災害時の対応を、現場から、ミクロな単位から突き詰めて考えていくと、どうしてもコミュニティそのものの問題にぶち当たらざるを得ない。コミュニティの崩壊とは書かない。あえて変質と書く。
災害対策基本法、地域防災計画、国民保護法とその指針。あらゆる災害時の対応において、コミュニティ防災の核として自主防災組織が位置づけられる。しかし、既にこの世界では「常識」として語られるように、自主防災組織、二アリーイコール自治会は弱体化している。
自治会役員の構成において、年齢層は高齢者に偏り、住民層は旧住民中心、一般会員は名目会員が増加し、胴体のない体に近い姿がある。もちろん、地域差は大きい。東京のど真ん中と、地方の中山間地とでは全く事情が異なる。同じ市町村内でも、地区ごとの違いは大きい。しかし、一般化したときに弱体化した自治会は、既に論証を待つまでもないコンセンサスであろう。
コミュニティ論をアカデミックに追及したことはないが、コミュニティの組織原理が全く変わったことだけは明らかに指摘できる。かつての地縁を媒介としたコミュニティは、その姿を全く変えた。
どう変わったか、そのコミュニティの問題は何か、目指すべき方向は何か、具体的に何をどうすればその問題は解消するか。今後、適宜、その論点に触れようと思う。コミュニティへの期待は、政策課題を問わず多くの領域で言及されるものの、その視点が崩壊の復古にあることに違和感を覚え続けている。
何が原因で「崩壊」に至ったのか。この点を明確化しない限り、復古の是非と可否は論じられない。追々言及するが、私は既存コミュニティの組織原理を基本的に肯定しつつも、古きよき時代を回顧する視点から未来は生まれないと考えている。伝統的組織を活用しつつも、「崩壊」に至った原因を回避する新しいコミュニティの組織原理との融合が不可欠であると思う。
書きたいことは山ほどあれど、今日のところはこのあたりにしておく。特に災害時のコミュニティ機能に留意しつつ、そこからの昇華を踏まえて、新たなるコミュニティ論とそのための政策課題を少しずつ具体的に検討していく。