パブリック・ディプロマシー(public diplomacy)という言葉がある。聞きなれない言葉かもしれないが、直訳すれば「大衆外交」とでも訳せようか。先日、ある会合で話題にのぼった言葉である。
通常、外交とは国家が国家を対象として作用しようとすることである。パブリック・ディプロマシーは、国家でなく、その国家に属する国民を対象とする点で区別される。国家に直接働きかけるのではなく、相手国の国民(多くの場合その国を動かす主権を持つ)に対して働きかけ、結果として相手国そのものに作用しようとする試みである。
会合で出た話は、韓流は「文化侵略」ではないか、というグロテスクなもの。個人的には、韓流で日韓の情緒的な対抗感覚が薄れるのなら、それでいいではないかと思うし、ソウルで反日デモがあっても「ヨン様」を求めて渡航するオバちゃん達がいることは良いことだと思う。
文化侵略であるかはともかくとして、韓国が国家戦略の一つとして映画という文化を対外的に広めていることは間違いない。純ビジネス的観点だけでなく、そこに様々な「意図」があることも事実だろう。一昔前に流行った「ソフト・パワー」が、まさに映画・ドラマということになろうか。日本向けという意味で、韓国のパブリック・ディプロマシーは成功事例として挙げられよう。
外交・安全保障の観点から、地域安定のために共通の価値観の必要性がしばしば説かれる。パブリック・ディプロマシーは、まさにこうした共通の価値醸成に寄与していると評価することは可能だろう。そして、同時に、パブリック・ディプロマシーの場は各国固有の価値観を広めるための手段であることも意識すべきだ。国家間関係には本音とタテマエという二面性があることの最たる事例かもしれない。
さて、日本のパブリック・ディプロマシーとは。音楽やアニメをはじめとして、コンテンツは色々ありそうだが、それらが効果的に、時に戦略的に用いられているようには思えない。各国それぞれ、持っているリソースは異なるわけで、猿マネは通用しない。日本にも戦略的かつ独自の「ぱぶりっく・でぃぷろましぃ」が必要に違いない。