この日のプログラムは前半に林さん、シューベルトさん、木村哲郎さんのソングや歌曲、後半に萩さんのソングと「花の名」というメニュー。開演前、控え室に待機していると誰それが来たという情報が入ってくる。「え? 恵子さんがいらした?」「? 萩京子さんも?」。お二人ともめちゃめちゃ忙しいだろうにものすごくありがたいのだがものすごいプレッシャー。が、しかし、ここでくじけてなるものか。ピアノの大坪夕美さんと勝利のあつい抱擁をかわし前半のプログラムを歌い休憩。そして後半萩さんのソング3曲をうたってついに「花の名」へ突入。
ありがたいことにこの曲は短い部分の一カ所だけ二重唱になるが95パーセントは交互に歌うようになっているので落語のように「ご、ご隠居さん!」「おう、熊さんどうしたね」みたいにすることが可能だ。出だしは一つ和音がぽーんと鳴って、男の「浜松はとても進歩的ですよ」という台詞から唐突に始まる。くったくなく話しかける男にとまどいながらのやりとり。お互い戦中の同い年であることがわかる。いくつかやりとりがあって男が花の名前のことをたずねるところをきっかけとして生前の父への回想へ入っていく。
この作品は芝居にしたら失敗だと思っていたのでそうならないように、かといってまったく直立不動というのもへんだ。だからわざとちょこんと座れるようなほんのちょっと背の高い簡単な折りたたみイス(スタンドバーにあるようなやつ)にすわって歌うという作戦をとった。これだってもう4、5年前に「花の名」用に買ったイスだ。そしてかたわらのピアノのふたの上に登山帽を置いておく。登山帽ってのはどういうものかと思い吉祥寺の山屋専門店へ行ってみるとまあ、変哲のないものだった。変哲ないが5000円もしやがるが仕方なく購入。この帽子は最後、列車が東京駅に到着し男が挨拶をしてプラットホームに去っていくところ、ここだけはほんの少しだけ芝居っぽくする──ところだけに使う。「花の名」にはけっこう時間と金がかかっているのさ。