「防災」という言葉をなるべく使わないようにしている理由はこれまでも何度か書いてきた。行政がやるもの、「防ぐ」ことに注意が向きすぎて「起こった後」への配慮が欠けていること、なによりもそうした既存の「防災」イメージを回避したいということだ。
結論として、我々一人ひとりが自ら(協力して)対処しなければならないとして、しばしば重視される組織が「自主防災組織」である。これについても、地域の実情を知る貴重な主体であるが、高い組織率は空箱である場合が多く、これだけで対応することは難しいということを書いてきた。全国平均60%、神奈川県80%、県西部では90%の組織率だが、あなたはメンバーの自覚がありますか?、いざという時に何をするか意識していますか?という話だ。
明治大学危機管理研究センターのHPに掲載されている
レポートはこの話を悲惨なほど裏付ける。20代、30代という「自治会」という存在に関係しづらい年代が回答者の過半を占めることを割り引く必要はあるが、自主防災組織、消防団、ボランティアなどへの所属経験を聞く問いに対して、『あり』は1割、『なし』が9割となっている。行政の発表する、60%や80%といった数字の中には、こうした人が相当数加算されていることは言うまでもない。
「上げ底」は止めたい。実態を直視して、起こりうる危険に真正面から向き合いたい。その上で、机上論を廃して、具体的に行動を始める私たちでありたい。
こうした実態をもとに、自主防災組織不要論、無視論を唱える人がいるが、私は賛同しない。聞こえの良いボランティアやNPOだけでなんとかできるほど現実は甘くない。しかし、一方で、得てして旧態依然とした行政論理の中にある自主防災組織一本やりの議論には辟易とする。
自主防が持つ地域情報やネットワークを活かし、自主防が持たない組織的マンパワーをボランティアが補う。ボランティアが持つボランティアセンター・マネジメントなどの専門性を活かし、ボランティアが持たない地域の阿吽の呼吸を自主防が補う。そんな補完的な相互作用、相互融合がいま求められているはずだ。
これまた現実はあまくない。単純に自主防とボランティアだけとっても、相互に壁が存在してなかなかうまく交じり合えない。本当は、この2主体だけでなく、行政も、社会福祉協議会も、民生委員も、地元企業も、災害とは別個の市民団体も、全てが交じり合って「主体」を構成しなければならないのだが。
どうもその域に達している地域にはお目にかかれない。各地それぞれ、それなりの母体に成長してきた過程は異なる。行政が言いだしっぺだったり、社協が事務局を担っていたり、NPOが突出していたり…。地域特性が違うから、「コレが正解」といったパターンは存在しない。各地の試行錯誤をじっくり把握しつつ、自らが住む場所に最適な方法を模索する毎日が続いている。