2018/6/1  4:59

神仏習合講演会のご感想とご質問  講演会

金子貴一講演会「神が仏に出逢った日
〜神仏習合の歴史から今を読み解く〜」
第3回「近現代〜世界を救う智慧〜」
ご感想とご質問です。


「3回の講義を経て、オチはこう来ましたか!」

「私の従兄弟は、厚木基地に米軍が進駐する直前に自害しました。従兄弟は、厚木基地の戦友と共に、深見神社の境内社・靖國社(厚木空神社)に祀られています。毎年4月の大祭には、今でも矍鑠とした軍人さんが参列されます」。

調べてみると、同社は、厚木海軍飛行場の敷地内で昭和19年(1944年)11月に「厚木空神社」として創祀され、太平洋戦争による厚木航空隊(第三〇二海軍航空隊)の戦死者を祀っていたが、終戦後に廃祀(取除き)が命じられると昭和26年(1951年)4月7日、深見集落の戦没者を合祀して深見神社に転社された。(ウィキペディアより)

「長年行って来た自分のルーツ(家系)探しを、限界まで調べ尽くして終りにしました。しかし、その後も実家の神棚に祀ってあるお札が気になっていました。この講座で、先祖の信仰にも思いを馳せる事が出来る様になりました。今後の人生で、深い視点で物事が見られる様になったと思います。ありがとうございました」。

「青年時代、人生に悩んでいた時、ロシア人作家アントン・チェーホフの言葉に救われました。彼は、『神ありと神なしとの間には、非常に広大な原野が横たわっている。まことの智者は、大きな困難に堪たえてそれを踏破するのだ』と言いました。その後、私は、チェーホフは有神論者だったのか無神論者だったのかと考える様になりました。私自身は不思議な体験をした為、有神論者なのです。金子先生は?」と仰るので、「私は有神論者です」と申し上げると、笑顔で握手を求めて来られました。

「天皇の諡号は誰が付けるのですか?」との質問を受けました。答えは「宮廷」です。

コトバンクによると、

諡号(しごう)とは、死後に贈る名。

中国から8世紀初めごろ日本に伝わり,天皇などに諡号が贈られた。

古くは「何々宮の御宇(ぎょう)天皇」といったが、皇居が一定するころになると、たとえば文武(もんむ)天皇を天之真宗豊祖父天皇(あまのまむねとよおおじのすめらみこと)と称した類があり、これを和風諡号といった。

しかし、桓武天皇が平安京に遷都後は漢風諡号を用いることとなり、淡海三船(おうみのみふね)をして歴代天皇の諡を選ばしめたという。神武(じんむ)から光仁(こうにん)天皇までの諡号がこれである。

桓武以後には漢風の諡号は少なく、御所の名をそのまま使ったもの、山陵の名を用いたもの、前帝号に後の字を加えたものなどが多く、明治・大正・昭和の3天皇は年号を諡号とした新例である。
0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ