「小泉八雲について─7」
僕はこのドラマ(あえてドラマと言おう)のあまりの簡潔な書き方にちょっと驚いてしまう。これこそドラマの骨格のみを形成している文体でよけいな装飾はいっさいない。だからこそ師を否んだペトロの慟哭がひしひしと感じられるように思う。
例えばさ、これがペトロのセリフ(あえてセリフと言おう)「いや知らぬ。あなたの言うことはわからぬ」が「いや、あっしゃァしりませんぜ、おめえさんのおっしゃることはなんのことかチンプンカンプンなんで」とか「おら知らねえだ。あんたさんのいってるこたなんのこつかさっぱりわかりませんですたい」とかね、ペトロはイエスの弟子になる前は漁師だったからたぶんあまり知的な言葉使いではなかったのではないかと思うしなんらかの方言だってあったろう。だから普通の訳者であればつい当時の様子や雰囲気なんかを調べてできるだけ現在の日本人に親しみやすく置き換えたりなんかしようとするかもしれない。でもそういうあるディティールを加えれば加えるほど聖書が物語っている出来事の、なんつーかな、本質から遠くなってしまうのではないか、と思うのです。
まあつまりそういう意味で田部訳のムダな装飾のないシンプルな訳が非常に良いと思うのですね。