
電車事故・・・恐ろしいですね。
こんな話を聞いたことがあります。
人生は砂時計
そのなかには一枚の金貨が入っている
どんどん砂が下に落ちゆくばかり
でも金貨がどこにあるかは誰もわからない
そして
突然金貨は落ちる。
チャリーン
それがその人の「最後の瞬間」
もう二度と砂時計を量る必要はなくなる
突然偶然大量の金貨が音をたてた
それは本当に落とし穴にはまってしまったようで
たまたまそこで落ちたのが彼らだっただけで
本当は他の人間であっても一向に不思議はなかったわけで
僕であってもよかったわけで。
今日、僕がライトをつけずにチャリンコをとばしている話をしていたら
友達が「企業が2億円だす価値のある人間がそんな500円のライトをケチって死んでしまったら意味ないよ」って言った。
そういえば一生が1億円のヒトもいれば10億円のヒトもいる
金銭的な意味ではヒトは平等じゃない
もてる可能性はヒトによってずいぶんと異なる
不幸な人間、幸せな人間、金持ちな人間、貧乏な人間
偶然はすべて確率論で起こる
だから苛烈な人生を究めるヒトもいれば、平凡局地な人間もいる
思ってみれば「偶然」って言葉、けっこう深い。
説明のつかないもの、はすべて包括する言葉である。
人生を覆ってみれば
99.9%は「偶然」で占められてしまう。
でも「偶然」って何かを指す言葉じゃないよね。
社会学でよく使われる「機能」や「規範」って言葉も
そうなんだけど
よく見えないぼんやりとしたものというか現象を区切るために
使われた言葉
だから
一つの現象に対して
「これは偶然だ!」「いや、どうみても必然だろう!」
なんて言い争いが起こる。
指示することばだったら
「あれは犬だろう」「いや、犬じゃない!」なんてことはない。
「偶然/必然」って物事に対しての姿勢をあらわしている。
物事を「偶然とみるべき」「必然とみるべき」
という価値志向の言葉である。
JRが「偶然の事故です」といったら世論の反発は必至である。
なぜならその背後には(この事故はだれもわるくありません)が隠れているから。それが責任を追及される立場からの言葉であれば、責任逃れでしかない。
偶然は、物事の帰責を誰にもあてはめない立場
必然は、物事の帰責を何者かにあてはめる立場
それはもはや信仰でしかないのかもしれない
人と責めない人間になるには神を信じるしかない
だからクリスチャンは強いのだろう
社会全体でみると、宗教が浸透しているということは安定である
偶然に満ち溢れたこの世界に対する動揺の量が絶対的に少ない
が、ゆえに人間は無気力になるということもあるが
僕は
この答えがでない問いに
ずっと悩み続ける人間でありたい

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