ミニ統一補選と衆院補選が終わり、政界での次なる焦点は都議選に移った。もっとも、郵政がらみの衆院解散の可能性もなくはないが、ここ数日の状況を見る限り、その可能性は減ったように思う。
さて、例に漏れず、私も自らの研修活動を進めつつも、立候補予定の塾関係者が複数いるため、それぞれの選挙活動に多少関わることになる。都議選は7月が投票日となるため、一般的にはまだ意識されるレベルにはないかもしれない。都内でポスターが少し目立つような気がするといったところだろうか。
とは言え、既に各選対では実質スタートしている。それぞれの選対で現在の優先事項は異なるだろうが、あれやこれやと会議が催され、計画が練られる。
こうした場でしばしば感じるのが、「玄人発想の押し付け」である。そもそも、この場に居合わせているのは、玄人が多い。プロの選挙屋から純粋に政治への関心を持つボランティアまで、玄人のレベルは様々であるものの、いわゆる政治の「ウラ」を知っている人間である。
有権者の支持を広げ、投票所で候補者の名前を書いてもらうことを意図する戦術を考えるにあたって、こうした玄人は「知っている」がゆえの「玄人発想」に陥りやすい。玄人発想は、その世界内では有効である。誰に挨拶しておかないとマズイ、この政策は相手の支持団体的に打ち出せないから強調せよ、キャッチフレーズは…。
選挙を準備する集団内の論理のなかでは、こうした玄人発想がないと致命的な失敗を犯すこともある。しかし、それは、多くの場合、有権者にとっては何の関係もない。しばしば見られる勘違いは、こうした集団内の玄人発想が有権者向けのアピールに反映してしまうことである。選挙公報、演説内容、キャッチフレーズ等々、普通の視点から見ると「は?」と思われる表現や内容が出てきてしまうのである。
投票する一有権者にとって、その候補者が抱える内部事情など基本的に関係ない。その人物がいかなる社会を構想し、そのためにどんな理念を持ち、それを具現化するためにどんな具体的手法を持っていて、かつどうやってその政策を議会で通そうとしているのか。選挙で問われるべきはその点しかない。そこには、玄人的分析ではなく、素人的共感が求められる。もちろん、ここで言う素人とは、悪意を込めた表現ではなく、業界人でないというだけの普通の人を指す。
はっきり言って、いやになる時がある。全体は有権者なのだ。内部のちょこまかした理屈をこねてえらそうにしても、それは会社の会議でミクロな業界情報を議論しているに過ぎない。消費者に受け入れられない製品は、いくら業界内で評価が高くても意味がないのである。
庶民感覚の政治という言葉には抵抗がある。庶民感覚の会社経営といって賞賛されないであろうことと同様、政治にもプロフェッショナルの見識が不可欠であると思うからだ。しかし、だからといって、業界感覚の政治が良いわけがない。そうした候補者・選対が結果として有権者から支持を得られないことを見てきて納得する一方、その間違いが今なお繰り返されている現場を見て、改めて政治のレベル向上の必要性を痛感する。もちろん、その一端を自ら担おうとする意思が固いことは言うまでもない。