自然災害のみならず、いわゆる有事に関するまで「安全」を確保するためには、誰かという他者に依存するのではなく、まずは自らの行動が必須であるとのコンセプトに基づき、現在の日本に不足している自助の意識とそれを反映するコミュニティ等における共助組織を築くと同時に、それを踏まえた行政組織との連携のあり方、行政組織そのもののシステム転換の模索を活動テーマとしている。
意識と共助組織を形成する一つの手段として、私が災害ボランティア組織に力を入れていることは、既に何回も書いてきた。昨日は、私が関わる地域ネットワーク(基本的には市町村単位)をつないでいる県単位のネットワーク(神奈川県災害ボランティアネットワーク)の事務局会議に出席した。
これまでも感じてきたことだが、20人ほどの会議において、改めて「ボランティア」とは何かについて考えさせられた。ボランティアと聞くと、福祉の側面が強調され、他者を対象とした慈善活動のニュアンスが含まれることが多い。ボランティアに他者への慈善というコンセプトが含まれることは間違いなく、また、現実として、福祉活動を行うボランティア団体が数多くあることは誇るべきことだろう。
ただし、ボランティアは必ずしも「他者への慈善」だけではない。自らが関わる社会において、自らへの効用をも意図した「自らへの自助」の側面もあるはずである。私はその最たるものが災害ボランティアであると思う。災害ボランティアにも色々あり、いざ災害という時に全国各地へすばやく動く外部形災害ボランティアもあれば、地元を対象とした内部型災害ボランティアもある。私がここで意識してるのは後者の方。
時々こういった会議で議論のすれ違いが起きるが、その原因がしばしば「ボランティアとは何か」と「災害ボランティアの目的・位置付けは」の2点にある。
ボランティアを他者への慈善のみから捉えている場合、自らに余裕がある状況が前提となり、余裕がなくなった災害時の行動を考えるべき災害ボランティアの議論において、なぜが「行政になにを要求するか」という発想に終始してしまう。また、災害ボランティアを遠隔地での救援活動の側面からのみ捉えている場合、救援資材等のハードと救援資金に強く着目してしまい、肝心の地元地域での人員マネジメントの視点が欠落する。
決して多数派ではないが、こうした思惑の違いがこの世界にはまだ残存している。いざという時、この認識の違いは活動の障害にもなる。少しずつ少しずつ、相互の認識ギャップを埋め合わせること。遅々とした進展であろうとも、こうしたプロセスが不可欠であろうと思う。