自民党、民主党を問わず、「構造改革」という言葉を現下に否定する候補者はいないだろうと思う。もっとも、選挙用のキャッチフレーズと言う意味では、自民党のモノなのだろうが。
さて、そこで言う構造改革の「構造」とは何か?立候補者のHPなどを見る際、私はその視点から見ている。別に構造改革という言葉を使う必要性はない。用語など何でもよい。ただ、その候補者(厳密にはまだ予定者ですが)が、何をターゲットとして政治家たろうとしているのかを踏まえるにあたって、最も根幹をなすのが、その人物が考える「構造」の定義だろうと思う。
大半の人物に、その定義は無いように思われる。『愛国心を芽生えさせる教育を』、『か弱い地球環境の保護を』、『ベンチャービジネスの後押しを』…。数限りなく、政治的ターゲットとなる政策が並ぶが、多くの場合、それらの羅列に見えてしまう。
別に羅列が悪いわけではない。それだけではダメだと思うのだ。『愛国心を芽生えさせる教育』を実現できたら、政治家辞めるんですか?『か弱い地球環境の保護』を実現できたら政治家辞めるんですか?ほとんどの候補者の答えは「NO」だろう。だとしたら、羅列した政策群は、「何か」のone of them でしかないはず。羅列を生み出したはずの、その人なりの根源があるはずなのだ。そこまで触れられている文章やHPは少ない。
足りないモノは何か?それが、その人物が考える「構造」である。現在の日本を、現在の社会の何がダメなのか?数々ある問題の根底に何が存在するのか。もちろんただ一つだとは限らない。しかし、突き詰めていった場合、根源にある政治的ターゲットはせいぜい2、3だろうと思う。
私は候補者ではないが、私だったら、社会における「垂直的主従関係」を改革すべき「構造」と定義するだろうか。役所と住民の関係、官と民の関係、国と都道府県、都道府県と市町村、様々なレベルにおいて、日本に残存するお上と下々という意識構造。
上っ面の「市民主義」を標榜するつもりは無い。しかし、「お上と下々」という意識から産まれる「依存」と「上から下への一方通行的社会構造」は、集中発展期を過ぎた日本における、足かせに過ぎなくなってしまった。
今語られる、財政の問題、地域主権(地方分権)の問題、社会保障の問題、外交、軍事、教育、雇用、景気・・・、あらゆる政策領域に共通する課題は、「依存」と「それを是認し再生産し自己増殖させるシステム」であり、その大本にある「構造」として、私は社会における「垂直的主従関係」を見ている。
日々、考え続けていることなので、今ここで全てを必要十分に表現することができないが、正しいか間違いか、共鳴できるか否かを問わず、その人物がどんな根源を持っているのかを知らせて欲しいと思う。国を担う一員たろうとする人物、そのくらいの腹はおっぴろげるべきではないか。広げた腹にそれがないならば、そもそも選挙にでることが妥当なのか考えるべきだと思う。
それくらいのモノが無ければ、限りない困難を迎えても「それにも関わらず!」と言い切ることができる政治家、M・ウェーバーの言う『天職』としての政治家には到底なりえないと思う。
そんなことを考えながら、この暑い中も、自らを鍛えている(つもり)。