私は政治を規範と実態の融合であると考えている。
念頭に置くべき2つの事項は、「べき論」としての規範と「である論」としての実態である。「べき論」と「である論」のシーソーの支点に政治が位置し、問題の特性によって支点を前後にずらして、そのいずれに重心を置くかを決めるのが政治である。
概して国内問題は「べき論」側に重心をずらし、対外問題は「である論」に重心をずらすことになる。それで良いと思う。基本的に、国内問題は「我々」が「我々」の意思に従って、強制力を持つ決定を下すことができる。一方、対外問題は、「我々」の他に常に「他国」という同等の他者がおり、その他者に対する強制力はなかなか保持し得ない。
従って、必然的に、国内問題は「べき論」重心、対外問題は「である論」重心となる。規範と実態のいずれに重心を据えるかは、こうした原理的側面が存在する。
その観点から見たとき、
こうした論(『「沖縄有事」軍の論理に漂うきな臭さ』沖縄タイムス1/17付社説)は非常に悲しい。
何度も沖縄へ行き、そこで選挙まで体験し、それなりにウチナーのセンチメントは理解しているつもりである。従って、過度に目くじらを立てて攻め立てるつもりはない。ただ、それにしても、この論は対外政策を論じる上で、あまりにも規範(「べき論」)に重心を移し過ぎ、実態(「である論」)から遠ざかりすぎている。
政治をセンチメントで語ってはならない。山本七平が「空気の支配」がもたらした日本の失敗を論じているように、精神論と感情論からは、結果論としてたまたまもたらされる成功と、多くの場合の失敗しか導かれない。我々に必要なのは、振り上げたいコブシを一瞬止めて、考え、その上で勢いを失うことなくコブシを振り上げる思慮と勇気なのである。
同じ失敗を二度と繰り返してはならない。そして失敗を恐れるがあまり、無視してもならない。