去年は相次ぐ大規模災害発生のさなか、「要援護者(災害弱者)」の用語が新聞をはじめとした多くの媒体に見られた。
来年を人口のピークとして人口が減少していき、超高齢化社会に入っていこうとしている日本にとって、日常のみならず、災害時の高齢者対策を含む要援護者対策は大きな課題である。
災害への対応は「事前準備→応急対応→復旧」の時系列に沿って考えるのが原則だが、要援護者対策において特に問題になるのは、「応急対応」の次元である。具体的な問題は何か。
生命に関わる最重要ポイントは「避難」である。例えば足に不自由がある高齢者や障害者にとって、避難はそもそも困難である。考えられる対応は、発災直後の状況を踏まえると、家族もしくは近隣住民の手による避難介助以外に存在しない。家族が対応できればよい。しかし、独居老人の増加は家族のみで問題解決に至らないことを意味する。では近隣住民…。
言うは易し、本当にそれが可能か?誰(避難介助を必要とする要援護者)がどこに住んでいて、どの部屋に寝ていて、常備すべき薬が何で…。近隣住民としてそれを把握している人間がどれほどいるだろうか。こうした情報は地域の民生委員が保持している場合が多いが、当然プライバシーの大きな壁にぶつかり、仮に情報集約ができたとしても、情報活用はままならない。
この課題について先駆的取組を行っているある自治会責任者の方にお話を伺ったことがある。プライバシーをはじめとする諸課題を乗り越え、情報活用に至らせるしくみ構築に至らせたのは、結局、その方の「俺が全ての責任を取る」という言葉であり、熱意ある行動であった。
やり方によって対応可能であるという事実と、一方で全国津々浦々までの対応が困難であろうと感じた一幕であった。しかし、いずれにしても、何からの手を打たない限り、避難できずに生命をより危険にさらす要援護者を残存させてしまう。個々の地域の実情に合わせた本気の対応以外に術はない。「高齢者と障害者の方に手をかしましょう」などというキャッチフレーズは役立たずである。
さて、災害領域のみに限らずであるが、助け合うこと、福祉の領域では高齢者、障害者がクローズアップされる。既に記したようにそれは非常に重要なポイントであるが、どうも偏っている気がしてならない。子供は?妊婦は?赤ちゃん連れの母親は?
助け合うこと、困っている人に手を差し伸べることは大切だが、それはおじいちゃん、おばあちゃんだけではない。報道における要援護者の取り扱い方、焦点の当て方を見ていて、気になり続けている。