ここのところ、集団で物事を決めるという場に接することが非常に多い。地元でたずさわる災害対応CBO(Comunity Based Organization)、テロ対策を講じる図上演習企画、ソウルで企画しているシンポジウム、そして都議選…。
考えてみれば、集団で物事を決める究極の場が政治なわけで、様々な場を通して考えさせられることが多い。もっとも、会社員だった頃を思い返しても、日々組織のなかでその訓練をしてきたわけで、今となると非常に貴重な経験を積み重ねたことを懐古することもある。
集団で物事をなすことの最大の醍醐味は、個人ではとても叶わない大きな成果を生み出すことができることだろう。人間一人の発想力や行動力では、集団のそれにとても太刀打ちできない。しばしば言われる、「みんなで何かを実現したときの達成感」とは、そのプロセスに生まれる連帯感に加えて、こうした結果への満足感に支えられるものだと思う。
ただし、そこに至るまでには、集団で物事を決めるという苦難が待ち受ける。人数が多ければ多いほど、合意形成は困難であり、またそこに至る作業量も増える。成果の良し悪しは、このプロセスの如何に多く依拠しているようにさえ感じる。
特に、ビジネスの世界においては、集団で物事を決める手法は重視され、会社の文化ともあいまってそのノウハウが蓄積されている。色々違いはあるだろうが、それでも基本はそれほど変わらないだろう。
その場において、何を議論するか、何を決めるかというフォーカスを確立し、そこから外れないように参加者が意識し、仕切る人間は随時軌道修正を行い、議論の収束点を最後に確認し、次回はその確認から再スタートする。
様々な場で、「集団で物事を決める」に至らないもどかしさを感じているが、原因を考えると結局はこの単純なプロセスの欠如に行き着く。実践が言うほど簡単でないことは重々体感しているわけだが、究極の集団意思決定「政治」の場においても、忘れてはならない重要なポイントであると思う。
個人ではとても叶わない大きな成果をより安価に…、生産性の高い政治を具現化するために。