『参院では、問題をきちんと掘り下げ、自衛隊をコントロールする歯止めを考える必要がある』。防衛「庁」を防衛「省」にする法案可決に際して、ある新聞社の社説にあった表現だが、『コントロールする歯止め』という部分が気になるのでひと言。
『コントロールする歯止め』という発想の背後に、
私ではない誰かが行使する権力を制約しようとする意思が強く感じられる。確かに、自衛隊の指揮権を私は持っておらず、私でない「内閣総理大臣」が持っていることは間違いない。でも、その内閣総理大臣は本当に、「私ではない誰か他人」なのか?「誰か」である内閣総理大臣は民主主義の日本において「私」以外のなにものでもないというのが私の見解。
民衆を抑圧する権力・権力者と庶民という構図が民主主義の歴史における出発点に存在したことは確かだ。また現代においても、その構図を無視していいとまでは言わない。しかし、私が感じる違和感は、あまりにも「内発的に権力を運用しようとする意思、保持しているのだという自覚、主権者としての自覚」が欠ける点にある。
『コントロールする歯止め』という表現の背後に、「お上」の政治を批判しつつ、「お上」の政治に依存する、おいしいとこどりのご都合主義を感じてならない。もちろん、こうした視点に乗っかって、未だに「お上」の政治を当然としている法律・制度・議員・官僚等々に更に大きな問題意識を抱いていることは言うまでもない。
⇒人気blogランキングに投票を!