人間が人間であるゆえんは理性を持つことなんだと思う。理性すなわちそれは合理性に基づく。要は考えるという能力を持っているということでしょうか。
とは言え、人間が動物の一種である限り、感情を無視することはできない。もし、感情を完全に捨て去ることが出来るという人がいたなら、私はその人を機械・ロボット・マシンと呼ぶ。そんな人間はいないと信じているわけです。
合理性と非合理性。ここでは理性と感情と置き換えてもいい。双方のごっちゃまぜ、混乱のなかで苦しみつつ、でも笑顔を絶やさず日常を送れる人間でありたい。我彼に関わらず、人生の機微、感情の機微を許容しつつ、相応の合理性を維持し続ける人間でありたい。その矛盾の固まりが人間だと思うから。
人間は合理的な存在か、非合理的な存在か。解のない永遠の問いであると分かったようなことを頭に浮かべつつ、両方を兼ね備えた矛盾の固まりであると都合のいい解らしきものを思う昨今。突っ張っろうとしてはいても、少なくとも、私という人間はそんな弱いところを持つ普通の人でしかないことを価値判断抜きに受け入れています。
必要以上に卑下することなく、必要以上に肩肘張ることなく、あるがままの自分であることは難しいけれど大切ですね。
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