約半年ぶりに新潟県三条市にやってきた。前回は昨年8月。中越地震の影に隠れ、あまり意識されなくなってきたが、「7.13水害」の後だった。真夏の炎天下、被災された方と多くのボランティアと共に、ふらふらになりながら、道路の側溝を埋めたドロのかき出し作業をしたのを思い出す。
暑かった夏とはうって変わり、ご覧のとおり雪景色。それでも今日は緩んだようで、さきほど乗ったタクシーの車窓から見た路上の温度計は3℃であった。
今回の目的は主に2点。第一は、被災から半年を過ぎ、その経験をどう生かそうとしているのかを確認すること。これは主に行政施策の部分となる。もう一点は、災害対策が行政機関によって完結しないことが改めて明確になったあと、行政と市民との役割分担・協力関係構築がどう模索され、一般市民主導の行動がどうとられようとしているかを確認すること。こちらは主にNPOや市民団体の取組が主眼である。
決して表面的な批判をするつもりはないが、一口に言えば、それほど進んでいないような気がした。「元に戻す」施策はうたれている。分かりやすいのは破堤をもたらした五十嵐川の改修工事。もっとも事業主体は県であり国であるが、同等の集中降雨があっても破堤を回避しうる想定のもとに、5年計画で改修工事が進められようとしている。
しかし、元に戻せばそれでいいだろうか。確かに水害に限定するならば、「7.13」の再来はなくなる。ただ、言うまでもないが、災害は水害だけではない。災害対策を建物や堤防などのハード面からのみ捉えれば、一件落着だが、相次ぐ水害、地震で改めて明らかになったことは、ハードもさることながら、ソフトの重要性とソフトの欠如ではなかったか。行政依存でなく、個々人が、我々自身がいかに行動するのか、そのための準備をいかに進めるかが課題である。
ソフトの構築は一朝一夕に果たせるものではない。いや、永遠にゴールに至らないようにも思う。それでも、我々自身が我々の命と生活を保持するためには、我々自身の行動が必要であり、そのための取組が今求められていることに変わりはない。多くの災害と被災者を生み出した記憶が薄れないうちに、その記憶がリアルであるうちに、その取組を形にしていかなければならないのである。
人の記憶は薄れやすい。人間は忘れるからこそ生きていかれるという格言もあった気がする。10年が経過した阪神・淡路大震災についても、同様の傾向が見られる。だからこそ、急がなければならない。記憶は必ず薄れる。しかし、形になったものは、実体となったものは、少なくとも記憶よりは薄れにくい。実体が軽くなっていったとしても、災害時に緊急スイッチを入れる導火線を準備できる。忘れるという能力を持った人間を前提とした導火線作り、これが私なりのリアリズムである。