神戸から今日帰宅。関西は既に梅雨明けしたかのようにカンカン照り。地元の人間に言わせれば、「ここ最近こんなもんだよ」とのことだが、まだ曇りがちな関東から行くと、倒れそうになる暑さだった。
今回の最大目的は、阪神・淡路大震災の記念館「人と防災未来センター」。前から行かなくてはと思っていて今日まで延び延びになってしまっていた。地震を語るからには、阪神・淡路を無視することはできない。文字情報や伝聞情報はこれでもかというほど集積してきたが、もう一段上のリアリティを自らに植え付ける必要性を感じていた。同時に、いかにして他者にリアリティを実感してもらえばいいのかを考える目的もあった。
リアリティを共有できないと、「地震のときは、行政に頼っちゃダメなんです」「自分たちでどうにかするために、日頃から準備が必要なんです」「耐震補強しましょうよ」「家具固定しないと、自分が犠牲者ですよ」なんて言っても、その場限りで終わってしまう。災害対策をテーマとするWS(ワークショップ)やDIGと言われる図上訓練においても、地震災害のリアリティ共有は必須だ。
「防災」という言葉が新聞に出てくる回数が増えたように思う。関心が高まっていることは良いことだ。この機運を何とかして、「自助と共助の強化」、それを前提とした「公助」のデフォルメにつなげたいと思う。今のところは、まだ「防災」という名の雰囲気でしかない。
さて、「人と防災未来センター」。なかなか私のニーズにマッチしていたように思う。始めに入る部屋では、暗い壁面全体に崩れていく建物が映し出され、「ゴォー」という轟音と、「ブルブル」という振動が、犠牲者6,400人超のうち8割の原因になったという建物倒壊のリアリティを体感させてくれる。起震車とは全く違う。明るい屋外で、ちゃちなセットが少々固定されいて…という揺れでは、あの恐怖感は味わえないだろう。もちろん、実際の倒壊の恐ろしさに比べれば、それでも何分の一程度であろうことは理解しているが。
その後に続く、発災直後から復興に至る出来事が被災者の言葉の集積として並べられている。ほとんどの人はさらっと眺めていったが、私は一つ一つ、丹念に読み込みメモを取る。バーコードリーダーを借り、それらの追加説明にも目を通していった。おかげで、1時間程度と書いてあった館内見学に約3時間を要した。
問題は、私が活動のなかで、どうそのリアリティを伝えられるかということ。特別な方法を思いついたわけではないが、今回の経験が今後に活きてくるだろうという気はしている。防災館を出て改めて考えたのは、私にとっての今後は、情報インプットではなく、そのアウトプット、活用、実行・実践あるのみだろうということ。行政に依存しない自助・共助の枠組を具現化すべく、行動を続けたい。その先にあるゴールは、単に災害のみでなく、日本全体、あらゆる課題に作用する新しい社会原理、社会のしくみなのだ。