dlitさんの
「「言葉の正しさ」みたいな(よくわからん)ものについてもちょっとだけ」というエントリにコメントしようとしたら例によって長くなりすぎたのでTBエントリを上げます。ですます調なのはコメントしようとした名残りで、dlitさんちは専門家がいっぱい見てそうなので偉そうなコメントは避けようとしたのですが、ここはうちなのでちょっと偉そうに改変しました。(その後下記の長文のエントリを書いてからまたdlitさんちを見に行ったらhituzinosanpoさんから同じような趣旨の、比喩まで同じでもっと簡潔なコメントがついていました。すみません、下記でhituzinosanpoさんと同じ比喩を使っているのは偶然同じことを書いてしまったものです。真似したわけではありませんのでご容赦ください)
言語学者に「正しさ」を求める人には、ある言語の体系や文法なんてある程度はっきりしてるしそこそこ「正しい」基準は共有できているだろうという前提があるのだと思います。高校まではある程度の規範を共有して教育を受けてきていますし辞書のようなめやすもあるので、何が正しくて何が正しくないのかは決まっていると思うのも無理からぬところでしょう。今までの自分の言語についての常識、正しいとして教えられてきたことをもっとよく整理して詳しく知っているのが言語学者だというような思い、というか固定観念があるので、dlitさんのような言語学者が「何が正しいのかわからない」とおっしゃっても「だって正しい日本語ってあるじゃん」という強固な思いは抜けないのではないかと推測します。
言語学者にとっては、まずは生物学者がチョウの生態を明らかにするように言語というものを明らかにするのが第一の仕事だと思います。言語の実態が明らかになっていないから、言語学者の仕事があるのであって、言語の姿がはっきりしていて何が正しいのかが決まっているなら国語の先生はいても言語学者は失業してしまうでしょう。
だからまず、「正しい言語(たとえば日本語)」という思いはせいぜいdlitさんが書かれている「ある時代、ある地域、あるコミュニティ(の一定数のメンバー)において「正しいと解釈/認識されている(た)言葉」にすぎないのだ、という認識ができれば時代が違うだけで、地域が違うだけで、コミュニティが違うだけで「正しい」言語も変わってくるじゃないか、じゃあ「正しい」て何?誰がどうやって決めるの?という点にも思いが到るのではないかと考えます。
最初にコメントされているswoodsさんの疑問に即して言うなら
このチョウが「蜜蜂農家にとって」「花粉を運ぶかどうかという基準において」益虫ということはいえるかもしれません。ある観点から基準を明らかにすればその基準にそって分類することはできるでしょう。しかし同じチョウがキャベツ農家にとっては害虫かもしれません。
益か害かは比較的基準をはっきり決めやすいことかもしれませんが、それも「人間にとって」「ある農家にとって」であって生態系の中でモンシロチョウが益虫でアゲハチョウが害虫と決まっているわけではありません。益虫/害虫という分類が仮に合理的なものだとしても、それは人間が勝手に決めたことであって生物学的に「正しい」訳ではないでしょう。
基本的に言語現象も言語学者にとってまずは観察対象です。まず関心があるのは言語の実態です。これからチョウを観察しようとしているときに「そのチョウは正しいか」と言われても困るのです。
その実態はまだまだ明らかになっていないし、言語の「正しさ」についても普遍的な基準はありません。どのように基準を定めたとしても、dlitさんが書かれているように、それは時代や話者や地域の制約を受けるでしょう。そもそも「正しい」て何?という哲学的な疑問も問われずには済まされないと思います。
ということで、「いや、正しいかどうかなんてそんな簡単に言えないし!」ということを言語学者は言い続けることなるのだと思います。でも正しいかどうかは決まってるでしょ、と思う人は納得しませんが、納得できなくても言えないもんは言えないのだから仕方ないのです。
誰に向けているのかわからない文章になってきてしまってますが、dlitさんのエントリを読んでもなんとなく「正しい日本語あるじゃん」が抜け切らない方に。。。もあまり役に立たなさそうですね。すみません。
なお、私は現在言語学で食べていくことは断念していますので専門家ではありません。言語学をかじった素人ですが、ただアマチュアでも専門家と素人との間にあるふかーい溝を少しでも埋めることに貢献できたらと夢見てはいるのですがこれを書いていてもまだやはり精進が足りないことを痛感します。もっと精進したいと思います。