「文化を読み替えることについて──3」
ええと、変わる前の文語調はこんなのです。
「天にまします我らの父よ 願わくは御名(みな)の尊(とうと)まれんことを、御国(みくに)の来たらんことを〜」。これをですねこう変えました。「天におられる私たちの父よ、み名が聖とされますように、み国が来ますように」。
文語体は確かにややわかりにくいけれど言葉として口ずさんでみるととても調子がいいですね。それに文語調でも意味はわからないではありません。でもカトリック教会はそれよりもさらに“意味”の伝達を重要視したわけです。
さて、では仏教ではどうか、僕の家は代々浄土真宗のお寺の檀家でして、法要とかがありますとつきあいの古い菩提寺のお坊さんに来てもらったりお寺に行ってお経をあげてもらいます。
数年前に祖父の三十回忌がありましてだいたい二十分くらいでしょうか……お経を上げてもらいました。僕はこういう仕事をしていますので、ついお経をじっくり聴きます。だってあげているお経の98パーセントは意味不明なんですからとってもヒマなわけで、まあ敬虔な顔つきをしながら片目はお坊さんの後ろ姿を眺めつつ、「これはいったいどういうことをいっているもんなんじゃろか」と考えながら聴きいったわけですね。