大変興味深い判決だ。
非法律婚のパートナー関係を一方的に破棄された女性の慰謝料請求が最高裁で棄却されたそうだ。→
最高裁判決文
ググるNEWS→「
結婚 パートナー 最高裁」(記事は毎日がいちばん詳しい)
こういうカタチを別居婚とでも言うのだろうか? 毎日にある原告女性のコメントによると、やはり事実婚の問題だと考えているようだが、この事例を手放しに事実婚と言うには抵抗がある。否、これは「婚」なのか? そもそも「婚」とは何か? 突き詰めるとそういう根源的な問いを投げかけるような訴訟だ。
法律婚における婚姻の内容とは、夫婦同氏・貞操義務・同居協力扶助義務・婚姻費用分担義務・日常家事債務連帯責任・法定相続権の発生、主にこんなところだろうか。子供がいる場合には子の嫡出推定と共同親権が付く。
翻って事実婚(内縁)を保護しようという法律の考え方には、事実婚を法律婚に至る過程とみなす婚姻予約法理と、事実婚自体を法律婚に準じるものとみなす準婚法理とかあるが、いずれにせよ(法律婚でしか認められない夫婦同氏・法定相続権の発生・子の嫡出推定を除いて)事実婚でも法律婚に相当する権利義務が広く認められる趨勢にある。
ということは逆に、法律上認められる「事実婚」の要件は法律婚に基礎をおいているということでもあるわけで、自由や多様性は最大限に是認するにしても、法律的に事実婚保護を主張するからには、法律婚の定型からあまりに掛け離れていてはいけないのではないかと思う。(必要な要件の組み合わせなどは事例毎に判断すべきだが)
今回の事例の場合、法律婚に相当する客観的な要件の具備がどれほどあったか考えると、ほとんどないように見える。
たとえば同居義務に関して言えば、この事例と単身赴任家族などを同列に扱うことは相当ではないと思う。職業上の理由があろうがなかろうが、共同生活をしたいのに出来ない(いずれしたいと思っている)のと、はじめから共同生活をする気がないのとでは、根本的に意義は違うはずなのだ。
それ以前に、法律婚の定型に準じることを意図的にことごとく避けていたのでは、準婚や婚姻予約といった法理にあてはめようがない。(嫡出にだけはこだわってペーパー離再婚までしたのは不思議だが)
また、法律婚でも事実婚でも絶対不可欠な「婚姻意思の存在」という婚姻成立要件においても、この事例では婚姻意思の表象であるはずの「婚約」をわざわざ破棄した上で、「パートナー関係」という非常に主観的な概念の下に形成された任意の人間関係を求めたようなので、これを以って安易に「事実婚」だと認めてしまって良いものかどうかも疑問なのだ。
少なくとも「事実婚と同棲の違いは婚姻意思があるかないかの違いだ」と言い続けている僕には、婚姻意思が不明瞭なこの「パートナー関係」を事実婚と等式で結ぶことは難しい。(事実婚夫婦が互いをパートナーと呼ぶのとは話が違うので注意)
この最高裁判決、「関係存続に関する合意」という契約的概念も判示しているほどなので、事実婚や継続排他的な男女関係における貞操義務違反を一律不問と断じたわけではあるまい。婚姻の自由化という視点からは非難もありそうな判決だが、判決文にある(かなり特異な)諸事情を考慮しても、この「パートナー関係」を事実婚と認めなかった点においては、僕には不当な判決だとは思えない。むしろ、ややもすると「なんでもあり」になりかねない事実婚の概念にも法律上の限界が存在することを示した点は評価に値するのではないだろうか。
やはり最終的には「法の保護を求めるなら法の支配に服せよ」という理屈に辿りつくか。
11/13のブログ「血痕の蚊達」にも少し書いたが、事実婚のはらむ危うさを今一度考えるきっかけになりそうな判決だ。
どんな人間関係を築くも自由だが、自由というものは自由である分、危険なのだ。
●教訓
結局は泥仕合ですな。
お粗末!

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