いのちについて再び考える
訪問介護という仕事を始めて早4ヶ月。
とはいえまだまだ新人。
技術に関してはいいのか悪いのか、自分流になりつつある気がする。
現場で介護者は自分ひとりであることが多いからだ。
それでもオムツ交換や入浴介助などそれなりにこなせるようになってきた。
施設との違いで感じることは、その方の生活により密着するということだ。
場所もその方の生活する家であり、ご家族の家であり、同居されている場合もあり、素になれる場所なのだ。
デイから帰宅した方が、その日にあった出来事をお話され、楽しかっただの、気疲れしただの、施設では言えない事を話される。
私が過去にお会いしていた方々もこういうことを感じていたのかな、などと感じながら、話を聞く。
携帯電話で昔の歌や映画の動画を楽しむ。
横になりたいから寝る。
テレビを観たいから観る。
施設という社会から解き放たれ自分のペースでの生活が始まる。
施設がONならば、家はOFFだ。
自分の居場所だから、感情も出しやすいだろう。
など色々感じられることがある。
短い期間の中で、沢山の出会いがあった。
ひとつ、書き残したいことがある。
11月から、ターミナルケアを在宅で受けられる方の家に1日に3〜4回、伺うようになった。
末期がんの79歳の男性。
息子さんのご家族と同居されている。
食事は別室へ移動する。
歩行介助をする。
食事はご自分で摂取され、
その後お手洗いで用をたし、
再びベッドで休まれる。
ある日、ベッドから立ち上がられなくなった。
ベッド上で食事をされるようになる。
全介助になる。
トイレに行けず、オムツを着用するようになる。
お風呂に入られなくなる。
血痰が出るようになる。
言葉が少なくなっていく。
痰が自力で出せなくなる。
呼吸が苦しく、酸素の吸入量が増える。
声が出なくなる。
焦点が時々合わない。
傾眠が強く、意識が朦朧としてくる。
声が完全に出なくなる。
しかし、意識が朦朧としている中で、
声にならない声で、
何度も私に
「大丈夫、大丈夫…」
「ありがとう、ありがとう…」
お見舞いにいらしていた娘さんが涙をこぼす。
なんて素晴らしい方であろう。
どんなに苦しくても、
周囲に心配をかけまいと、
そして感謝の言葉を伝えようとしている。
私はこの方の前で笑顔を絶やさなかった。
時間があれば、歌いかけたし、アコーディオンの演奏もした。
その方がふるさとを一緒に歌い、涙を流した。
声が出なくなっても、歌いかければ手でリズムをとった。
口を動かした。
笑顔もあった。
でもその日、私はその方の部屋を出て、ご家族に
「本当に優しいお方ですね。」と挨拶をしながら、初めて泣いてしまった。
車に乗り込んで、声をあげて、しゃくりあげて泣いた。
それがその方とお会いした最期の日となった。
2日後の大晦日、その方は2011年が幕を閉じると同時に、ご自分の生涯の幕を閉じた。
最期まで、「大丈夫」と「ありがとう」を伝え続けることが自分にもできるであろうか。
私はその方との出会いに感謝する。
でも、ひとつだけ我儘を言えるのなら、
できたら、もっともっと一緒に歌いたかった。
毎年、大晦日が来るたびに思い出すでしょう。
どうか、安らかにお眠りください…
ありがとうございました!
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とはいえまだまだ新人。
技術に関してはいいのか悪いのか、自分流になりつつある気がする。
現場で介護者は自分ひとりであることが多いからだ。
それでもオムツ交換や入浴介助などそれなりにこなせるようになってきた。
施設との違いで感じることは、その方の生活により密着するということだ。
場所もその方の生活する家であり、ご家族の家であり、同居されている場合もあり、素になれる場所なのだ。
デイから帰宅した方が、その日にあった出来事をお話され、楽しかっただの、気疲れしただの、施設では言えない事を話される。
私が過去にお会いしていた方々もこういうことを感じていたのかな、などと感じながら、話を聞く。
携帯電話で昔の歌や映画の動画を楽しむ。
横になりたいから寝る。
テレビを観たいから観る。
施設という社会から解き放たれ自分のペースでの生活が始まる。
施設がONならば、家はOFFだ。
自分の居場所だから、感情も出しやすいだろう。
など色々感じられることがある。
短い期間の中で、沢山の出会いがあった。
ひとつ、書き残したいことがある。
11月から、ターミナルケアを在宅で受けられる方の家に1日に3〜4回、伺うようになった。
末期がんの79歳の男性。
息子さんのご家族と同居されている。
食事は別室へ移動する。
歩行介助をする。
食事はご自分で摂取され、
その後お手洗いで用をたし、
再びベッドで休まれる。
ある日、ベッドから立ち上がられなくなった。
ベッド上で食事をされるようになる。
全介助になる。
トイレに行けず、オムツを着用するようになる。
お風呂に入られなくなる。
血痰が出るようになる。
言葉が少なくなっていく。
痰が自力で出せなくなる。
呼吸が苦しく、酸素の吸入量が増える。
声が出なくなる。
焦点が時々合わない。
傾眠が強く、意識が朦朧としてくる。
声が完全に出なくなる。
しかし、意識が朦朧としている中で、
声にならない声で、
何度も私に
「大丈夫、大丈夫…」
「ありがとう、ありがとう…」
お見舞いにいらしていた娘さんが涙をこぼす。
なんて素晴らしい方であろう。
どんなに苦しくても、
周囲に心配をかけまいと、
そして感謝の言葉を伝えようとしている。
私はこの方の前で笑顔を絶やさなかった。
時間があれば、歌いかけたし、アコーディオンの演奏もした。
その方がふるさとを一緒に歌い、涙を流した。
声が出なくなっても、歌いかければ手でリズムをとった。
口を動かした。
笑顔もあった。
でもその日、私はその方の部屋を出て、ご家族に
「本当に優しいお方ですね。」と挨拶をしながら、初めて泣いてしまった。
車に乗り込んで、声をあげて、しゃくりあげて泣いた。
それがその方とお会いした最期の日となった。
2日後の大晦日、その方は2011年が幕を閉じると同時に、ご自分の生涯の幕を閉じた。
最期まで、「大丈夫」と「ありがとう」を伝え続けることが自分にもできるであろうか。
私はその方との出会いに感謝する。
でも、ひとつだけ我儘を言えるのなら、
できたら、もっともっと一緒に歌いたかった。
毎年、大晦日が来るたびに思い出すでしょう。
どうか、安らかにお眠りください…
ありがとうございました!
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