作品にかける労力が正当に労作に報われる時もあれば、まるで偶然のように置かれたものがどんなにあがいても叶わないような輝きを放つこともある。ピカソの精力と比べるとき、デュシャンのさりげなさはまるで偶然を操作してでもいるかのようだ。
デュシャン作品のすばらしさは、芸術の内容を否定したところにあるのではない。デュシャンの仕掛けはとっかかりに過ぎない。確かに、その仕掛けの奥に真の意味があるわけではない。けれど、それはかつての芸術にしたところでほんとうには同じことだ。もっとも、デュシャンの作品がなければ上記のような認識に到達することは容易でなかったと想像できるが、デュシャンが破壊者であるのは偽の伝統に対してであって、基本的にはデュシャンは伝統の遵守者、芸術信奉者なのだ。
デュシャンは確かに偶然を操作しようとしていた。その操作はしかしかつて誰でも行おうとしてきたことなのだ。彼は無駄な覆いを取り払って操作の試みを見えやすくした。今のいわゆるアートは覆いを奪う身振りをただ繰り返すばかりのものになっている。

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