全ての事に対する人の物の味方というのは個人差があって当然と思う。
同じ出来事、同じ物体、同じ物語を見て感じる事が人それぞれなのはあたりまえの事だ。
その中でそれぞれの主張があってもいいと思うし、それが現代民主主義の基本なのだろう。
と、大した内容でもないのに堅苦しく書き始めてしまったが、書こうとしているのは下世話な話、”もてる”という事についてだ。
もてる、つまり他人から好かれる”魅力”とは何ぞや、ということについて私も少し考えてみた。
勝手な言い草だが、今日は特に情報らしい内容も文中にないし、いつも以上に言い切る形が多いので、私の意見など読みたくもないと言う方はここから先は読まない方がいいかもしれない。
まあ、もっともそういう方はここまでも読んでいないとは思うが・・・。
読んだ上での意見はありがたい限りなので、それこそ自由に意見をぶちまけて頂きたい。
内容のある反発ならそれも大歓迎だ。
あたりまえのことをあえて書くが、冒頭に書いたように、人間はそれぞれ違う価値基準を持っている。
特に異性の何処に魅力を感じるかという事に関しては千差万別だ。
そうでなければ一人の人間に求愛が集中してしまい、ペアリングが進まず子孫が増えない上に、奪い合い、殺し合いが始まり、すぐに人類は滅びてしまうかもしれない。
人それぞれ価値基準や求めるものが違うからこそ秩序ある世の中が保てるのだ。
当然日本と環境が違うフィリピンでは求める物の傾向に大きな違いが出るのはこれもまたあたりまえの事だろう。
日本では、経済力がある事を相手の魅力として第一に考える事をあまり良い事と考えない風潮があるように感じるが、それでも経済的な安定が大切であると言う事は大抵の人が認識しているはずである。
仮に日本の女性がいくら「大切なのはお金ではない。」と言った所で、明日食べるものがあるか判らず、病気をしても病院にも行けない男と結婚するとなれば話は別だろう。
でも、それならフィリピンのようにそういう男ばかりの国の人はどうすれば良いのだろう。
フィリピン女性の場合は女性側からフィリピン男性に求婚する習慣はあまり強くない上に、低所得者層で育った女性の場合はコンプレックスも手伝って経済的に豊かな人と結婚できるチャンスは非常に限られてしまうのである。
フィリピンの金持ちが貧困家庭の女性を選ばないという事もあるだろうが、それにも増して経済的に余裕のある人の絶対数が少ないのだから当然チャンスは限られてしまうのだ。
そんな所に、お金も程々にあり、階級のない社会で生きてきて差別を知らずコンプレックスも感じさせず、人を疑う事を悪い事と考える人の良い(優しい)日本人が現れたら、心が動くのも当然だろう。
フィリピンで低所得者層の女性から日本人がもてやすいのはあたりまえの事なのだ。
ただ、これはフィリピン人相手の場合に限った事ではないが、もてるからといって自分の魅力を過大評価していると問題が起きやすくなる。
お互いの価値基準の差や自信過剰などにより“自分が思っているほど相手が魅力を感じていない”ということに気が付かないと、独り善がりになり、大きな勘違いが発生し、自分の魅力をより一層相手にアピールする努力を怠る結果に繋がリやすいだろう。
日本人は「男は一所懸命仕事をしてお金を稼ぐ事が家族への愛だ。」という考えを皆で共有し常識化する事で、食べ物も十分にない状態から戦後の復興を遂げ、生活を向上する事に成功したのかもしれない。
でも現代は既に経済的な部分ではほとんどの人が最低限のラインは満たされているのだ、収入を得る為に我慢できる限度も変化してきているはずである。
古い考えが既に形骸化している事にも気付かず、金だけを家に運ぶ事で自分の愛が相手に十分な幸せを与えていると思っている亭主は、子供の手が離れ退職したとたんに長年我慢に耐えてきた妻から三行半を突きつけられる事は日本でさえ十分にありえる話だ。
まして、もともと日本より家庭を大切にする志向が強いフィリピンの常識の中では、なおさらの事だろう。
フィリピン人妻が”仕事優先で愛情表現も下手な亭主”でも我慢しているのは他に大きな魅力があるからに他ならない。
だから、その大きな魅力がなくなれば切り捨てられる事もありえるのだ。そして日本人の経済力は貧乏な環境で育った女性にとっては一番の魅力である場合が多いはずである。
それを「フィリピン人ははじめからお金目当てだ!」「泥棒だ!」と非難する人がいるが、もし、本当にお金目当てであるならその恩恵を受けているのは相手だけではないはずだ。
お金がなくても相手にされるだけの魅力が自分にあるのかよく考えた上で行動を取った方が間違いは少なくなるだろう。
自信がない場合は殺されないように身を守りながら、経費配分を慎重に考える必要があるかもしれない。
金があれば殺され、なければ捨てられる、そんな生活は嫌かもしれないが、金の為に我慢の生活をしている女性は世界中にたくさんいるのだ。お金で体を売る女性が何も我慢していないはずはない。
そして、自分が妻と思っている女性は結婚という専属解約を結んで体を売っている娼婦であるのかもしれない。
ロマンチストで現実が見えない男は気付かないだけの話だ。
男が「夢がないと生きて行けない。」と言うなら、女は「食べるものがなくては生きて行けない。」と言うかもしれない。
フィリピン人と日本人の離婚率がかなり高くなっているらしいが、離婚してから失った物の大きさを思い知るのはどちらだろうか。
フィリピン人に騙されたとフィリピン人の悪口を言ってみた所でそれは他人には負け惜しみにしか聞こえないだろう。自分に問題がないならさっさと再婚すれば良いのだ。
それを相手のモラルや人間性だけを責めてみた所ではじめからそのような相手を選んでいるのは自分だし、自分が他の魅力を相手に伝えられなかったのも自分の責任のはずである。
特に国際結婚の場合は基本的感覚の違いが大きい以上、相手の本心を知ることは日本人同士の場合よりなおさら難しいはずだ。
だからこそ結婚前によく相手の本質を見定め、結婚後も愛を育てる事に努力を惜しまない事が大切なように思うのだ。最低限の意思疎通も出来ないのに結婚する人がいるらしいが、私にはそういう人の考えている事は想像も出来ない。
「だからフィリピン人はダメなのだ!」と言うのは勝手だが、人の事ばかり批判していて自分に目が行かないと、気が付いたら自分の売り物は既に何も残っておらず丸裸で日本にも帰ることすら出来ず、異国の地で惨めな状況に追い込まれるとも限らない。
セブに住む私の友人に日本で結構もてたのにフィリピン人女性にはまった男がいる。
彼の言葉を借りれば、「日本人はこっちを向かせるまでが面白いが口説いてしまえばあとがつまらない。フィリピン人は口説き落とすのは簡単だが、嫉妬深いしなかなか信じてくれないので本心がなかなか読めず、こっちを向かせ続けるのが大変でそれが面白い。」と言っていた。
彼に言わせれば「嫉妬は愛の表現ではなく、求愛の表現」だそうだ。
私にも最近やっとその意味がわかるようになってきた気がする。
私のアサワ(妻)も含めフィリピン人女性の愛はエネルギッシュで情熱的のようだが、こちらもそれに負けないだけのエネルギーが必要のようだ。
アサワに三行半を突きつけられて「だから日本人はダメ!」と言われるような事にならない為に頑張って求愛に答え続けようと思っている。

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