台湾人元従軍看護婦の叫び
「日本のため」命かけ戦地へ
戦後補償では国籍差別
第2次世界大戦中、日本統治下の台湾で自ら志願して看護師となり、日本軍
に従軍し中国大陸の戦地へと赴いた女性たちがいる。毎晩のようにやってく
る空襲に逃げまどい、文字通り弾雨をくぐり抜けてきた「従軍看護婦」。学
校を出たてのか弱い乙女にはあまりにも過酷な試練だったが、そんな彼女た
ちには給与すらほとんど支払われていない。生存者が徐々に少なくなる中、
元従軍看護婦たちは「日本政府は私たちのことを見捨てないでほしい」と悲
痛な叫びを上げている。(台北で、外報部・浅井正智)
「従軍看護婦になり、日本のために尽くすことは、私たちのあこがれだった」
台北出身の陳郭桂さん(八一)は志願した動機をこう振り返る。生まれたと
きから台湾は日本の植民地であり、皇民化教育を受けた陳さんは「大和撫子」
を自任していた。一九四一年、第二次大戦が勃発し、それとともに中国大陸
での戦闘も激しさを増していった。増え続ける戦傷病兵士に対し、看護師不
足が著しくなってきたことから、台湾総督府は四二年から三年連続で台湾の
高等女学校卒以上の学歴を持つ女性を募集した。陳さんは四四年の第三次募
集に応じた。合格した計五百人は広東第一陸軍病院(二百人)、同第二陸軍
病院(百人)、香港陸軍病院(二百人)に振り分けられた。彼女たちはもと
もと看護師になることを志していたわけではない。国語や作文、身体検査な
どの試験をパスした女性たちは、台北に集められ訓練を受けた。
忠君愛国の心でB29空襲耐える
「訓練といってもしびれが切れるまで正座し、日本精神を養うことが主な目
的だった」と台南出身の葉蒋梅さん(八〇)は話す。
君ノ為ニハ血ヲ流セ
人ノ為ニハ涙ヲ流セ
己ノ為ニハ汗ヲ流セ
忠君愛国の精神を教え込む「皇民訓」が、今も葉さんの口からよどみなく出
てくる。 従軍看護婦としての実地訓練が始まったのは、同年五月に広東に
到着してからだった。看護学や衛生学などをわずか一カ月でたたき込まれる
と、すぐに本格的にな任務に就いた。彼女たちの正式な肩書きは「日本陸軍
看護助手」。上司として日本人の婦長や看護師がいたが、仕事の内容に実質
的な差はなかった。また、一緒に働いていいた朝鮮人の看護師はごく少数
だったという。戦地での任務は、十七、十八歳の女性には想像を絶する厳し
いものだった。最も大変だったのは毎晩のようにくる米軍機B29の空襲だ。
「空襲警報が鳴ると、動けない患者を抱きかかえて防空壕に飛び込んだ。爆
発の轟音に生きた心地がしなかった」と台中出身の廖淑霞さん(八〇)は肩
をすくめる。昼間の戦闘では、負傷して運び込まれる兵士の手当てに多忙を
極めた。「日本兵の遺体を見ない日はなかった」とも。
敗戦に絶望 命絶つ者も
そして終戦。台湾に帰れると思っていた彼女たちに、思わぬ運命が待ってい
た。中国軍に身柄を引き渡されることになったためだ。「倉庫に寝かされ、
食事はお粥だけ。風呂などは入れず、川で体を洗うことしか許されなかった。
日本兵の捕虜の方が待遇が良かった」(陳さん)
前途に絶望し服毒自殺を図った同僚は、断末魔の苦しみの中、こううめいた
末に果てた。
「私は日本人として死んでいきたい」
元従軍看護婦たちは四六年に台湾への帰還を順次果すが、試練は続く。外来
政権である国民党政権下では、日本軍に協力したと分れば迫害されるのは間
違いない。「いつ落ちるか分らない橋の上にいるようだった」と葉さん。事
実を事実として公言できるようになったのは、李登輝前総統時代の九三年ご
ろからだという。彼女たちが従軍看護婦に志願したのは、日本の役に立ちた
いという情熱からだけではない。
教員の月給が四十−五十円だったという当時、従軍看護婦は約百円の高給取
りであり、とりわけ家計を支える必要に迫られていた人たちには魅力的だっ
た。五人きょうだいの一番上だった葉さんは「生活の助けにもなると思って
志願した」と打ち明ける。
規定通り給与が支払われていれば、残された家族の苦労も軽減されただろう。
しかし約一年半の勤務のうち支払われたのは最初の二ケ月分だけで、残りの
期間の分は戦後も補償されていない。この二ケ月分も当時は手元に渡ってお
らず、日本政府は半世紀も後になって軍事郵便貯金と合せ、額面の百二十倍
を支払うことで一方的に処理した。
日本からの給与半世紀後19万円
廖さんの場合、給与と軍事郵便貯金の合計は千五百六十六円で、百二十倍す
ると約十九万円。
「本当はこんな額ではもらいたくなかった。悔しいが涙をのんで受け取った」
と唇をかむ。
額の低さゆえに受け取りを拒否したまま二〇〇〇年三月末の支払期限切れを
迎えた人も多いという。
日本は戦後、戦争被害国と二国間協定を結ぶことで賠償を行ってきたが、国
交がない台湾への補償は宙に浮いた状態が長く続いた。ようやく動きだした
のは八七年。議員立法で重度の傷病者と死亡者遺族(在日台湾人は除く)に
弔慰金二百万円を支払うことを決定した。だが元従軍看護婦への補償は手付
かずのままだ。
政府は勤務年数が足りず慰労給付金を受ける資格のない元従軍看護婦に来年
三月末まで、首相名の書状を贈る事業を行っているが、日本国籍が申請の条
件だ。総務省管理室の担当者は「恩給や慰労金などの受給はすべて日本国籍
を持つことが条件。台湾人の元従軍看護婦に書状を受ける資格を認めれば、
恩給も認めろという話になりかねず、大きな影響が出てきてしまう」と冷た
く突き放す。
戦後補償問題に詳しい龍谷大学の田中宏教授は「米英仏など世界の主要国は、
その国の国籍を持たない元軍人・軍属に対しても、自国民とほぼ同等の一時
金や年金を支給している。国籍で補償対象を差別する日本の常識は、世界の
非常識だ」と指摘した。
三時間半のインタビューの中で、彼女たちが日本に恨みつらみの感情をぶつ
けることはほとんどなかった。陳さんは「日本兵たちは台湾人を差別せず、
日本人看護婦と同等に扱ってくれた。従軍看護婦になったことを今も誇りに
思っている」と静かに語った。
では何が我慢ならないのか。そう問うと、陳さんは一転して語気を強めた。
「命がけで働いたのに、なぜ日本人と同じに扱ってもらえないのか。日本か
ら見はなされたままでは死んでも死にきれない。台湾人はいつまでアジアの
孤児でいなければならないのか」
戦争が終わって六十三年。元同僚たちが一人ずつ鬼籍に入っていく。広東第
一陸軍病院で働いていた二百人の台湾人のうち、現在も連絡が取れているの
は三十人ほどにすぎないという。彼女たちに残された時間はも長くはない。
デスクメモ
戦時中は「君も日本人だ」甘言をろうして労働に駆り立て、戦後は「日本人
じゃない」と差別する。どういう神経なのか。「日本の常識」に国際社会が
あきれ果て「日本売り」が加速することに、エリートたちは気付こうともし
ない。国際社会で胸を張り活躍したいと願う日本人へのぼうとくでもある。
(隆)
2008年2月17日付け東京新聞 朝刊 こちら特報部より

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