先日トラックバックした先の
SIVAPRODさんの記事のコメント欄で興味深い議論が進行している。
そこにコメントを寄せられたシンシンさんのご意見について思うところを述べたかったのだが、長くなるのでこちらに書いて再度トラックバックさせていただこうと思う。
なお、ここでは必要な点だけを引用させていただくので、ご関心がおありの方は是非上記のSIVAさんのエントリでシンシンさんの元のコメントを全文参照していただきたい。
以下、シンシンさんのコメントは青文字で引用させていただく。
何かに属するということは、それが自らの選択の結果であるかどうかに関係無く、その代償として義務と責任を負うのだと思います。
そうだろうか。自らの選択で属する場合と否応なしに属さざるを得なかった場合の「何か」に対する義務と責任は同列に論じられるものだろうか。
属せない人の方が、本質的には、属せる場への希求は強いように思います。
わからない。属せない人が何を希求しているというのか。
帰属意識を失った集団が瓦解することもまた自明です。
集団が瓦解して何がいけないのだろう?集団を維持するという前提は必要なのだろうか。
愚昧な右翼は、国家に対する帰属意識が強く、それがもたらし得る結果に対する「責任」が欠けています。一方、愚昧な左翼は、国家に対する帰属意識が希薄で、果たすべき「義務」を無視しています。
これは「愚昧な」右翼と「愚昧な」左翼の話をしているのであって、右翼左翼一般の話ではないことを理解した上で、国家に対する帰属意識が強いか希薄かと、責任に欠けたり義務を無視するのとは別の話ではないかと思うのですが。
たとえば、私は国家に対する帰属意識は限りなく希薄だと思うのですが、(ほとんどゼロに近いと思うが、たとえば海外で自分の言動が日本人のイメージの規範にのっとっていたりはすると思う)日本で選挙権を持っている一人として、少なくとも有権者の義務と責任を無視するつもりは全くないのですが。
属することの恐れを知らないこと(属せる人)も愚かですが、属すること自体を恐れること(属せない人)も同じくらい愚かである
「同じぐらい」にひっかかります。双方が具体的にどう愚かなのか検証すべきではないか。
属すことは、本来、幸せなことであるからこそ
ここも全然わからない。そうですか?本来?幸せ?
以上、私自身も答えは出ていないような疑問点について、シンシンさんのコメントを読んで思ったこと(思ったことの域を出ていません)書かせていただきました。シンシンさんはじめ皆様のご意見を賜れれば幸いです。
繰り返しますが、上記は必要なところだけを抜いていますので、もしコメントをいただけるような場合は必ずシンシンさんのもとコメントをご参照ください。
断るまでもないのですが(こういうエクスキューズは「わかっている」話者については必要ないのでこの一回限りにしますが)私は日頃シンシンさんの言論活動とその内容に、深い敬意を抱いている者であることを申し添えます。それは当該コメントについても例外ではありません。