2013/3/9

教育してでも、いい音楽を聴いてもらおう  

バックバンドのうまみについても理解しながら聞ける日本人が少ないのも悲しいですね。東京にあるブルーノートがあれだけ小さいというのも、その事実を証明する一つでもあります。海外にももちろんアイドルと呼ばれるアーティストは存在します。常にそういった流行りものがぐるぐると市場をうごめいてはいますが、その中にきっちりといわゆる「スタンダード」なアーティストというのはのこっている物なのです。古い歌を愛する事ができるし、複雑な音楽以外にもシンプルなものを評価する事のできる感覚がまだ、外国人にはのこっているのでしょう。日本人にはその力が非常にかけているのだと思います。そういう民衆に対して、「教育してでも、いい音楽を聴いてもらおう」と語りかけてくれるような慈善的な音楽事務所はないわけで…。結局、その負のループから抜け出す事は出来ないわけですね。そういう大人が子供に、音楽を聞かせるのだから、子供もそういう能力を受け継いでしまうわけですね。深くを理解しようとしない日本人の悪い癖なのだと思います。だから色々なものに流されてしまうのでしょうね。
歌詞への思いをしっかり込めて歌える日本人が少ないのもとても悲しいですね。歌のテクニックについてぐだぐだと語る歌手は多いですが、歌詞について深くこだわって歌を歌う歌手は非常に少ないなと思います。自称シンガーソングライター的な人は全く別であるという前提でここではお話しますね。彼らは自分に関わる全ての要素を愛していますから。ハイトーンボイスで歌えるとか、ビブラートを自在にかけて歌いこなせるとか、自分は複雑なフェイクを簡単に使う事ができるとか、そういう自慢をする人は非常に多いです。しかしながら、目の前にある歌詞をどんな風に歌い崩していくか、どんな風に言葉に色を付けて歌えるか…という点について工夫しながら歌っている人が少ないのはあまりに悲しいですね。そういった表現の方が奥は深いですし、歌のテクニックについてあまり知らない人でも感動させる事ができるので、歌が下手である日本人ほどこれについて深く考えた方がいいと思うんですね。もう歌姫とか、何年に一度の逸材とかそういうのはもういいんですよ。それよりもいかにシンプルなものをたいせつにして歌が歌えるとか、そういう繊細な部分に着目してもいいんじゃないでしょうか。それができないからいつまでも、日本人は歌というものをエンターテイメント的なものとしてしかみる事ができないんですよ。
フェイクやビブラートの幅が明らかに日本人と外国の方ではニュアンスが違います。声楽の世界でも、日本語の歌はかなり後の方になって練習すると言われており、日本語はやや歌を歌うには不利な言語なのかもしれません。実際、同じアジア人である韓国人は非常に歌がうまいです。白人と比べても遜色ないような歌を歌います。しかしながら、日本人でそれに近い歌を歌える人はあまりいませんね。日本人ばなれした歌手はたくさんいますが、それはあくまで日本人離れした歌手というだけ…。本当に海外で通じる歌手というのはめったにいないでしょう。いたとしても、ほんのわずかな数になってしまうと思います。メディアでは、日本人が海外で歌を歌って拍手喝さい…というようなニュースがたまにありますが、あれは完全にバカにされていますね。「日本人の癖に、ほどほどは歌えるんだね」という悪意のこもった歓声である事がほとんどでしょう。それを真に受けて、海外でも通じる日本人だと歌って、セールスをするようなアーティストはかわいそうだなと思います。本当にそうだと信じて生きていくのは、どうなのだろうなと私個人としては思ってしまうわけです。。
歌がうまくなりたいと思うのです。おかげ様でずっと練習してきたので、日本人なりには相当うまくなりました。人に教える事ができるほどなのですが、今になってもまだまだ外国人の歌には勝てないのが悔しいです。10代の頃はミュージックバーでアルバイトをしていたのですが、そこでタレントとして働いていたフィリピン人は相当に歌がうまかったです。もちろんタレントとして日本にやってきたのだから、人並み外れて歌がうまいのは当たり前なのですが悔しいながら、次元がもはや日本人とは違うんですね。ミュージックバーでアルバイトをしている関係で、周りにあるミュージックバーやライブバーにはちょくちょく顔を出していました。大半のお店というのはやはり、日本人がタレントとしてライブをしているわけですが、残念ながらやはり日本人なりにしかうまくないのですよね。「では日本人の枠を超えなければいけないのか?」と言われると答えはNOです。文化があり、体の作りもあるので限界があるものだとは思っています。だから皆がそこを目指す必要はないと思うのです。しかしながら、戦後のジャズやブルースを聞いて育った人間としては、どうしても同じニュアンスで歌を歌いたいと思うわけです。
シンプルなものが全てだとも思いませんし、最近の音楽を私は少なからず評価しているつもりです。それがだめだと言いたいわけではなく、大切なのはルーツを探る事であり、理解していく事なのだと思います。目の前にあるものというのは、必ず「そうなる為の理由」というのが存在します。それを理解して物事を見つめるのか、そうでないのかではその人の感性に大きな影響を与えていくのだと思うのです。必ずそうなるべきであるとは言いませんが、この世に存在する全てのものを少しでも多く理解できるような自分であるという事はすごく大切であると言えます。もし自分を未来に向けて発信する時が来るとして、その時少しでも多くの人に理解してほしいとおもうはずです。そこに必要なのは自分が自分をどのような形で表現するか…という事も大切ですが、その時に相手の受け取り側の人たちはどんな人であるか…という事を想像してみると面白いでしょう。ろくに感性も育っておらず、いわゆる「わからないやつ」であったとしたら、あなたはどう思うでしょうか?答えというのはそういう事なのです。逆に言えば、今からでも私たちは過去の人たちの為にしてあげられる事があるのです。そして過去の人たちの為に自分たちが変化していくという事はとても大切な事なのです。
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2013/3/9

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