南国の発展途上国・パラオに住むアタイ。外国人の手下達とレストランやってます。千葉県船橋市出身。

2015/8/27

天皇・皇后両陛下パラオへ  パラオでの日々つれづれ

 今年は4月中旬から3ヶ月半日本に帰り通訳案内士業をしましたが、その間は予習と準備に追われ、ブログを全く更新していませんでしたので、これからバックデートでその間にあった主な出来事について投稿をしたいと思います。

 今年の4月には、とうとうパラオに天皇・皇后両陛下が慰霊のために訪れられるという大イベントがありました。私も日本からの奉迎団約60名様の担当をさせていただきました。その中で、コロールで2回、ペリリューで2回、両陛下をお客様と一緒に奉迎し、ご尊顔を拝見するという幸運に恵まれました。
 以前は正直なところ、通訳案内士として天皇制や天皇家について説明する程度にしか、皇室には特別な関心を持っていませんでした。しかし、両陛下の車が私達の前を通られたときの感動は忘れることができません。パラオで苦節〇年、それぞれ苦労をしてきた邦人達も報われたというものです。

 空港に全日空の特別機がご到着されていから、今か今かとコロールのメインストリートで待ち受ける市民や日本からの奉迎団でしたが、牛歩の如く両陛下の乗られた黒塗りの車がやってきたのには驚きました。奉迎団のお客様より、サイパンの奉迎では窓を閉めたまま高速で車が通り過ぎてしまった、という話を聞いていたからです。それが、かなりの低速の車から窓を全開にされ、にこやかに市民達に手を振ってくださったのです。大きな優しさの塊がやってくるのを感じ、前年のマーシャルやペリリューでの遺骨収集や今回のツアーの準備の苦労が思い出され、両陛下がお通りになると「この時を待っていたんだ。」という気がしたのです。パラオで苦労してきた邦人達にとっては、どんなに日本の威信を誇りに思ったことでしょうか。
 感動で涙するお客様もいらっしゃいましたし、パラオ市民が大変歓迎ムードで盛り上げてくれたのがわかりました。両陛下のお車を先導したのがパラオの白バイ隊というのも、長年パラオに住んだ者にしては誇らしいことでした。
 面白いことに、両陛下のお顔を配することができた誰もが「私の方を見てくださった!」「目があった!」と言っていたことです。私もそんな気がしました。両陛下のすべての人の目を逸らさない眼力というのは特別な力があるのだと思われました。

 両陛下がお帰りになった次の日、奉迎団の幹事様と、彼らの機関誌の記事のためにパラオの受け入れ側の役人などにインタビューして回りました。それで、牛歩の如く車が走ったこと、窓を全開にしてくださったことは、両陛下からのご希望だったと伺いました。発展途上国で両陛下を待ちわびる国民や邦人のことを思ってくださったのでしょう。

 奉迎団が帰国すると私もすぐに日本での仕事のために帰り、その後は忙しく今になって両陛下奉迎の様子をアップすることになってしまいましたが、今思い出しても感動的な一瞬でした。

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慰霊祭が行われた平和記念公園の西太平洋戦没者慰霊碑。ご来島前に大きな修復が行われました。

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オレンジビーチの米軍第81歩兵隊の慰霊碑に妃殿下が白い菊の花を献花。

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奉迎の時を待つペリリューの子供達

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奉迎の時を待つコロール市民達
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2015/3/6

引越し騒動 3  パラオでの日々つれづれ

 前のアパートには、結局1年も住みませんでした。とにかく暑くて熱気がこもった感じで、随分体の調子も悪くなったもんです。やる気も失せてきていました。が、引越し先は涼しくて快適、体調もよくなり、やる気も出てきました。
 だんだん部屋も片付いてきたある日、おもろいことを言われました。スーパーで買い物をしていると顔見知りの日本人の主婦から「あたいさん、前のアパート追い出されたんですって!?」と話かけられました。「え!?そうなんですか?」と驚くのはこちらです。アパートを追い出されるとしたら、家賃滞納とか、前のテナントのように部屋を破壊する人達です。そのどちらにも当てはまらないので、その主婦に「一体、誰がそんなことを言っているんですか?」と聞いてしまいました。誰かに聞いた、とモゴモゴ言っていましたがきっと本人の想像でしょう。
 パラオの狭い社会。何かにつけ悪い方向に勝手に想像して納得して溜飲が下がる人がいるようです。去年、日本に帰って通訳案内士稼業をしていたときも「あたいさんは離婚して日本に帰った。」と言われていたらしいです。今日に始まったことではありませんが、面白いですね。

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ミャーコもやっと落ち着きました。

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テラスに鉢をいくつか置いて世話しています。
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2015/3/6

引越し騒動 2  パラオでの日々つれづれ

 結局、引越しが作業に1ヶ月近くもかかってしまったのは、前のテナントが非常に汚く部屋を使っていたので、掃除に時間がかかってしまったからです。前のテナントがまだ住んでいたときに下見に行ったのですが、あまりの汚部屋ぶりに参りました。誰かを家に入れるとしたら、最低限の片付けはするものと思われますが、お構いなし。本当に臭くて、鼻をタオルで押さえながらの見学でした。部分的に破壊されているところもあり・・・、家主に「この人達早く追い出した方がいいよ、さもないともっと破壊される。」と言ってしまいました。と言うのも、10数年前にこの部屋の下の階に住んでいたことがあって、引っ越し先は当時の大使館の上司夫婦が住んでいたのでした。奥様がきれいに掃除をしていたので、それはとても素敵なお家で、私らも憧れていたのでした。が、その理想の部屋がアメリカ人とフィリピン人のカップルに破壊されつつあったのでした。

 聞けば、アメリカ人の方が国選弁護士だったようですが、クビになったので家主が出ていってくれ、となったらしいです。結局、そのカップルは予定日を1日伸ばしてやっと出て行ったのです。しかし、部屋に入ってみると変わらぬ汚部屋ぶりです。立つ鳥跡を濁さず、とは彼らには通じないのでしょう。ゴミは捨てていないし、トイレのボールも汚れたまま、冷蔵庫には食べ残しが入ったまま、キッチンは油でギトギト。アパートを掃除するという観念はないのでしょうか?ホテルと同じように考えているのでしょう。
 とても、すぐに住める状態ではなく、あまりの汚れと破壊ぶりに、いくつかの備え付けの家具(バスタブ、シンク、トイレの蓋、ブラインド、電気、冷蔵庫・・・)を家主と相談しながら部分的に自費で入れ替えることにしたのです。家主のメイドさんも掃除をしてくれたらしいのですが、歩けば足の裏が真っ黒、棚の中は埃だらけ、で結局は自分らで大掃除をしてやっと引越しとなったのでした。引越し業者などないので、自分達の家具や荷物を運ぶのに(20年近くもパラオにいるので捨てられないものが大量!)何回も往復してやっと2月の中旬に落ち着きました。
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すっかりなついた家主のワンコのブラウニーちゃん(メス・2歳)。すぐにごろんと腹を見せる人懐っこい番犬です。
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2015/2/21

引越し騒動 1  パラオでの日々つれづれ

 またしても日記更新までに日が経ってしまいました!というのも、この1ヶ月は引越し作業に時間を割かれていたからです。12月上旬にパラオに帰ってきてから、年末年始からずっと体調がすぐれませんでした。パラオ全土で、インフルエンザが流行っていたようですし、日本との気候の違いに体がついていけなかったのかもしれません。また、遺骨収集ツアーで何か持ち帰ってきてしまったか・・・などの憶測もありました。が、おそらくは、以前住んでいたアパートのこもったような気温と湿度の高さが一番の原因だったかもしれません。
 既に去年の秋頃に、知り合いのパラオ人のオーナーから「アパートの部屋が空く予定なので、移ってこないか?」と話をいただいていたのです。前のテナントの都合で1か月予定が伸びましが、今はようやく心機一転、別の宿へ引っ越しました。

 今回の引越し作業に触れる前に、まずは、パラオでの外国人の住宅事情をお話したいと思います。外国人は土地の所有ができないため(リースのみ可)、殆どの外国人は賃貸アパートに住みます。パラオに長年住んだ払った家賃を考えると、家を建てた方が安いのですが、日本のような借地権、占有権が整備されていないようで、何かあると地権者が強く上物は取られてしまう、という例もよくあります。所詮外国人なので、裁判沙汰となると弱いです。家賃はたいてい日本と同じです。しかし、広さはあります。が、使い勝手は日本のマンションのようには行きません。一軒家に住んでいたこともありますが、とにかく泥棒に入られることが多いので、治安の面ではアパートの方が安全です。

 アパートにもクラスがあって、たいてい割とまともな所に住んでいるのは、欧米人、日本人、韓国人、台湾人です。出稼ぎのフィリピン人、バングラデッシュ人はこういったところには住めず、「バラックス」と呼ばれる集合住宅に住みます。日本人が住むようなアパートの3分の1以下の値段ですが、それでも「今まで住んだ中で一番まとも、一人部屋を持てたのは生まれて初めて」と言ってくれます。日本人では、なかなかこのランクの住居には住めないと思います。パラオでは当たり前の蟻、ゴキブリ、ヤモリを見ただけで、大騒ぎですから。
 国の法律で、大抵の場合が会社が住居を世話する(住居費を持つ)ことが多いです。数年住んでパラオに慣れてきたら、自分で住居を探して会社の補助にプラスして引っ越す人が多いです。

 昨今では、パラオでも中国投資ブーム。雨後の筍の如く、あっという間に漢字の看板の店が増えています。そんな彼らは、地元の標準より高い値段を提示して「アパート全館を買い取り」、安ホテルに改造しています。そんなことで、「そのうち出ていってほしい」と言われているテナントもいるようで、現在アパートの部屋数が大変少なくなっています。値段も高騰しているのもやっかいです。
 やっと落ち着いた引越し先にも、中国人らしき人々がバンで乗り付けてやってきました。オーナーが不在で帰っていったようでしたが、とうとう来たか、という感じです。

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以前のアパートの駐車場にあった看板。併設のレストランの階段の下にありましたが、こんなところで小便をする人がいるのか・・・。
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2015/1/5


 2015年、正月から灼熱!暑いパラオです。
クリスマスから体調を崩し、熱が39度近くまで吹き出しましたが、新年からボチボチ体調を戻しつつあります。南国での遺骨収集事業に2連ちゃん参加で疲れが出たか、寒い日本から灼熱のパラオで気が抜けたか、なかなか調子が戻らないパラオ生活であります。

 新年は毎年恒例で、ツアーの弁当の準備に忙しいレストランの厨房の一角を借りて、従業員の皆さんに雑煮を振る舞います。新年は1年で一番忙しい日、せめてもの腹ごしらえをしてツアーに出動してもらいます。当初は日本から遠く離れて新年を迎える日本人スタッフに少しでも喜んでもらえればと思ってはじめましたが、元々日本の味に慣れている地元パラオ人の従業員も、出稼ぎのフィリピン人従業員も残さず食べてくれるようになってきて、日本の正月の雰囲気を少しでも知ってもらえればと思います。
 我が家の雑煮は、長岡出身の祖母の味ですが、日本にいる頃に実家で母、祖母を手伝っていたのが、よかったです。懐かしい新潟の味をパラオで再現、これも先祖供養につながると勝手に思っています。地方や家庭によって雑煮の味はかなり違うと思います。以前、当時いた料理人にお雑煮を作ってもらったことがありますが、具が鳥の皮と青菜だけ、という侘しいものだったので、やっぱり自分が作ることにしました。
 具が多い越後風雑煮は、パラオで食材の入手が結構難しいです。日本からの輸入の割高の冷凍鮭、ごぼう、こんにゃく、かまぼこ、油揚げに加え、地元でとれた人参、大根が入ります。レストランのオーブンで30分くらいかけて、こちらのスーパーで売っている佐藤の切り餅を焼いて入れます。
 日本で具材を揃えるより、味は劣りますが、これらの具が混ざり合ってよい出汁になります。子供の頃から食べていた越後の雑煮の味と共に、大晦日は不眠不休でアメ横で買った大きな鮭を出刃で裁き、たくさんのご馳走を作ってくれた祖母、母を懐かしく思い出します。
 今は亡き母に祖母ですが、本当の味はこれでよかったのか?もう一度作ってもらいたいものです。

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