自らをさらけだすのはとても難しい。自分のことは自分が一番良く分かっている一方で、誰もが理想の自分像を持っている。なかには「自分のことダイスキ」というタイプの人もいるが、大半の人は理想の自分像と現実の自分像のギャップを自己認識している。
そうしたなかで、自らをさらけ出すには非常に勇気がいる。ある意味では、ダメな自分を開示しなければならないからだ。ただ、特に最近、できるだけさらけ出そうと思うようになった。結局のところ、自らの本質は偽れない。周りの人も、口に出すか出さないかは別として、その本質は見抜いている。だったら、無理に取り繕うのはやめよう、そう思うのである。
思うのは簡単で、実行が難しい。こう書いていながらも、自分でできているとは思えない。ただ、少しずつできるようになってきたのは、自分なりの割り切りと覚悟が固まってきたなのかも知れない。
自分を良く見せ続けようとするならば、小さな世界の中で縮こまり続けなければならない。確かにそこでは、ある意味で自分を守ることはできる。しかし、そこで失うものは巨大だ。むしろ、理想に近づく機会を自ら放棄しているに等しい。
所詮、そんな大した人間ではありません。でも、前向きに向上していこうとする真摯な心は持ち合わせています。ダメでも何でも、こう生きるほうがどれほど人間らしいか。
別に自分のことが嫌いなわけではない。やるべきことを懸命にやってきた自負もあるし、これからもやり続ける覚悟を持っている。自らの行動と存在に自負を持ちつつ、謙虚さを持ち合わせ続けたい。2年間の研修期間を終え、最後の1年に入るにあたって、やや落ち着いた日常生活のなかでしみじみとそう思う。