※読み手を選ぶ作品について書いています。一般向けの話題ではないので注意してください。
『家畜人ヤプー』(著・沼正三)という本を少しだけ読みました。3,4,5巻をパラパラと(1,2巻はなぜか置いてなかった)。当初は買おうかと思ってたんだけど、やっぱいいやコレ……立ち読みでおなかいっぱい。
というか気持ち悪かった。
自分、気持ち悪いものとか奇抜なものはわりと好き好んで読むタイプだと思ってるんですが、これは……作者は哲学や精神論を書こうとしたわけではなく、あくまで自分の趣味に従ったマゾヒズム・エロチシズムを書きたかったのかなと感じました。まあSM雑誌に掲載してた時点でそんなことはわかりきってるんですが。人間の価値観に疑問を投げかける、とか、そういう性格の本だと勝手に思い込んでたんで拍子抜けしてしまった。そうか、純粋なエロか…。
あらすじはウィキペディアで解説されてるので各自参照のこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%95%9C%E4%BA%BA%E3%83%A4%E3%83%97%E3%83%BC
こういう、倒錯しきった世界観を考え付く著者はただものではないと思います。ちょっと前に話題にした『ミノタウロスの皿』とか『火の鳥』(特に未来が舞台のやつ)もそうですが、常識的な価値観を覆す舞台設定というのは非常におもしろいし読み甲斐がある。
が、interesting=acceptableではないわけで、一言で言うと、
うんこを食べたりするのは良くないと思います。 黄色人種が家畜扱いって設定はいいよ別に。でも家畜の口の中にうんこする必要あるか? 「セッチン=便器の役割をする家畜」って、既に優秀な便器があるんだから使えばええがな……TOTOの便器を。それを動物に肩代わりさせるって、床が汚れるかもしれんというデメリットこそあれ、メリットは何一つ見当たらない。
「避妊具代わりのヤプー」というのも、つついたら死ぬような小動物使わなくても、避妊具あるでしょうが既に……使えばええがな。
こういう考え方は、私がまだ常識にとらわれているというか、ヤプーの世界にちゃんと浸れていないということの表れだと思います。
しかしなー、物語の舞台である2000年後の世界にたどりつくまでに、どういう風にヤプー文化が形成されたのかを考えたいわけよ。そしたら、「黄色人種=家畜」っていうプロセスは受け入れられるんだけど、「家畜=うんこ食え」っていう等式がなんでできるのかがどうしても理解できない。作者にうんこ食いたい願望があるから?
だから、この小説をしっかり味わうためには、まずは同著者の「懺悔録 ‐我は如何にしてマゾヒストとなりし乎‐」を先に読んだ方がいいかもしれませんね。著者のMに関する考え方を知った上でなら、それを表現するための物語として理解できると思います。共感はできないだろうけど(共感できたら真面目にやばい)。
あっ…でもこれ、260ページで2980円…!? しかたない、図書館に………置いてあるわけねぇよ!
逆に合理的というか面白いなぁと思ったのは、「浴槽矮人隊(バスタブピグミーズ:主人がバスタブに入ると、体を隅々まで洗ってくれるという便利な小人さん的ヤプー)」の描写。
ほんと言うと最初読んだ時は「気持ち悪っ!」と思ったんですが(矮人というのがまず無理だった)、ドラえもんとかにある「全自動体洗い機」なんかと発想は同じですよね。とても便利。
どうせなら同系列で、「歯磨き矮人」とかどうですか。口の中に数匹放り込んで隅々まで磨いてもらい、終わったらペッしちゃえばいいという使い捨て家畜。最近歯医者の世話になったんでこんなの思いついてしまった。まあヤプーの世界じゃそれをやらされるのは我々黄色人種なんですがね。
【こぼれ話】
その『家畜人ヤプー』が掲載されたのは「奇譚クラブ」という1952年創刊のSM雑誌。第二次世界大戦が終わったのは、ご存じのとおり1945年。
「戦後、日本経済は目覚ましい発展を遂げた」なんてよく言われますが、終戦から10年もたたないうちにこんな雑誌が発行されていたとは……日本の出版界が凄いのか、SMを求める著者・読者が凄いのか、えも言われぬ気持ちになります。

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