「文化を読み替えることについて──7」
キリスト教でいえば「アーメン」なんてのがそうですね(「アーメン」という言葉は「そうなりますように」というヘブライ語で、古代ユダヤ教の人たちが使っていたのをキリスト教徒がうけついだものだそうです)。
しかしいくら訳しがたいとはいっても意味として重要な言葉を音写するというのはまあなんというやりかたかを選択したモンだとは思いますねぇ。昔々仏教を伝えようとした方々は教えの“意味”をわかることも大事だけれどもともとの“言葉”──“音”そのものの持つエネルギーを重要視したのかもしれませんね。
まあそうはいってもちょっとはどんな意味かしりたいじゃありませんか。般若心経の最後の部分はどうなっているかといいますと、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃてぃ ぎゃてぃ はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
「行けるものよ 行けるものよ 彼岸に行けるものよ 彼岸に全く行けるものよ悟りよ幸いなれ」