私が災害対策を考える上で、最も重要なコンセプトとしている考え方が、「自助>共助>公助」である。
従来、災害対策は主に行政が対策を練るものであり、必然的に「公助」の側面が強調されてきた。水害を防ぐ河川工事をいかにすべきか、地震に備えて耐震工事をいかに促進すべきか、被災時の情報連絡をいかにすべきか、被災後の復旧資金をいかに調達すべきか・・・。
これらが重要なことは言うまでもない。そして、昨年続発した大規模災害において、まだまだ対策の採られるべき余地が大きいことも立証された。
中越地震の規模に対して、死者が相対的に少なかった要因に、雪国仕様の強固な住居の存在があったことは明らかであり、それゆえ雪国仕様でない地域の住宅耐震化の必要性が一定の政策的支援のもとに推進されるべきであることは、今回の一つの教訓とすべきであろう。
また、三条などを中心とした水害に際して避難勧告の伝達ミスが問題となったが、伝達手法のあり方という課題も言わずもがなである。これに関しては、既存の手法(防災無線、広報車、自治会長経由の口伝)では解消されえず、昨年来取組が開始された国民保護法制との関係も含め、one to one の個別伝達手法を構築する以外に、解決の方法はない。こうしたハード面に加えて、ソフト面の伝達ルート向上による多重的伝達ルートの構築が必要である。
だがしかし、である。以上に述べたような、行政による施策のみではなんら問題は解決しない。阪神・淡路大震災で推定される生き埋めになった人数は3.5万人である。このうち、消防・警察・自衛隊という「公」の手によって救出されたのは2割強の8,000人に過ぎず、うち半数は救出後に命を落としている。一方、近隣住民等によって救出された2.7万人は8割が生存。
この事実をどうみるか。もちろん、救出の難易度が高いがゆえに「公」の手による救出以外に方法がなく、そのため生存率が低くなった側面はあろう。しかし、1分1秒でも早く救出・治療がなされれば、生存率が劇的に高まるであろうことは自明である。特に発災直後においては、「公」を当てにすべきでなく、「自助」がカギになる一例である。
発災直後の混乱期を過ぎても、行政に任せればいいわけではない。そうであれば、「災害ボランティア」などは不必要なわけだ。行政とは、計画的に継続的に公平に物事を進めることを得意とする。むしろそのために組織構築されているわけであり、有事を想定した組織とするならば、それは何倍にも人員を抱える非効率極まりない組織とならざるを得ない。
だとすれば、なおさら災害時において「公助」に依存してはならない。非日常でなくなった瞬間に、我々は「自助」を限界まで追及し、そこで至らない課題を「共助」として、特に近隣住民・地域社会にて解消し、そのうえで初めて「公助」を求めるべきなのである。