「ユネスコ・カレンダーにも載ったガムザートフ記念日」
お知らせ
ユネスコ・カレンダーにも載った記念日
ガムザートフ記念
『白い鶴の日々』@
Дни≪Белые журавли≫

≪左;『白い鶴の日々』式典の模様。白い鶴をイメージした衣装の少女たち≫
≪右;ダゲスタン出身の大詩人ラスール・ガムザートフ。『鶴』の作詩者≫
9月8日、ダゲスタン共和国で毎年恒例のラスール・ガムザートフ記念≪白い鶴の日々≫が始まりました。

ダゲスタン共和国はカスピ海の西側、カフカース大山脈の麓に位置する多民族国家でロシア連邦の自治共和国の一つ。
北側には「紛争」で有名になったチェチェン・イングーシ共和国があります。
≪左;ダゲスタンの山岳民族と衣装≫
ラスール・ガムザートフРасул Гамзатов(1923-2003)はダゲスタン出身。ロシアはもとより現代を代表する大詩人。アヴァール人。
1965年彼が広島を訪れたときの印象がもとになって名曲『鶴』の詩が生まれました。
(詳しくは本HP2006年8月12日、20日、31日の記事をご覧下さい)
この模様について、現地からの報道を
中島章利の翻訳と要約によってご紹介します。
今年の式典はガムザートフが50年以上にわたりリードしてきたダゲスタン共和国作家同盟75周年と1999年、ダゲスタンに進入した国際テロリスト集団による惨禍10周年という、ダゲスタンにとって重要な意味をもつ2つの日付と重なりました。
行事は首都マハチカラのタルキ・タウ山(標高745m)にあるガムザートフの墓所を訪ねることから始まりました。
献花のセレモニーに出席したのは文化相スウムルド・スレイマーノフ、文化次官マホメドラル・マホメドラスーロフ、ダゲスタン作家同盟議長、ロシア作家同盟議長、故人の親族、一般読者たち。
親族を代表して故人の兄弟であるアカデミー会員ガジー・ガムザートフが参集者全員に感謝の挨拶を述べました。
続いてマハチカラのレーニン・コムソモール公園において開会式が要人、来賓の出席のもとに行われました。
開会に先立ち、参加者が『鶴』のロディが流れるなか、ソヴィエト解放戦士たちに花を捧げました。
下:式典の模様を報道するニュース番組
のURL。クリックすると見ることが出来ます。
現地リポーター
による中継があり、式典のバックで『鶴』が流れているのが聞こえます。
また、生前のガムザートフの動画など貴重な映像が放映されています。ぜひご覧下さい。
http://beta.tvc.ru/showAnyFile.aspx?id=616f2bd2-a61a-4b8f-b98b-f3f8df06b217
集会が始まり、ダゲスタン共和国政府議長(首相に相当)シャミル・ザイナーロフが次のように述べました。
ラスール・ガムザートフによって創り出された『白い鶴』のくっきりとした形象は今日に至るまで心を揺すぶり、私たちの人生における詩の言葉の大切さを裏付けています。
全世界においてこの形象は戦争の悲惨さの象徴であり、歌曲『鶴』はすべての戦争犠牲者の思い出の頌歌となったのです、と。
1965年、原爆を経験した広島からの帰途、ガムザートフは有名な詩『鶴』を書き上げました。それはすぐに
ナウーム・グレブニョーフ(1921-1988)によってロシア語に訳され、素晴らしい作曲家である
ヤーン・フレーンケリ(1920-1989)によって曲がつけられました。

≪左;ガムザートフとコンビを組んでいたナウーム・グレブニョーフ≫
≪右;『鶴』を初演した歌手・俳優マールク・ベールネス。この歌が彼の最後の曲になった≫
マールク・ベールネス(1911-1969)の歌唱による『鶴』の初演--この歌はベールネスにとっての「白鳥の歌」となりました(中島記)--のあと、この歌は地球全体に広まりました。幾百万の人々に愛され、世界のさまざまな言語でうたい始められました。
それはこの曲が歌によるレクイエムとなり、歌による祈りとなり、「血まみれの戦場から還ることのなかった」すべての兵士たちへの挽歌となったからでした。
鶴の楔形の群れのようにこの歌は国境を越え、ブロンズ像と御影石のうちに具現しました。
30を超える、ガムザートフの『鶴』の記念碑がわが国のさまざまな都市や外国に建立されています。
この中にはガムザートフに心揺すぶる詩行のインスピレーションを与えた国である日本も含まれているのです。
(続く)
≪ヤーン・フレーンケリ本人がうたう『鶴』。貴重な映像です≫

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