「コンサートの日々──3」
僕がこの作品の存在を知ったのは1984年頃だがいつしかこれを必ず歌いたいと強く思っていた。ただ問題があった。演奏時間15分強くらいのこの作品は男女一人ずつで歌うように書かれているのだが詩の量=歌の量は圧倒的に女性の部分が多い。
今まで演奏された例としては列車の座席を模したイスを向かい合わせにしてオペラ(っぽく)やることが多かったと思うが、こうするとえんえん女性が語っている時に「男」はどうしているかという問題だ。
まあ居眠りしているとかなんか本を読んでいるとかというやりかたとかいろいろあるんだろうが、どうしても間が持たないなあと思ってしまうのだ。第一、女は黙っていたいのに男がくったくなく話しかけるというシチュエーションが根底にあるのだから男が本を読んだり黙っていたりしているのはへんじゃなかろうか。また女の歌の部分の多くは会話ではなく「回想」だから無関係に男が女に話しかけ続ける芝居ってのもうるさいだろう。照明で男を暗くするということもありだろうがこの作品ではそれもまた大がかりでそぐわないと思う。演奏会形式ならば普通に黙っていればいいのだがやはりその部分が長すぎるから変だと思ってしまうのだ。
以前座の歌会で大石哲史と梅村博美がやった時は大石さんは女の長い歌になる直前に、混雑する車内を分け入ってトイレかなんかに行ってまた戻ってくるという芝居をしていた(たしかそうだったと思う)。なるほどね……でもなあ。
そして最大の問題は僕は女性のパートをこそ歌いたいということなのだ。つーか僕はこの作品を一人でやりたい! やりたいっっっっ!
オペラとしてやらないで歌物語として成立しないだろうか。小道具はちょこんとすわれる小さなイスと登山帽だけ。表現としては芝居ではなく落語のように「演じる」のではなく「語る」ことで成り立たないだろうかと考えていた。そのために何度か新宿の末広亭に通ったりもした(この寄席のこともなかなか面白いのだが別の機会に書きますね)。