脱線事故に関するメディアの報道スタンスに嫌悪感を抱いている。それは、多くのメディアにおいて「絶対善」の立場からの表面的な報道が目立つように思うからである。
事故車に乗車していた職員が現場で救助活動にあたらなかったこと、事故当日にボーリング大会が実施されていたこと。こうした事実が、本当に新聞・ニュースのトップを飾るほどの重大性を秘めているのか?
こうした事実関係に問題がなかったとは全く思わない。ただし、それは、JR西日本という会社内部に視点を置いた場合に強く意識されるべき事実関係である。今回のような重大事態において、社員がそれに応じた行動をとれなかった事実があったということに対する、会社としての対応は必須である。100名を超える人間の命を終わらせてしまった責任からは逃れようがない。
ただし、社内での重要性や遺族にとっての重要性は、社会的重要性とは全く次元が異なる。確かに、報道にあった「非難されるべき」行動がなかった場合、その後の救助活動に多少の進捗効果を与えたかもしれない。しかし、現時点において、より社会的インパクトが大きく重要な点は、経営面をもふくめた「事故発生原因」の検証と再発防止の論考であろう。
なぜ運転士は急いだのか。個人の資質と経営方針と現場の雰囲気と責任者の指示…。「急げ」という暗黙の了解があったとすれば、それをもたらした社会的ニーズとの調整はどうあるべきなのか?具体的に言えば、利便性を落としてでも安全性を高めよと本当に世論が考えているのか?ATSがどうのこうのというハード面のみならず、こうしたソフト面の原因究明が本質ではないのか?
職員の事故後のあるまじき行動をこれみよがしにトップで報じるメディアを見て、GW中にそれ以外の大きなニュースがないことを喜ぶべきかとも思う。しかし、本当はもっと掘り下げるべきテーマが隠れているはずだ。浅薄な週刊誌ならともかく、新聞・テレビをはじめとしたいわゆる大メディアには、表面的批判を繰り返す「良い子もどき」でない奥深さを求めたい。
事故後になって、「○○線またオーバーラン○m」などという人為ミス関連の記事が増えている。普段から大きく取り上げているのならそれはそれでいい。しかし、駅でドアを開け忘れたなどというニュースがいつも大きく取り上げられているようには記憶していない。世間的関心事項に便乗するだけで中身のない情報に、メディアによる都合のよい「良い子気取り」を感じ、嫌悪感を抱くのは私だけだろうか。