想定外  

2011年の流行語大賞「絆」
映画「アバター」の主人公が、ある星の空を自由に飛ぶ怪鳥と絆(触手)を結ぶと人間様と一心同体のように自由に一緒に飛ぶことができる。
安勝様も馬の気持ちを理解して一体的に操る感性の持ち主かもしれません。
男女の絆とは、男と女がセックスで結ぶこと。これ以上の絆はこの世には存在しないし、そこに喜怒哀楽、幸不幸の気持ちが自分の脳に派生する。

想定内と想定外
東北大震災のことで想定外か想定内の災いかが問題になっていますが、
夏目漱石の草枕に
 知に働けば角が立つ、情に掉させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。
 兎角この世は住みにくい。
彼も臨済宗のお寺で座禅をしたとゆう。
この文章は、座禅の心を説いているのではないかと思う。
つまり、自分の脳で想定したことが現実(幻世)の世となること
現世は、自分の脳の想定内で展開し、自分の想定したことで他人との摩擦、喜怒哀楽が生じること。
しかし、自然現象は、人間の想定範囲なんて関係なく、起こるべくして起こる。
人間というのは、ある意味同じような考え方をするものだから、当然、想定することが似通ってくるので、ある日突然想定外のことが起こって戸惑う。

競馬の話ですが、想定内とは、皆が考える人気内でおさまること
でも、確立の論理では、想定外は起こるべくして起こること。
しかし、数々の不確定要素で成り立っているレースであるが、どんなに荒れても出走馬16頭の中で決着することは100%確実で、はずれクジはない。従って、当たり前のことであるが、買い方が問題なのである。
想定内か想定外かによって買い方が違ってくる。
想定内では、ミクロ(個々の馬と騎手の特性)で捉えて、資金を集中、想定外では、マクロ(確立の論理)で捉えて分散させる。
あるいは、両方の組み合わせ!
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日隠禅士  

日隠禅士
「座禅和賛」の我流解釈(和尚さんすいません)
 私は、毎月1回の座禅会に参加しております(目的はもちろん競馬の的中率を上げるため)。その席での講釈に次のような言葉がありました。

因果一如の門を開け(一部抜粋)。
 因果とは、「原因と結果」のこと。一如とは「一体である」とのこと
 将来、競馬で大儲けができるか?との設問に、過去の自分が因となり現時の自分の果があること。将来の自分の課は、現在の自分に因があること。従って、競馬暦10年で、大儲けして裕福な現在がないとすれば、将来もないとのこと。少なくとも、現在の競馬の賭け方をやっている限り、将来も大勝することはないということか・・・・

 本来の意味は、現在の自分の存在は、ご先祖様から営々と受け継がれた結果として存在していること、また、それを子供に引き継ぐ、その流れは一如(一体)であるということ。

この世には二つの摂理があります。
一つは宇宙の摂理、アインシュタインの世界ですね。数理で説明ができる世界です。
「何のためにそこに存在しているの」という質問に対して・・・・
なぜそこに山があるんですか?
まぜ宇宙が存在するのですか?
答えはありません。無機物の世界です。
もう一つは生命の摂理です。
生命がうまれてから営々と営まれる世代の交代、恋があり、スケベがいるから、途絶えないのですね。複雑系の世界です。
「何のためにそこに存在しているのですか?」という質問には全て答えがあります。
生命が作ったものは必ず答えがあります。
大根はなぜ成長するの?  人間様のえさになるためではない、子孫を残すため。
なぜセックスをするの?  生命体すべての目的である繁殖のため。
その生命体の中でも、哺乳類は「感情」というものが進化した。爬虫類にないものである。
感情の本元は恋、好きな人とHをすることがこの世の極楽で、健康な子孫を残す唯一の方法です。
 馬さんは恋をするでしょうか?
哺乳類であるかぎり、好きな牝馬としたいでしょうが、競走馬には許されません。人間様があてがう牝馬としかできません。人間様の血統という概念のため。でも本当に優秀?な子供は、両親の大恋愛の結果として生まれた子、愛情を一杯つぎ込まれて育った子、いつかサラブレッドと道産子が恋をして、その子が三冠をとることを夢見て、今日も賽を投げる。
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タグ:  競馬

2011/9/5

パレートの法則  


パレートの法則
イタリアの経済学者パレートが発見した経験則です。
一般に、自然現象や社会現象等の事例に多く見られるばらつきのことで、全体の20%が重要で残りは重要でないという法則のことです。

例えば、ビジネスにおいて売上の80%は20%の商品あるいは20%の営業マンが稼ぎ出しているそうです。
また、社員の評価で、ある部門の社員の業績を相対評価する場合、全体の20%の社員が、全体の業績の80%を稼ぎ出している。また、GEの経営者ジャック・ウエルチは、下位10%は不要人材と言っていますが?

そこで、この経験則を競馬に応用するとどうなるでしょうか
○ 1レース18頭立てとして考えると、20%とは 18×20%=3.6となる。
○ 18頭の内、上位争いに加わるのは3頭となる。
○ 下位10%  18×10%=2 2頭は問題外となる
○ 残り、13頭は団栗の背比べであり、その中の1・2頭が2・3着に食い込むかどうかは、神のみぞ知る事象である。したがって、この13頭のグループから連にからむ可能性を推理することは極めて困難なことである。

的中率だけを考えると、上位3頭のボックスと軸を上位3頭として、対抗を中位13頭のフォーメーションにすれば、かなりの確率で的中させることができる(回収率はマイナスになるでしょうが)。

従って、出走馬を強いと思う順に並べ変えて相対評価を行い(人間の勘は結構正しい)、上位3頭を厳選し、その3頭のなかから、配当が大きいと思われる馬の複勝だと、かなりの確率で回収率・的中率を上げることができる。実際に1〜3人気の3着内に入る割合はかなり高い。

以上を基本に、そのときのパドック、勘をたよりに資金の範囲内で投資することがこの経験則に添った方法でしょうか?
中位の13頭をあれやこれと考えても、不確定要素が多くて、骨折り損!
人の給与の評価でも、中位の人達に格差をつけても意味がないし、厳密な評価は不可能、従って、チームワークが大切として、団栗の背比べ的な賃金の方がうまくいくみたいだ。
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2011/9/4

競馬必勝法  

競馬には二つの楽しみ方があるようです。

ひとつは「競馬は文化である」という考え方です。
最近発見した面白いブログに「ガラスの競馬場」というものがあります。
そのブログの発信者である治郎丸敬之氏は、その中でつぎのように表現しています。

 『競馬最強の法則』は競馬のギャンブルという側面に特化した雑誌であり、「ROUNDERS」は競馬の文化やスポーツという面に光を当てた雑誌です。この相対する目的を持った競馬雑誌が、共存共栄していけるような競馬の世界が理想ですね。競馬からギャンブルがなくなれば滅びてしまいますが、ギャンブルだけでも滅びてしまうのですから。

 私も「ROUNDERS」という雑誌を買って読みました。なかなか読み応えがあります。
自分流をこつこつとブログで発信し続け、その積み重ねを雑誌として集結させた力作ですね。永く続くことを期待したいです。

もうひとつの楽しみかたは「一攫千金」を狙う博打としての競馬です(中には投資という人もいますが)。

 私の場合は、仕事をしながら、ラジオとネットで、チャンスと感じたときに「クリック」一発です。
高配当を得るセオリーについて、少なからず本を読み、解説者に耳を傾け、毎週に研究を重ねたが、結論は「セオリーはない」ということのようです。
ただあるのは、サイコロの出目と同じ、「確立の法則」のみ!

その確立の法則について、学校で習ったことをもう一度復習してみると
1 確立とは、その「理論上の数字」と「大数の法則」に支配されること
  数学的確立:理論的に計算すること
  統計的確立:実行した結果を統計的に処理すること
  大数の法則:統計的確立が、数学的確立に近づくこと

  従って、運(ツキ)とは、偏りとか分散であること。
  つまり、以下の4点があえて必勝法と言えるのである。

2 必勝法
  @ 付いているときに止める
    (勝ち逃げ:もう一発と欲を出さない)
  A 付いていないときは、リスクを最小限に
    (ワイド・複勝・小額)
  B 回数が少ないほど、理論値から外れる
    (賭ける回数が多いほど、限りなく回収率は75%以下になる。
  C 継続するほど、確立の値(元本の75%)以下に近づく。

従って、結論は「付いているときに、一回のレースに、資金を集中して、勝ち逃げすること」です。

 ちなみに、地球人が将来に、高度に進化した宇宙人と出会う確立は、理論上「0」だそうです。つまり、「地球人が、その宇宙人が住む惑星に行ける可能性」×「その宇宙人が地球に来る可能性」=限りなく「0」ということです。同時に、人間の文明は対数曲線のように、案外短期で収束することからも、仮に数千億年後、宇宙人が地球に来たとしても、「過去にやたらと電波を出していた、冷え切った星」ということになるそうです。

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2011/9/3

負け戦のパターン  



負け戦のパターン

「飲む、打つ、買う」あるいは「酒、女、博打」、身を滅ぼす不良3大要素であるといわれている。しかし、これは違った意味で捉えると、競馬必勝法のスタンスをいっているのである。
つまり、
「酒は、ほろほろと飲めば、ほどほどに健康にも精神的にもよいことである」
「女は、こちらからしつっこく付き合おうとすると嫌われる。深追いしなければ、女のほうからやってくる。」
「博打は、勝とう勝とうとすると、多損をする」
つまり、この3大要素との距離を適度に保てという教訓だと解釈している。
酒がおいしく、女にもてるやつは、競馬の勝運にも恵まれるのである。

最悪のパターンは、負けこんでくると、損を取り戻そうと思い込みと期待を膨らませて、確率の低い(配当の大きい)勝負にかけたり、失敗すると、小銭を小出しにかけてずるずると負けこみ、最後は万歳突撃ですべてをなくす。

この負けパターンは、日本人が持つ精神構造ではないかと思うときがある。太平洋戦争のとき、最初は向かうところ敵なしで、いけいけどんどんであったが、後半は、すべて裏目にでて、最後はすべてをすててバンザイ突撃である。ミスも、ついているときはいい方向に展開するが、それが裏めに出したときに、最悪の状況となることは歴史が実証している。

当時のリーダーであった山本五十六が、勝っているときに、冷静に状況を分析しておれば、
ミッドウエー海戦以後の戦いで、兵を小出しにして消耗し、最後は万歳突撃ですべてをなくすこともなかったと思う。運が悪くなったときに、しかも、手を見抜かれている相手と同じパターンで戦えば、負けるのはあたりまえである。運が良いというのは、リーダーの大切な素養である。しかし、山本五十六は、途中で討ち死にしたので、彼の運のせいではないと思うが、格好よすぎると思うのである。

 私の父は、戦争末期に徴兵されて、レイテ島に送り込まれましたが、相手の圧倒的な火力を目の前にして、「使い物にならん」として、真っ先に三八銃を捨てたそうです。ジャングルを逃げまわり、山育ちであった父は、山芋のつるを見つけることに長けていたため、餓えことはなかったそうだ。塩を盗みに入った部落で、米軍につかまり、その場で部隊全員一列に並べてバリバリと機銃掃射、親父を狙った玉は、口から入りあごに抜けて、一命を取り留めたそうだ。この玉が、数ミリ反れていれば、私はこの世に生まれてこなかった。父の老後に、傷痍軍人であることの証言者がいなくて、死ぬ直前に年金がもらえたことを思い出す。

この宇宙を支配している偶然の摂理と付き合うスタンスが、生き物が幸せに生きる唯一の方法かもしれない。

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