詩への旅

詩歌・書・絵画の世界 by 玄柊 2006.1.19 open

 

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百年ーある芸術家の死



百年という
時間の短さを
年齢を重ねるにつれて思い知らされている

紅葉の深まる登山道で
山荷葉の
黒い真珠のような実に出会った

夏に咲く
山荷葉の透き通る花びらに
友の死を投影した美しい句を詠んだあなた

あなたは
ちょうど山荷葉の花が
秋の実を結んだように、いま命を閉じた

百年を生き抜いた
あなたの顔を
私は知らない

しかし
百年という時を
一人の芸術家は生き抜いた

花びらよ
眠れ
百年の光に溢れ安らかに

 2010年10月5日 一原有徳さんへ



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投稿者:玄柊

詩人ー花崎皋平氏へ

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詩人の住まいは
私の愛する小樽富岡カトリック教会の上の
街と海を見下ろす高台にある

シンプルな作り
大きな窓
たくさんの書物とオーディオが備えられた家


独居する詩人は
漱石全集の一冊を繙き
午後の静かな海を見ながら私を待つ

深々とした
年輪を重ねた風貌
人生を見つめ続けてきた瞳

詩とは
日常の中の平易な言葉に光を与え、そして祈ること
詩人と出会いで私の心にはこの教えが残った

夕暮れに街に灯が点る頃
私の畏敬するする詩人は
彼自身が「終の栖」と呼ぶ丘の上の家で
独酌で酒を飲み始める

私は、
心から詩人と呼べる人に
憧憬の街ー小樽で
初めて出会った
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投稿者:玄柊

時よ去れ

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時よ去れ
私が何者であるかを
忘れ去るために

インド北部ブッダガヤの
菩提樹のもとで
仏陀は悟りを開いた

私は遥か昔
その地から一枚の菩提樹の葉を
日本へと持ち帰った

インドに吹く風
インドの夜空に浮かぶ月と星
インドの暁と夕陽を今も私は心に止めている

伝え聞くところによると
私の従弟が何年も前から
僧としてブッダガヤで修業しているという

一度も会った事もなく
名さえも知らない
従弟のことを想った

インドへ行くということは
何らかの苦悩を背負い
光り求めてのことだろう

遠くない未来
私は再び
インドを訪れる予感がする

いまだ
顔も名も知らない
僧衣を纏った従弟に会うために

時よ去れ
今私が、人生の行程で
どの地点にいることさえ忘れるために
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投稿者:玄柊

夏に想う

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寺の小さな庭で
夏の日の朝
蓮の花を見た

音もなく花開き
微かな芳香を漂わせ
静かに散る蓮の花

瞑想の中で
蓮の花に微かな光を見る
目に見えない密やかな力の結びつき

身近に語るべき人がいる
遠くから支えられる人がいる
遥か彼方の天上の光を感じる

夏に想う
一筋の路
一輪の花














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投稿者:玄柊

父と子

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    祝福の 光景の中 涙せる 青年語る 言葉聞きし時



2010年6月25日、35年に亘る古い友人夫妻の息子が結婚式を挙げた。場所は、北海道旭川の南の深川にある聖マーガレット教会だった。

青年は東京に住んでいる。友人夫妻は神奈川に住んでいる。何故、遠く費用がかかり、友人たちがアクセスするには困難な深川で結婚式を挙げるのかは不明だった。

6月の素晴らしい天気と森に囲まれた美しい風景のもとで結婚式が進み、パーティーが後半となった。

花嫁が、感動的な両親へのコメントを読み上げた。

続いて、花婿が両親へのコメントを読み始めた。もちろん、両親への感謝の言葉が中心だったが、このような言葉があった。

「北海道深川で、なぜ結婚式を行ったかについて、少し、ご説明させていただきます。東京からは遠い、旭川からもアクセスが難しい、ここは決して結婚式を挙げるのにいい条件が揃っているとは言えません。実は、ここで結婚式を挙げるには、今、目の前にいるMさんが大きく関わっています」

Mさんとは、私のことである。

私は、以前、神奈川県藤沢市に住んでいた。ごく至近距離に彼の両親が住んでいた。つまり、彼が生まれた頃から高校入学に至るまで、非常に近い存在として彼と接していた。山登り、スキー、ボーリング、キャッチボール、キャンプ・・・・。そして、話題は音楽や映画や本や旅に及んだ。

旅では、特に私自身故郷を離れて初めて認識した

「北海道の自然と魅力」

について熱く語った。

私は、友人であり哲学者である本物の彼の父よりも10歳若く、より行動的であった。つまり、私は彼の幼少のことから、言わば、もうひと組の血のつながらない父と子のようなところがあった。

青年は、私の自転車やキャンプ道具を使って北海道を何度も旅している。実に丁寧に道具類を扱い、きれいにメンテナンスして返してくれた。

彼は、北海道をバイクで旅したこともある。大人になってからは、車で旅をしている。

いずれにしろ、北海道とのかかわりは、どうやら、私が大きく影響していたらしい。

10年前に、私は神奈川から故郷である旭川へ居を移した。最初のころ、一度だけ、青年は旭川を訪ねてきてくれていたが、その後、距離も遠く、自然と会う機会は少なくなっていた。

しかし、彼の心の中には、北海道がいつもあった。結婚式という、人生にとって重要な場所の選定に、私と言う存在が多少なりとも関わっていたというコメントを聞きながら、私は、目に涙が溢れていた。

父と子とは、血のつながりだけを言うのではないらしい。私はつい最近父を亡くした。しかし、実の父と同じ年代の父のような存在の方が東京に二人もいて、よく手紙を出し、上京するとお二人と会っている。心のつながりは、血を超えたところにある・・。私はそんな風な想いが強まっている。
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投稿者:玄柊

橋梁

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夏になると、北海道中央部の奥深くにある糠平湖の

「タウシュベツ橋梁」

へ行きたくなる。この橋は、かつて、帯広から十勝三股まで通じていた国鉄線路が通っていたころに糠平湖に架かっていた廃橋である。

水が満ちて、タウシュベツ橋梁はその姿を隠すことがある。すべて、朽ちゆくものは哀れだが、反面、不思議な美しさを持つ。

今年、札幌でイギリス人写真家マイケル・ケンナの撮影した「タウシュベツ橋梁」のモノクロ写真を見た。朽ちゆくものへの想いが、静かに伝わる作品だった。

この夏、このツシュベツ橋梁をまた訪ねようかと考えている。旭川からは、約150km。当時の国鉄駅終点だった十勝三股では、現在、ルピナスの花が満開である。
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投稿者:玄柊

墓石

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2010年4月29日、午後5時。凾館のロシア人墓地を訪れた。海側の中国人墓地の向こうに、数隻の船が通る海が見える。

元町のハリストス正教会で借りた鍵で門を開けて、墓地の中へ入った。

私は、15歳の少年の頃から函館を繰り返し訪れている。昔から、港のある街が好きだった。
しかし、函館の街の西の海にあるこのロシア人墓地を訪れたのは初めてである。

100メートル四方ほどの、小さな公園程度の敷地を歩く。横たわる墓石、十字架の建てられた墓石・・・。その中でも、一際大きく上部に十字の置かれた墓石がある。縦3mほどの高さがある。

この墓石には、このように彫られている。

「海防艦 ポサドンク号 海軍少尉 アンドレイ・ポポフ
 1862年 3月18日 死去 行年 26歳」

この日、ロシア人墓地へ同行して頂いた女性によると、この墓石は、1865年に海軍少尉の母がロシアのウラジオストックから船で送ったものだという。この巨大な墓石をロシアから函館へ送った母がいた。ひょっとしたら、その船で、ポポフ少尉の母は、函館を訪れたのかもしれない。

日本は、当時幕末で大きく揺れていた。榎本武揚や土方歳三が登場する戊辰戦争の最後の函館の戦いも迫っている。しかし、26歳の息子を失ったロシアの母の悲しみは、政治や革命といった歴史の大きな流れを超えた悲しみだった。その悲しみの大きさが、この墓石として残り、150年余りを経た今を生きる私に迫ってくる。


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投稿者:玄柊

詩心


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2010年4月29日早朝、サハリンから私を訪ねてきたグリゴーリーさんと小樽の郊外オタモイ海岸を訪ねた。朝の光が断崖絶壁に指し、遥か積丹半島まで続く風景を、ロシア人の友に見せたかった。

彼が期待していた小樽の桜は、低温傾向が続いてどうしても見ることができない。小樽の桜は、北海道に多い「山桜」ではなく「染井吉野」が主体で、非常に優雅である。

グリゴーリーさんの桜への想いは強く、

「ハナミ」(花見)

という言葉を、凾館、旭川と続いた旅の間中、彼は繰り返し私に告げて残念がる。

結局、桜は、遅れに遅れて彼が帰った一週間後に開花した。

彼が帰った後、私はこの短歌を詠んだ。初めて北海道を訪れたグリゴーリーさんの花見の無念を何らかの形で晴らそうとしたのだ。そして、この歌をサハリンのユジノサハリンスクに住む彼へメールで送った。英語で次のような説明を添えた。

「小樽の桜が咲かないと嘆く友よ、詩的な心を持ちさえすれば、強風の吹き荒れる絶壁の海にさえ、心の中に桜を咲かせることができるのだ」

あまりに日本的な感覚かもしれない。ロシア語の詩をよく読んでいるグリゴーリーさんであってもわかることはないだろう。しかし、翻訳を送ってみようと考えた。

すぐに返事が来た。

「あなたの詩の内容を完全に理解しました。素晴らしい。花見で最も大切なことは、あなたの心の暖かさだった」

ロシア人に、私の拙い短歌の内容が伝わることはないと思っていた。しかし、小樽を訪ねた共通の旅の経験が助けたとはいえ、私の心が、グリゴーリーさんに通じた。遠かったロシア・・・。友情がまた深まったと感じている。
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投稿者:玄柊

月琴



坂本竜馬が慶応元年(1865)9月9日に、姉乙女に次のような手紙を出している。

「右女はまことにおもしろき女にて、月琴を引き申し候。名は龍と申し、私に似ており候」

姉乙女に、初めて恋人を紹介する気配りが感じられる書簡である。

-月琴-を引く女。月琴とは中国の楽器である。この月琴は、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でも登場する。

「音は琴に似ている。琵琶のようでもある。ただときどきするどい音が入り、鼓膜をかゆくするような余韻を生み、なかなかおもしろいものであった」

この月琴を、京都に生まれた恋人おりょうが弾き、さらに上達するために

「私、長崎へ行きたい」

と、竜馬に告げる。それを、竜馬は本当に実現させる。

NHK「竜馬伝」を見ている。今までの竜馬像を打ち破る繊細な雰囲気と、斬新な映像が従来の保守的な大河ドラマから外れている。武市や岩崎弥太郎に大きな役割を与えているところも斬新である。

ところで、最近、おりょうが登場し始めた。気の強い、しかし、心を許さない態度を示しながら竜馬という男に惹かれていく。ところで、

「月琴」

がいつ登場するのかを心待ちにしていた。6月13日、新撰組の追求を逃れた竜馬がおりょうの家で、母や妹や弟たちの前で、月琴を爪弾きながら、故郷土佐の歌を歌うシーンが登場した。

その日の夜、私は、月琴を描き、ふとイメージの浮かんだ俳句を横に添えた。三句目の「夏の宵」を「舞う蛍」にしようかといまだに思い悩んでいる。ドラマでは、美しい蛍が飛ぶシーンがあったのである。

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投稿者:玄柊

豊原郵便局

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2010年4月28日小樽。花園町の居酒屋でロシア・サハリンのアレクサンドロフスクから訪ねてきたグリゴーリーさんの持ってきた小冊子

「樺太写真集」

を、小樽に住む友人である新村人丸に見せた。新村は、私とは中学時代からの古い友人である。

「あ、この建物の前で、俺の祖父が写っている写真がある」

建物とは、豊原にあった大きな洋風の郵便局である。

新村の祖父は、小樽駅近くで、大正期から呉服屋を営んできた商人である。新村伊助さんは既に亡くなっている。

新村から、祖父がたびたび樺太へ渡り商売をしてきたことは聞いてきた。しかし、祖父が豊原の郵便局前で撮られた写真が残されているとは思いもよらなかった。

旧南樺太の地図帳を見ると、郵便局は豊原駅、現在のユジノサハリンスケ駅の正面の通りの至近距離にある。私が昨年手に入れた「樺太時代」という写真集にもこの郵便局の写真が掲載されている。

詩人小熊秀雄は、泊居の高等小学校を卒業後、当地のパルプ工場で働いた経験がある。

新村の祖父は、商売上、豊原だけではなくパルプ工場のある真岡、落合、泊居などへも足を運んだことだろう。そうなると、少年時代の小熊秀雄は、泊居のパルプ工場内の店舗を訪れた新村伊助と言葉を交わしたこともある可能性がある。

そして、20歳となった小熊秀雄は、姉のいる北海道旭川を訪れ、職を得るために小樽へ赴く。小樽で得た職業は、

「妙見町川上呉服店の店員」

である。小樽の街を、届けものなどで歩き回った青年小熊秀雄が、稲穂町で新村伊助と出会い言葉を交わしたとなると想像力はどこまでも広がる。

2009年夏に訪れたサハリンへの旅・・・・。未だに、さまざまな余波が次々と起こり、終わったと思っていた旅が、いまだに終わらない。
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投稿者:玄柊

地球を鳥瞰する詩

-飛翔-
私は世界の上空を羽ばたき
地球に生きる人々の
現在と過去と未来を歌う
自由とは、飛ぶことだ


-インド・カジュラホ-
街角で私を見つめた少年
君が初めて見た異国人は私だった
その驚きに満ちた黒い瞳を私は今も忘れない

-サハリン・アレクサンドロフスキー-
19世紀の流刑地
間宮海峡に夕陽の落ちるその街の海辺で、
君は今、犬を連れて散歩する

-アイルランド・アラン島-
脇に石の積まれた道で
私は、馬車で通過するあなたと挨拶を交わした
今もあなたはあの微笑みを忘れずにいるだろうか

-イギリス.ロンドン-
友が連れて行ってくれたパブで
役者の君は好評だった演技を語る
レ・ミゼラブルを、君はまだ忘れてはいないか

-小樽-
懐かしき友よ
今晩も背筋伸ばして、
酒場で旨い酒を飲んでいるか
啄木の歌口ずさみながら

-海-
水平線の彼方から
冬の翼が現われる・・・
愛とは
もう一つの翼を求めることだ

-中国・黄河-
飛行機の窓から見卸す
黄色く長い繋がり
三千年の歴史を持つ
中国の大陸を流れる河

-アラスカ-
マッキンレーで命を落とした登山家
熊に襲われて命を落とした写真家
君たちが関わった大地
夜空にはオーロラがうねる


-東京-
巨大化した青春の都市
年に一度神保町で友と語る
私の心は青年のままだ

-オランダ・アムステルダム-
運河の町で私は
「星に行くためには死ねばいい」
と言ったゴッホの絵を見た
星降る街、星瞬く夜空・・・

-アメリカ-
ホイットマンの自由な歌声が
遥かなる彼方から聞こえてくる
私が追い求めてきた世界
それがここにある


-函館-
ロシア人墓地に葬られた幕末の海軍将校
君の母は150年前
母国から船で大きな墓石を運んだ
母の愛は今に通じる

-大雪山系-
山は雪に覆われた
真っ白な姿が美しい
厳しさと優しさ
神を感じる姿

-鎌倉-
ドイツ人ヨハネスは爽やかな5月の朝に
鑿を振るって木彫作品を作りながら
歌を歌っていた
君去りし古都
人は同じ所に止まっていることは出来ない



-スコットランド・エディンバラ-
名作「宝島」を残し
サモアで亡くなったスティーブンソン
この町が
「吉田松陰」を書き遺した君が生まれた町


-京都-
洛北蓮華寺の裏庭の開け放たれた茶室で
一服の茶を頂く
心の宇宙は
この寺で開かれる

-金沢-
香林坊「無言歌」で
メンデルスゾーンが流れる
言葉なき沈黙こそ
音楽の目指すところ

-旭川-
詩人を生んだ街
21世紀の故郷に
私は住み
世界を鳥瞰する詩を書く

-タイ・バンコック-
暁の寺で
急な階段を踏みしめる
求めたものは何だったのか
途上にある自分を噛みしめる

-バリ島-
天国とはここにある
酷寒の島からやってきた私は
湿潤な島で
心からそう思った

-宇宙-
無限の彼方には
何があるのだろうか
私は翼広げ
月光り、星瞬く宇宙を飛ぶ


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投稿者:玄柊
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