「官から民へ」という言葉があるが、どうにもしっくりこない。×(ばつ)ではないのだが、△(さんかく)という評価。私の言葉で言うと、「行政主導から現場主導へ」となる。
間違いではない。少なくとも、冒頭の"官から"について異論はない。ただ、全部が民へかというとそういうものでもない。官から…と続けるときに連想されやすい、「官僚批判」についてもそのまま乗っかろうと思えない。
「行政主導から現場主導へ」は、私がずっと関わってきた災害対策の政策分野から導いた言葉。発災直後の緊急対処から、ある程度の応急対処、そして復旧へと、最も力をそそぐべき「現場」は刻々と変わる。既存の災害対策(未だにそうだと考えているが)は、見事な行政主導。
事前に練ってある防災計画・地域防災計画には、これでもかというくらい、役所内部での対応内容が連ねられ、被災者という人間の姿が現れない。自主防災組織やボランティアの重要性が語られつつも、それを災害対策全体のなかに「組み込もう」とするばかりで、自律した機能と機能という観点から相互に連携しようとする具体的取り組みに、皆無とは言わないが、なかなかお目にかかれない。
「行政主導から現場主導へ」は、災害対策のみならず、数多くの政策群に求められている一般理念だと考えている。地方分権という言葉で語られる領域で言えば、基礎自治体(市町村)という「現場」主導に持っていかなければ、「どの町でも共通にやるべきこと」をほぼ終えた日本社会は、必ず先細りする。
九州を中心に、豪雨災害が連日報道されている。こうした災害後、必ず各議会では、とおり一辺倒の対策強化が語られるが、小手先の技は長持ちしない。今求めれらていることは、大元の考え方、方針、コンセプトを変えること、即ち「行政主導から現場主導へ」に他ならない。
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