2009/10/5  15:09

小熊秀雄とマヤコフスキー  文学

詩人小熊秀雄の詩に

「マヤコフスキーの舌にかわって」

という詩がある。

マヤコフスキー(1893〜1930)は、ロシアの詩人である。グルジアの寒村に生まれた彼は、19歳で未来派の中心的詩人となる。やがて、1917年のロシア革命を迎え「芸術左翼戦線」を結成。代表作には「ズボンをはいた雲」「背骨のフリュート」など。しかし、ロシア革命による再編成期にさしかかったレーニン死後の文壇左右両翼からの風当たりが強く、これに恋愛の挫折感を加え、1930年(昭和5年)4月14日、マヤコフスキーは遺書を残してモスクワで拳銃自殺した。

この自殺に反応した日本の詩人で唯一人、マヤコフスキーへの詩を残したのが小熊秀雄だった。私は、この詩の最後の四行込められた小熊の激しくも鮮烈な詩精神に、青年の頃から、心を揺さぶられ続けてきた。

「私は君のような自殺はできない
 死よりも、生きる責任の強さのために、
 よし、たといその生が
 死より惨めなものであっても」

小熊がこの詩を書いたのは1933年(昭和8年)9月、1930年のマヤコフスキーの自殺から3年余りが過ぎてからのことだった。この詩が書かれた同年の2月小林多喜二が東京で検挙され虐殺されている。

当時日本では、マヤコフスキーの詩がロシア語から日本語へと翻訳されていなかった。では、なぜ小熊秀雄はマヤコフスキーの詩を理解し、その死に対するこのような強い意志を込めた詩を書けたのか?

小熊秀雄の童話「焼かれた魚」を大正13年(1924年)に雑誌「愛国婦人」に掲載したのは、当時この雑誌の編集を行っていた湯浅芳子だった。小熊と湯浅芳子はこの童話掲載を契機に、この年と翌年にも、旭川から上京していた小熊と会っている。

湯浅芳子は、この後の昭和2年、作家宮本百合子(当時は中條百合子)と共にロシアへ留学し3年間を過ごす。

ロシア留学中の昭和3年(1928年)、湯浅と宮本は旅先のレニングラードのホテルで憧れの作家ゴーリキーに会見する。
また、留学最後の年である昭和5年(1930年)4月には、モスクワでマヤコフスキーの自殺の報を聞き、二人は彼の告別式に参加する。

この時のゴーリキー会見とマヤコフスキーの自殺と告別式の様子は、宮本百合子が後年、長編小説「道標」で書いている。ゴーリキー会見はもちろん、マヤコフスキーの告別式の様子は、「道標」の中でも特に印象的な描写となっている。

湯浅芳子には、マヤコフスキーの死に関する直接の文章は残されていない。しかし、帰国後に、すでに旭川から東京へ移り住んでいた詩人小熊秀雄と出会った時、湯浅がロシア滞在中にマヤコフスキーの死と告別式に立ち会った事実を伝えなかったはずはない。

湯浅芳子は、小熊が亡くなった時の追悼文で次の事実を書き残している。

「私がマヤコフスキーの詩集を出してきてその中の一篇を直訳すると、あなたがそばからそれを詩らしく直して云ってなかなか楽しかった」

(「小熊さん」現代文学1935年小熊秀雄追悼号)

湯浅と小熊の二人に交わされた友情の証、そしてロシア文学がその友情を結ぶ大きな要因となっていことが、ここに示されている。

湯浅と小熊には、マヤコフスキーだけではなくプーシキンの詩についても同じようなことが行われ、一冊のノートにまとめられた。しかし、残念なことに、その後、友人たちの間を回覧されているうちに、そのノートは見失われた。

小熊に

「マヤコフスキーの舌にかわって」

という詩を書かせた原動力は、やはり湯浅芳子だった。もちろん、そう書かれた文章は誰の手によっても残されてはいない。しかし、私を強く揺さぶり続けた一篇の詩は、このようにして、小熊と湯浅の友情の末に生まれたという確信が、長い時間を経て、今の私に生まれている。

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2009/10/5  21:05

投稿者:玄柊

私は学者でもなく、大学の豊富な資料を駆使できる立場にもありませんが、この詩が何故小熊によって書かれたのかを長い間、疑問に思っていました。それが、解明されていくのは、ひたすら執念しかありません。個人的な執念に付き合って頂けること、感謝しかありません。

2009/10/5  18:24

投稿者:モネ

湯浅芳子と宮本百合子はマヤコフスキーの告別式にも出ていたのでしたか。
プーシキンの詩のノート、残っていたらと思います。
しだいに明らかになっていく小熊の生涯、、、資料を読みすすむとき、
見えてくるもの、閃くことがきっとたくさんあるでしょう。

小熊の感性と湯浅の感性、響きあうものがあったのですね。
どんなに湯浅は小熊の早過ぎる死を悲しんだことかと、
その心情がより強く思われます。

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