NHK教育テレビで、
真剣10代しゃべり場スペシャル「
マイジェネレーション2005〜作家 石田衣良 10代の声を聞く」を見ました。
TVタックルや朝まで生テレビなども含めて、自己主張のぶつけ合い番組はとてもムカツクので見ないんですが、今回は小説家の石田衣良氏が個別に少年と話をしに行くという企画だったので、ちょっと見てみました。
興味深かったのは進学校に通う19才、未熟ながら弁が立つ、一橋(慎太郎の母校だね)の赤本が眩しい現役受験生男子。(1年海外留学してたんだって)
「
尊敬できる大人はいないのか?」ということについて、大人代表( ´,_ゝ`)ププ)石田氏にサシで挑んで行ったんですが、何と申しましょうか、実に分かりやすい保守本流を見たようで面白かったです。
話を聞くと少年、どうも完璧な大人像を捜し求めているようなのです。その上で「尊敬できる大人がいない」と言いながら、「自分は尊敬される大人になれる気がしない」とかズルイことを言っているわけですが(少年本人も、石田氏との話の中で自分のズルさに気づかされたようで狼狽気味に論理をフラつかせていましたが…)、それはつまり、自分の外にあるはずの完全なるカリスマ(規範や価値基準)を求めて、願わくはそれに従って生きていきたいという姿勢なのではないかと思うのですよ。
既存の社会規範に反する夫婦別姓に頑強に抵抗する保守勢力と近いモノを感じました。
別に僕は保守的な人を悪いとは思いません。そりゃ、保守なら楽ですよ、基本的に今あるモノに従ってりゃいいんですから。僕だってそう生きたいと思うことがあります実際。そして、今あるモノを破壊しようと迫ってくる得体の知れない連中を恐いと思う気持ちだって分かるのです。そんな事態に晒されたら、僕だって恐いです。抵抗したくなります。異端排除だってするかもしれません。
そしてそれは保守ばかりの問題じゃありません。革新の方だって人事じゃないんです。革新が真に革新でいられるは、それが最先端にある時だけです。誰かの後塵を拝した途端に、革新だって保守化するんです。
ホント、人間の基本は保守なんじゃないかとさえ思います。
自分自身しか依拠するものがないってのはツライのよ、やっぱ。
ただね、保守的でもいいんだけど、主体性を放棄して妄信盲従に陥るのだけは気をつけてもらいたいと思うんですよ。自省する保守であってもらいたいと。
だから尊敬できる大人を探すより、尊敬される大人とは何かということを自ら考え続けることの方が重要なんだと思うんでありますよ、月並みですけど。
ところで、石田氏が話をした全ての少年に課したお題がありました。曰く「自分の子供につける名前」。
この保守少年の解答、いかにも保守本流っぽく、、、
→男なら、国を背負って立つような立派な名前「光国」
(父と自分の名前から「国」の字を取ったそうです)
→女なら、自分の初恋の相手の名前「めぐみ?かおり?」
(とかなんとかそんな感じの平仮名の名前だったけど忘れちまった)
この見事に無邪気な保守的男女格差には失笑。(石田氏も苦笑い)
もがき苦しめ19才。30までにゃまだ間がある。
●教訓
つーか、いちばんタチが悪いのは自分が保守化してることに気付かないサヨなんだよなぁ。
お粗末!

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