ほんの少しだが目の前の「処理すべきこと」から開放されて、乱読モードに入っている。読もうと思っていて溜めてしまった本が文字通り山積みで、そろそろ「崩落」の危機だ。
ざっと見て30冊ほど積んであるのだが、大体4つくらいにカテゴライズできそうである。歴史系(日本近代と中国近代)、社会学系(コミュニタリアニズムと宮台真司)、災害系(コミュニティ防災と国民保護)、そしてインテリジェンス系だ。
インテリジェンス関係については、これまでも継続的に追いかけてきたつもりだが、ここに来て読み直しも含め、再度網羅しようとしている。外交面において、結局のところ、日本は「したたか」に生きていくことが死活的命題になってくると考えている。数あるこれまでの不作為を解消することは当然として、世界情勢と周辺環境、日本としてパワーゲームの第一人者を目指すことの期待収益の低さを考慮したとき、日本が選択する路線の一つは「したたか」な立ち回りにあるに違いない。
その観点からインテリジェンスの能力向上は中長期的な死活的命題だ。ただし、それはしばしば言われるような「○○庁」などというハコを作っても何の解決にもならない。結局は、そこに関わる人の地道な積み重ねとセンスに大きく依存するわけで、それを長い目で育て運用する価値観が必須だ。各国が水面下でしのぎを削り、情報の収集・分析・評価に膨大な労力と金を費やし、これまで蓄積してきたものを、ゼロから始めるわけではないにせよ、日本がしたたかさを生み出すまでのインテリジェンスに高めるには並大抵の努力では済まないだろうと思う。
今日もそんな研究会の一つに参加させていただいた。情報からインテリジェンスを生み出すに要する労力の大きさ、そして改めてインテリジェンスの重要性を思う。そうしたインテリジェンスを的確に価値判断し、大局的観点から政策反映させることのできるセンス、本当の実力が政治に求められることは言うまでもない。
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