夕方、弔事があり、久々に電車に乗って横浜へと出かけました。Suicaの残高を見て、ここ1か月ほど、全然電車に乗ってなかったな…と。お盆の車内は、いつもの客層と違って、お盆休みの雰囲気満載。お悔やみに行く途中でしたので、人間の人生って、とちょっと考えてしまったひと時でした。
シャツが透けて見えるほど大汗かいて戻ってきた駅で、「大切なもの(「こと」だったかな?」というポスター・キャッチフレーズの一部が目に入りました。なんだか気になって、家に帰る道すがら、「大切なもの…」、「大切なもの…」、と繰り返す。
帰宅してたまたまテレビをつけると、終戦記念日ということもあり、NHKで憲法9条改正是非についての討論番組をやっていました。その中で、「もう10年以上も月10万円そこそこの収入でフリーター生活をしている。このまま浮かばれない自分の人生を変えるためにも、とりあえず憲法が変わればいいことがあるかもしれないと思って、改正に賛成する」という主旨の発言がありました。
改正賛成の論拠としては、かなり論理の飛躍があるので、改正すべきとの立場をとる私でも同意はできない意見ですが、それを聞いたときに思い返したのが、「大切なもの」って大事だなということです。
守りたいもの、大切なものがなくなると、少しずつ論理の飛躍がおき始めて、ついには自暴自棄にも陥ります。一人の人間も、一つの国家も。国内が切迫した国が、対外戦争を起こして、自国の一体性を高めようとした例は、歴史上枚挙に暇がありません。守りたいもの、大切なものが大切であればあるほど、人間は極限まで冷徹に、その大切なものを守る手段を考え、BESTとはいかないまでも、BETTERな選択肢をとるはずです。
日々、ニュースや新聞に上る、倫理や道徳の崩壊といった問題の根っこには、「大切なもの」がなくってきてしまった、もしくは、大切だと思えなくなってきてしまった、という実状があるのかもしれません。
ここでいう「大切なもの」とは、倫理や道徳という一般論ではなくて、友達だったり家族だったり、きれいな道路だったり、安心して遊べる環境だったり…、といった具体的な「大切なもの」です。倫理や道徳が大切だからと言って、抽象論を教育で植えつけても、その実体である、「具体的に大切なもの」がなければ、倫理や道徳は文字情報と音声情報でしかないのです。
あなたの大切なものってなんですか?結構、難しい質問です。正解もないでしょう。ですが、この問いに、老若男女が笑みを浮かべて「○○!」「○○かな」と答えることができる社会は、おそらく「いい社会」だと考えます。今という時代、今の日本が、この意味で「いい社会」だとは、どうも言い切れません。
「大切なもの」が薄れてきてしまったかもしれないというのは仮説ですし、その確たる原因も全て定かではありません。倫理や道徳の退廃として語られる事件が、実際は制度的な問題が根本である場合も多いということも認識しています。
しかし、「大切なもの」、「大切なこと」。形あるもの、ないものに関わらず、それは人間の生きる意味に通じ、ひいては、国、社会の在り様にも通じていく…。私の活動のキーワードの一つに加わったように感じています。
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