腰痛を悪化させてから2週間ほど経ちました。その間も米国などからお客が相次ぎ、山口や広島、東京と出張の連続でしたが、それもほぼ一段落です。
先週は広島で週末まで業務があり、その間に少しの空き時間を利用して以前から訪れて見たかった、江田島と音戸に行ってきました。まだ腰に違和感がありましたが、コルセットをしっかり捲いての巡行です。
広島市内から路面電車で広島港に出て、そこから高速船に乗って海路で江田島の小用港に着きました。あいにく小雪がちらつくほどの寒さでしたが、海は波も無く穏やかで快適な船旅でした。
小用港のターミナルの食堂でブランチとして名物のカキラーメンを頂きました。カキのエキスがたっぷり入ったしっかりした味のスープに、歯ごたえのある麺がマッチしてなかなかいけました。
小用港から20分ほど峠越えの道を歩いて、海上自衛隊第一術科学校の正門に到着しました。後ろには、「坂の上の雲」の秋山真之が良く登ったと言われる古鷹山が見えます。
ここは世界3大海軍士官学校の一つと言われた旧日本海軍兵学校なのであります。明治18年に東京築地から移転して以来、山本五十六元帥を始めとする数々の優秀な帝国海軍軍人を輩出してきたところであります。
現在は海上自衛隊第一術科学校として、日本防衛の中核を担う士官候補生に対して兵学校時代と変わらぬ厳しい教育訓練が日夜行われているところです。
個人で予約なしで行っても案内者が同行する見学を受け付けて貰えます。冬のこととて、その時間帯の個人の見学者は単細胞を含めて3人、他に20名くらいの機動隊員が団体で見学していました。
最初に案内されたのが大講堂。
兵学校の生徒の入学式や卒業式が行われたところで、2000人位収容出来るそうです。内部は天井が高く荘厳な空間で、身の引き締まるようなところでした。ここから伝説となるような人物の兵学校生活が始まり、そして巣立っていったのかと思うと・・・・。
次が、旧海軍兵学校生徒館。通称「赤レンガ」と呼ばれ、現在は海上自衛隊幹部候補生学校庁舎となっており、防衛大学などを卒業した幹部候補生が士官になるための教育を受けています。
その廊下は初代の戦艦金剛の甲板を移植して使用しているとのことで、顔が映るほど磨きこまれていました。勿論、今も授業が行われており、館内に立ち入ることはできません。
広大な敷地内には江田島湾に面して戦艦陸奥の砲台やカッターの訓練施設などもあります。
そして、その中心にあるのが教育参考館。維新から明治、大正、昭和へと日本海軍の歴史的な資料が多く保存されているところです。
その中は当然撮影禁止。 真っ白な大理石の正面階段を上ったところに、「東洋のネルソン」と呼ばれた東郷平八郎元帥の遺髪が納められた聖殿があります。
自然とその雰囲気に、10度の敬礼をしてしまうほど荘厳で、ピーンと張り詰めた空気で満たされています。敗戦時に、相当量の資料が破棄されたと聞いていますがそれでも勝海舟直筆の書や特攻隊員の遺書など大変貴重な資料が数多く残されています。
これには、当時連合軍のミニッツ提督の貢献も大きかったように単細胞は思うのであります。あれだけ日本全土に空襲をしかけていた米軍が江田島には殆ど攻撃を仕掛けておらず、大講堂や赤レンガ、そして教育参考館も全く無傷で残っているのですから・・・・。
事実、ミニッツ提督は東郷提督を尊敬しており、戦後、戦艦三笠が荒れ果て、進駐軍のダンスホールとして使われていることに激怒し、この荒廃を阻止し、私財を投じてその復旧保存に努めています。
もっとゆっくり展示物を見たいと思いましたが、限られた見学時間で少々残念でした。 ずっとこの引き締まった空気に中に身を置いていたい単細胞でした。
最後に、今もこの施設の生徒が毎日の行いを省みて、唱えるという5省を諳んじながら、再度の訪問を誓ったのでありました。
一、至誠に悖る勿かりしか
一、言行に恥づる勿かりしか
一、気力に缺くる勿かりしか
一、努力に憾み勿かりしか
一、不精に亘る勿かりしか

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