次回公演予定


2018年5月18日(金)〜20日(日)
あべあゆみ一人芝居
「言葉を纏ふ 〜纏の二 太宰治『きりぎりす』〜」
Gallery & Space しあん(新御徒町)


もう少し詳しい情報はこちら
よろしくお願いします

2018/5/8

重たければ着替えちゃえば、って  稽古のあと

一昨年の一人芝居は
「纏う」ことがテーマになっていました

着物を纏い
生活を纏い
お金を纏い
あの人を纏い・・・

実際に私たちは
色んなものを纏って生きています

肩書であったり
仕事であったり
立場であったり

言い方は色々あるけれど

誇らしい属性であることも
重たい荷物であることも

「纏う」ものはどんどん増えていき
それによって
快適になることもあれば
身動きが取れなくなることもあるでしょう


今回は
纏ったものを「着替える」ことがテーマのようです

それまで培ってきたものを
思い切りよく投げ捨てることは
勇気の要ることだと思います

引っ越し一つにしても
かなりのエネルギーが要るし
転職とか離婚とか
捨てることでスッキリすることがわかっていても
先々の不安はなかなか拭い去れないもんで

安定に甘んじて
現状維持に努めた方が
むしろラクなんじゃねぇかと思うことは
まぁたくさんあると思います


『きりぎりす』は
思い切りよく夫を捨てる女の一人語りです
「おわかれいたします」と身も蓋もなく言い始め
画家として成功した夫をディスりまくり
言いたいことを言い終えて着替え完了、みたいな
清々しい女の話です

これを清々しいと思うのは
もしかしたら私が女であるからかもしれないけれど
纏ったものが重たくてイヤになったら
着替えちゃえばいいじゃん、という
可能性を一つもらえるような気がします


観て下さった方がどんな風に思うかは
それぞれ違うし全く予想が出来ないけれど
重たい身体がちょっと軽くなったなぁみたいな
マッサージの後のような気分になってくれたらなぁと
あと数回の稽古に臨もうと思います
3

2016/2/22

アナログ迷走タイムマシン  稽古のあと

クリックすると元のサイズで表示します

二・二六事件はちょうど80年前

おじいちゃんが事件に参加してたとか
おじさんが関係者だったとか
そういう話を聞くのは珍しくない

その事件を見たり聞いたりしたことも含めて
その事件を「体験」した人は
まだたくさんいる

それぞれの人にとって「過去」であるうちは
「歴史」と呼ぶには近すぎる



でも逆の言い方をすれば

どんな「歴史」も
「歴史」になる前は誰かの「過去」であり「体験」だったわけで

私たちは何とかして
その「体験」を追いかようとしていて

追い求め続けるのだけど
決して「理解しました」と言えるとこに着くことがない
(って辺り、あぁなんか宗教に似てるなァ、と思った)



「わかりました」とも「わかってください」とも言えない

けど

「考えました」「考えませんか」「一緒に」

とは言いたい
0

2015/8/23

そこに生きている人の顔で立つ  稽古のあと

今年は高校野球をチラ見した

準々決勝あたり
同点で迎えた9回ウラ
ここで点を入れればサヨナラ勝ち
という状態のチームの3番打者が

とても清々しい顔で
バッターボックスに入ったのを観た


相当のプレッシャーがあるだろう、とか
ここで打てれば…なんて色気を出してしまったり、とか
観てる方は余計な事ばかり考える
けれど

彼の顔はただただ
「野球をしている人」の顔だった


雑念が無い、って
こういうことなのかなぁ


なんてイイ顔でバッターボックスに立つのだろう
なんて思ってるうちに
彼はヒットを打ち
ランナーがホームインし
その試合は終わった


そのチームは結果的に
100年目の甲子園で優勝した



ただただ
そこに
生きている人の顔を観た


彼は野球場だった
私は舞台上


半分くらいの年齢の少年に
教えて戴きました
彼の今後の活躍を祈ります

1

2014/1/15

思想はあるか、謙虚であるか  稽古のあと

「笑い」に直結しなければ
「面白い」とは言わない
って人がいるのはわかる

でも
「笑い」に直結しなくても
「面白い」ものはあると思う


絵画を「面白い」と思う感性
クラシック音楽を「面白い」と思う感性
詩を「面白い」と思う感性

なきゃいけないものではない
あった方がいいものとも思わない

でも
否定されるべきものでは決してない


まぁ
何を「面白い」としたっていいんです

自分の言う「面白い」とは
どんなものなのかを
確固たる意志をもって
そして常に自らに問いかける勇気をもって
言えるかどうかだと思うのです


思想と謙虚さがある作品ならば
どんなものでも面白い

私はそう思ってます
0

2013/4/30

怠けたら、腐る  稽古のあと

意外と時間はない
来週の今日は最後の稽古の日
来週の明日はもう劇場入りか


再生の稽古は
かなり何もわからない状態でいる事が多い

言葉の意味も
今ここに立ってる理由も
周りの人物をどう思っているかも

わからない
ただただ動物的に

歩きたいような気がする
喋りたいような気がする
誰かを見ていたいような気がする

そんな気分だけ
気分だけを頼りに
ものすごくなんとなく動く

なんとなくのまま放置していると
そのなんとなくの理由を

通し稽古中や
劇場入りした後の雑談や
或いは本番中に

いきなりズドンと理解する事がある

「あっ」
っていう瞬間が
こちらのタイミングなど気にせずに
突然やってくる


困るのは
それが終演後に来ることもあるって事だけど

「あっ、あれって…」
って今かよ!!


こればっかりは
どうにも出来ない
材料だけを揃えて
腐らせないように保管しておく

出来る事だけを
ちゃんとやっておく


怠けたら
腐る

それは
わかってるはずなんだ


1

2012/8/10

絶対に正しい事  稽古のあと

私は
コンビニ等で
陳列された食料品を後ろの方(より新しい方)からわざわざ取る
という行為が嫌いだ


食べるタイミングが遅くなりそうなので
やむおえず新しいものを取ってるのなら
まぁそれほどイラつかないけれど

「このおにぎり温めで」

今食うんかい!

私は店員だから知っている
コイツが避けたおにぎりと
コイツが選んだおにぎりと

数時間しか違いはないのだ

どんだけデリケートだ
貴様にはその味の違いがわかるとでも言うのか


と言っても
ただ嫌いなだけだ
順番待ちの列に割り込むような無神経さが
腹立たしいだけだ


私は
その行為は間違っている
とは言えない

何故なら
それは私個人の正しさの基準であって
その行動はおそらく
その人の正しさに則ったもので

私の正しさの方が
その人の正しさより
より正しい、とは
誰も言えないからだ


絶対に正しい事、なんてあるのかしら


と思うのだけど
正しい、と言い張って行動する人は
その正しさを疑う事はほとんどない

疑わなすぎて
世界中が自分の味方だとでも言うように

何かを殺害する行為すら
正しい事だと主張する

反対する者を「間違っている」と非難する


絶対に正しい事、ってのは
個人の中以外に
本当に存在するものなのか?
7

2012/7/21

正しいけど正義じゃない  稽古のあと

正義とか
正しさの話を始めると
良く例として出される話

例えば
20人を助けるために
3人を殺さなければならない場合

3人を殺さないために
20人で死ななければならないとして

一般的な正しさ、ってものだと
まぁ答えは出ないとしても

例えば
「死んでほしくないと思っている人」が
3人の中にいた
という前提があったとしたら

私は20人で死ぬ方が
圧倒的に正しいと思う

私にとっては
それが正しい

わけだけど

・・・でもやっぱり
それは正義とは言わないんだろうな


これじゃカンペキに
ただのワガママじゃん


もしかして

正義だと主張されてるいくつかは
ただのワガママに
正義という看板をつけただけ
だったり

だったり

1

2012/7/7

わるもの  稽古のあと

そういえば
今まで、「悪役」ってのをやったことがない

ってゆーか
本当に「わるもの」が出てくる話をやったことがない


そういえば
本当に「悪い」人は
時代劇やコメディくらいでしかあまり見ない


誰かにとって悪い事をした人も
良かれと思っていたり
自分にとって正しい事をしていたり
ただただ一生懸命なだけだったりする


価値観が違うだけ
悲劇はそこにあって
悪者がただ悪い世界は
あまりみんな書きたくないのかもしれない


9月に出演するお話はコメディだから
わかりやすい「わるもの」が登場する

まだはっきりはしないけど
私はたぶん「わるもの」だ

きっと最後には
無様に滅びたりするんだろう


うん

楽しいな

9月の客演先
ノーコンタクツのブログは日々更新されてます
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ