これはですねえ、聖書なんか読むと感じられることなんです。ちょっと長くなるけれど引用と説明を。
例えば、マルコによる福音書。受難のくだり、イエスがとっつかまって磔にされる前の晩の、例の「最後の晩餐」のあと、弟子のペトロが「先生、あっしゃあ先生を絶対うらぎりませんぜ」という。するとイエスは「おまえは今夜、夜明に鶏が二度鳴く前、三度私を知らないと言うだろう」という。他の弟子達も口々に「いや、そんなことねえだ! 先生といしょに死ぬだ! そうだそうだ」と言い合う。しかしいざイエスがつかまると弟子達は師をすてて逃げ去る。さすがにペトロは引き立てられるイエスの後を弟子とバレないようにそっと後を追う。イエスはまず大祭司のところへ引き立てられる。ペトロはその宅邸の中庭で寒いのだろう大祭司の下男たちと座って火にあたっている。以下聖書の本文。
「そのときペトロは下の中庭にいた。大祭司の下女が一人来て、火にあたっているペトロを見、だれであるかを見分け、『あなたもあのナザレ人、あのイエズスと一緒にいた人ですね』と言った。ペトロは『いや知らぬ。あなたの言うことはわからぬ』と否み、庭口へ出た。(そのとき鶏が鳴いた。)下女は彼を見て、そばにいた人びとに、『この人もあの人たちの一人ですよ』と言った。ペトロはまた否んだ。しばらくしてそのあたりに立っていた人びとが『あなたは確かにあの者たちの一人だ。それにあなたはガリラヤ人だ』と言った。ペトロは呪いかつ誓い、『私はあなたたちの言うそんな人を知らぬ!』と言った。するとそのとき鶏はふたたび鳴いた。ペトロは『鶏の二度鳴く前にあなたは三度私を否む』とイエズスに言われた言葉を思い出してむせび泣いた。(新訳聖書・講談社 フェデリコ・バルバロ訳)