名付けた「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の働きなのであろう。

昨日のメッセージで、ポンカンの「ポン」が、インドの「プーナ」の事であると言うのに、少し驚いたが、今朝の21年7月14日の文章が、指摘された事にも少し驚く事に成った。

其れ等の現象・できごとを考えると、イエスキリストが謂う「神は 貴方達の髪の毛の数まで 知っている」との言葉が、身に染みて来る様な気がする。

其れは、人間の毎日の言動を、天神(てんのはたらき)が記録していると言う事でもあるのだ。

                            平成28年2月13日

                                  礒邉自適




2014/9/19 | 投稿者: 礒邉自適

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     大君の立場

                              26・9・17

今朝のメッセージの映像は、簡単な上にテーマがはっきりしないので、取り敢えず「大君の立場」とした、其れは「君」の漢字が「右手に杖を持った聖者の言葉」を意味しており、「讜逓聖・とうていせい」との言葉を、私が告げられて来ているからである。

今朝のメッセージの映像は、先ず、私の家に、年配の人達が幾組か訪ねて来て、私は其の人達が来る度に、食事を出していた。
そして、最後の客人には、乾燥している鰯の様な魚まで出してしまったので、私の家に残った食べ物は、乾燥野菜の束が、幾束か残っただけに成ってしまった。

次の映像は、私が若者達を、自分の道場か、村の様な所に住まわしていると、其処に有る食べ物は全て食べ尽くして、品物を全て持ち出し、最後には、作業用の重機のハンドルまで外して、持ち去ってしまっているのである。

今朝のメッセージの映像は、其れだけなので、私は、飢えの時代が来るのだろうかと意って居ると、由香が「其れは 自適さんが 他人の事にかまい過ぎる癖を 表しているのではないですか」と謂うので、私は「嗚呼 そうなのか」と思った。

と言うのは、私の父親も、明日米を買わなければ成らない、最後のお金まで、他人に貸したりしていたからである。
其の、父親の生き方を見て育った私は、父親以上に、他人の為に家庭を犠牲にしてしまうので、身内に多大な負担を掛けてしまっている。

だが此処まで、事象と言うか、天神のプログラムが、最終章の処まで迫って来たので、私に、其れ等の事は、中止しろとの理・ことを、示して来ているのかも知れない。

其れは、私の67年間の癖であるので、自分自身では当たり前の事と意っているので、他人の目線で視て、指摘されなければ、気付かない事なのかも知れない。
其の様に考えると、やはり一人で生きて行くよりも、パートナーが付いて居た方が、物事は上手く運ぶと言うか、正しい方向に進むのとの事ではないだろうか。

一昨日は、平原古墳の近くの水田に、紅白の彼岸花・曼珠沙華に咲いていたので、写真を撮った。
其れを、昨日の午前中に整理して居ると、ピントが甘い物や、手振れの物が多いので、もう一度撮影に行く事にして、由香が帰って来てから準備をして、14時半から糸島に向かって出発した。

そして、15時50分に現場に到着すると、遅れていた赤色の彼岸花の方は、咲いている花の数は増えているが、昨日満開であった白色の彼岸花の方は、半分は黒く廃っているのである。
其れで、昨日が最適な状態であった事が判明し、明日であれば全く駄目である事が理解できた。
「彼岸花の撮影に出掛ける」http://wave.ap.teacup.com/894019/2795.html

其の事と、昨日平原古墳での吉村氏・本村氏との出会いのタイミングや、14日に電話を掛けて来て、平原古墳の存在を知らせてくれた、「悦子さん」のタイミングを考えると、我々の背後に存在する神の配慮を、考えずには居られない。

其れは、人間の行動だけではなく、人間の意識の及ばない植物の世界である、品種の違う紅白の草花の花が両方開花する、たった一日のタイミングまでが、其処に同調しているからである。

其れは、人間だけで計画して、行動を起しても、絶対に不可能な事である。
何故なら、初めて出会う人々は、相手の存在を全く知らないのだから、連絡の執り様も無いからである。 

其れ等の事を考えると、確かに私は、自分で勝手に行動を起す事は出来ないのであろう。
何故なら、私が勝手な行動をすると、天神が計画しているプログラムが、駄目に成ると言うか壊れてしまうからである。

其の事こそが、「大君・すめらのみこと・すめらぎ」の立場の基本と言うか、真髄なのであろう。

其の様に考えると、私の立場は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、神の世界に入った時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば「神の新しい座標軸」であると、告げられた事が、現実として動いていると言う事に成るのであろう。

・・・私に、何が起きたかを一口で言えば、天皇家の伝統儀式である「大嘗祭・だいじょうさい」の秘儀と同類の事が、執り行われたとの事に成るだろう。
大嘗祭では、東方に「ゆき(悠紀・斎忌・由基)殿」が建てられ、西方に「すき(主基・須岐)殿」が建てられて、其の両殿を使って、天皇が代替りする儀式が行われる。
其の儀式は、天皇家の儀式と言うよりは、物部家に代々伝えられていた儀式であり、物部家の御霊が協力しなければ、儀式が形式通り行われても、中身が成功する事はないであろう。
歴史を調べても、大嘗祭が成功したとの記述は無い。
神武天皇(紀元前660)以降、その儀式が成功し、神霊が降りて、新しい天皇が受霊したとの記述が無いのである。若し、成功したにもかかわらず、記録されていないとすれば、その儀式の中身が秘儀である事の証明と成る。
では何故、その一番大事な儀式が秘儀とされているか、その原因を明確にしなければならないだろう。
其の原因は、大きくは二つ有ると考えられる。
先ず、一つは、其の秘儀の中身が外部に洩れると、多くの人々が大嘗の儀式を真似て、偽者が現れる恐れがあるから、秘儀とする。
第二は、天皇が儀式を行ったにしても、代々の天皇霊が資格を認めず、失敗に終った事を、世の人々に知られない為がある。
私には、其の両方の事が、当っていると想われる。
大嘗祭がスムーズに行われ、先祖代々と宇宙創造の本霊まで繋がる事が出来、天津日継ぎ神事が成功すれば、それなりの現象が起きるはずだからである。
「私に何が起きたか」http://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html

                            平成26年9月17日

                                  礒邉自適


2014/8/26 | 投稿者: 礒邉自適

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   食国政事・おすくにのまつりごと 2

                                26・8・26

今朝のメッセージの映像は、先ず、私が中年の男性3〜4人と一緒に、日本一との評判がある寿司屋に、行く段取りをしている処から始まった。
だが、直接寿司屋を訪れる場面は、映し出されては来なかった。

次の映像は、優秀・スマートな20歳代の若者男性が五人程現れて、日本の伝統の為に活動を始める様子が映し出されて来て、其の背景に、やはり20代に見える美しい女神の存在が、在る事が示されて来た。

そして、其れ等の事を動かしているのが「高木神・高御産日神・たかみむすびのかみ」である事が、示されて来た。

今朝のメッセージは、昨日の「木靴」と「石包丁」に関係が有り、日本の伝統である「食国政事・おすくにのまつりごと」を復活すると言うか、新しく建て直す事が示されて来ている様である。

・・・「食国政事長」とは、島根県太田市に在る「物部神社」の祭神である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の役職の名である。宇摩志麻遅命は、「饒速日命・ニギハヤヒ」の息子で、大田市の物部神社の裏山には「宇摩志麻遅命」の御陵が有り、宇摩志麻遅命一人をお祭りしてある。そして、奈良に在る「石上神宮」は、代々の物部の御霊をお祭している神社である。・・・
「食国の政り事の長」http://green.ap.teacup.com/20060818/1516.html

・・・だとすれば、日本の伝統である「政(まつりごと)」の神も、大山祇神の「まつり」であり「祀」の漢字の意味する処と成る。そして、私に「紀・トキの祭り」を行えと告げて来た大山祇神は、其の大本の神と成るのである。
だからこそ「紀元」を司る「トキの神」は、「大己貴・おおなむち」「大物主・おおものぬし」と呼ばれる蛇神であり、「ピラミッド・御室山・大山」を住まいとするのであろう。・・・
「食国の政(おすくにのまつりごと)」http://green.ap.teacup.com/20060818/1168.html

 
・・・今朝のメッセージは、昨日「保食神・うけもちのかみ・受け餅の神」の儀式「亀太夫神事」が行われる「熊野大社」に参詣した事に、関係が有るのではないだろうか。
其の「亀太夫神事」では、「百番の舞」として「あ〜あ う〜う すめかみを よきひにまつりしあすよりは あけのころもを けごろもにせむ」との歌が、宮司が榊の枝を神に納める行為と共に百回唄われる
其れは、神を讃える生活は労働が大事である理・ことを示しており、其の良き働きの成果が、良質の御餅を神に奉納する事に繋がるのである。・・・
「正しい生活」http://green.ap.teacup.com/20060818/2403.html

「食国政事長」http://green.ap.teacup.com/20060818/939.html
「瑞穂の国の政(まつりごと)」http://green.ap.teacup.com/20060818/1181.html
「御饗・みあへ」http://star.ap.teacup.com/170606/1110.html
「国家と祭祀」http://green.ap.teacup.com/20060818/2995.html

今朝の愉伽さんのビジョンには、湖か内海が眺められる岡に、放置されている、とても大きな日本建築の古い旅館の様な建物が在って、其処を利用する為に、板を嵌めて稲わらを床に敷く作業が始まると、前田氏を含めて、多くの人達が集まって来ていたとの事である。

其の愉伽さんのビジョンに符合する事も、食国政事で検索した文章の中に在る。

・・・次の映像には、古い木造建築の建物の柱が、一本映し出されて来た。其の柱は、根元の基礎の部分だけで、土台石の上には乗っていなくて、動かない様にコンクリートでしっかりと巻かれていた。
其の映像の意味は、古い伝統の根本・日本文化の基礎をしっかりと守れとの事なのかも知れない。
其れから、明け方の映像には、若い男女が会合に集まって居て、生き方に付いて勉強をしている場面が映し出されて来た。私は、其の人達に、美しい生き方をするのには、食事が一番大事である理・ことを話した。・・・
「鍋奉行」http://green.ap.teacup.com/20060818/2375.html

其れに、今朝のメッセージで、これ等の動きを司っているのが、「高木神・高御産日神・たかみむすびのかみ」であるとの事は、2010年9月15日に示されて来ている。

・・・其の、受信と発信のレーダー機能の様な働きが、造化三神の「高御産巣日神・たかみむすびのかみ」と「神産巣日神・かみむすびのかみ」と呼ばれて来た、働きなのではないだろうか。何故かと言うと、昨日、英彦山から中津に向けて下る時に「高木神社」に参詣したからである。其の高木神は「高御産巣日神」の事で「神産巣日神」と対に成って、此の世を生み出す神だからである。
其れを考えると、今朝の受信と発信のレーダー・鏡の様な働きは、新しい御世を創造する為の、情報交換の様子を映し出して来たモノと考えられる。
今朝の映像では、私の意識と愉伽さんの意識が、其の任に当っており、愉伽さんは集まって来る神々の働きの人達に、食事を作って与える役目を担っており、私は静かな山中に、其の建物を捜し回っていた。しかし、私は、適当な建物が見付からないので、山中を彷徨って居た。
最後に、古い神社のお籠もり所の様な建物が有ったので、中に入って見ると、米糠を床に敷いて、其の上を行き来しながら、お百度参りをしている女性が一人居た。其の女性は、痩せ型の日本人で50歳くらいであり、神様の降臨を願って、其の山中の建物で祷りの行を続けている様であった。私は、其の女性を抱きしめて「もう大丈夫だから お百度参りの行は 止めなさい」と諭していた。そして、棚に置かれていた米糠を全部捨てた。・・・
其れは、私が、今年新しく作った「食国政事長・おすくにのまつりごとのつかさ」の名刺の役柄が、本番を迎えると言う事でもあるのだ。・・・
「強烈な受信と発信」http://green.ap.teacup.com/20060818/1668.html

今朝のメッセージは、昨日のメッセージの「木靴」と「石包丁」に関係が有るのだろう。
何故かと言うと、私が此の世界に入って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、最初に私の躰を使い始めたのが玄米自然食の世界を創出した「桜澤如一」であり「噛め噛め」と告げて来て、二番に現れて下駄を履かして、毎日歩く様に仕向けたのが、大本教の「出口王仁三郎」だったからである。

・・・最初に、私の身心を使い始めたのは、マクロビオティックの創始者である「桜沢如一」で、次に現れたのが大本教の「出口王仁三郎」で、次ぎに現れたのが「宮本武蔵」である。其の順番で行われた事は、
1)桜沢如一「食物を良く噛む事・(食)」
2)出口王仁三郎「下駄を履いて能く歩く事・(足)」
3)宮本武蔵「左右の脳のバランスをとる為に両手をバランス能く使う事・(手)」であった。
其れから25年間、4311体の霊魂が私の身心を使って、修行を積んで来たのである。其の結果として、勉強をした事の無い中学卒の私が、此の様な文章を書ける様に成ったのである。・・・
「天つ宮事もちて」http://green.ap.teacup.com/20060818/1039.html

・・・其の順番の意味は、「桜沢如一」は食の世界で、能く噛む事の修行。「出口王仁三郎」は足の世界で、正しく歩く修行。「宮本武蔵」は二刀流であり、左右の腕をバランス能く使う事で、左右の脳の働きを良くする修行だったのである。其の後にも、ゲーテや、ピカソや、一休禅師や、利休や、松尾芭蕉などの霊魂が、次々に私の身体を交代で使用し、其の有様を4311体の霊魂が、全部で見詰め、総合的な体験・智慧を積み上げて行ったのである。そして、或る程度の修行が済んだら「猿田彦神」等の神霊が身体を使い始め、全国の旅が始まったのである。・・・
「除夜の鐘と初詣」http://green.ap.teacup.com/20060818/1388.html
「先達・せんだつ」http://green.ap.teacup.com/20060818/874.html
「鴻基始・コウキシ」http://star.ap.teacup.com/170606/947.html

日本の「寿司」は、世界共通の言葉と成っており、其の世界的ブームも影響してか、桜澤如一が創出したマクロビオティックの世界が存在するのかは判らないが、日本の「和食」が昨年12月に、ユネスコの無形文化遺産に登録された。

しかし、日本食が此処まで発展した背景・原因には、仏教の禅宗の懐石料理が存在するのである。
世界中に和食が認識されても、其の日本の精神性と言うか、懐石料理の意味する理は、なかなか理解されないであろう。

其処を、何とかしようとしているのが、今朝の私のメッセージに映し出されて来た、数人の若者であり、愉伽さんのビジョンに映し出されて来た、日本の古い伝統を復活させようと集まって来た、中年の人達なのであろう。

今朝のメッセージの映像では、「高木神」の存在が、大きくクローズアップされて来た。其れは、「強烈な受信と発信」の文章に書いて在る様に、力の強い神であり、下の説明には・・『古事記』では即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、さらにアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説もある。・・
と記されているので、其の高木神・高御産日神の働きが、表に現れて来るのかも知れない。

其れに、高木神は「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の祖父に当たるので、「食国政事長・おすくにのまつりことのつかさ」の働きにも、強い影響が有るのではないだろうか。

「高木の神・高御産日神・たかみむすびのかみ」
タカミムスビは、日本神話の神である[1]。別天津神の一柱[1]。
『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる[2]。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)という名で登場する[2]。
別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である[1]。女神的要素を持つ神皇産霊神と対になり、男女の「むすび」を象徴する神であるとも考えられる[1]。
記述[編集]
『古事記』によれば、天地開闢の時、最初にアメノミナカヌシが現れ、その次にカミムスビと共に高天原に出現したとされるのがタカミムスビという神である[1]。子にオモイカネ、栲幡千千姫命がいる[1]。
アメノミナカヌシ・カミムスビ・タカミムスビは、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている[1]。この造化三神のうち、カミムスビとタカミムスビは、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿で祀られた[2]。
系譜[編集]
天照大神の御子神・「天忍穂耳命・アメノオシホミミ」がタカミムスビの娘「栲幡千千姫命・タクハタチヂヒメ」と結婚して生まれたのが「兄・ニギハヤヒ」と「弟・天孫ニニギ」であるので、タカミムスビは天孫ニニギの外祖父に相当する[1]。
アマツクニタマの子であるアメノワカヒコが、天孫降臨に先立って降ったが復命せず、問責の使者・雉(きぎし)の鳴女(なきめ)を射殺した[3]。そのためタカミムスビにその矢を射返されて死んだという[3]。
しかし、『古事記』では即位前の神武天皇が熊野から大和に侵攻する場面で夢に登場し、さらにアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令している伝も存在することから、この神が本来の皇祖神だとする説もある[4]。
       ウィキペディア辞典 現在記載

                            平成26年8月26日

                                  礒邉自適








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