参議院不要論 - Wikipedia
-----(以下引用・一部略)-----
参議院不要論とは日本の国会において参議院は不要であるため廃止をし、一院制にしようという主張。起源は第2次世界大戦敗戦直後にGHQが一院制を志向していたことに遡る。参議院無用論ともいう。
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福田首相の辞任のニュースを見ているうちに、ふと参議院の存在が気になった。小・中学校の教科書レベルでの理解だと、参議院の意義は「衆議院とのダブル・チェック機能」「衆議院と違い任期6年で解散がないので、衆議院議員とは違う角度から議員活動が出来る」等があると思う。
ただ、この理解は尤もらしいが、歴史的経緯に触れていないし、世界的基準との比較もないし、マイナス点にも触れない。「衆議院の優越」を一緒に習うことによって、漠然とマイナス点を想像するしかない。
Wikipediaには上に挙げたような「参議院不要論」という項目があって、なかなか分かりやすく、面白い。大した分量はないのでそのまま読んでも良いと思うが、以下他のWikipediaのページも使って、参院の問題点を整理してみる。
そもそも参議院=いわゆる上院とはどう定義すべきか。
上院 - Wikipedia
-----(以下引用・一部略)-----
両院制の議会をもつ国では、国政機関の重複という状態を避けるため、それぞれの議院に異なった性格をもたせている。一般に下院の議員には「国民の代表」という性格があり、その選出は人口に比例して行われるのに対して、上院の議員には「地域の代表」、「州の代表」、「連邦を構成する自治国の代表」、また貴族制度のある国では「階級の代表」などといった性格があり、その選出は必ずしも人口に比例したものではない。
議会制民主主義の発祥地にして現在でも貴族制度が残る英国では、かつては上院が伝統的貴族や大地主のみで構成されていたが、現在では栄典の授与によって誕生した一代貴族や、元三権の長や要職経験者、そして選出された有識者などの比率が大幅に増やされた結果、「貴族院」としての性格は薄れ、「専門家集団院」的様相を示すに至っている。
-----(引用終わり)-----
なんとなく現代日本の社会科的理解では、戦前の貴族院=旧弊な階級社会的伝統に根ざし、国民の代表としての議会運営に一定の制限を課すもの、一方戦後の参議院=民主主義に基づいたより正しい議会、という理解があるように思うが、上にあるように、そもそもの上院の性格を考えると、貴族院もそれ程的外れとは言えない。むしろ、戦後の参議院の方が、衆院との違いが明確になっておらず、上院の本道からは外れているように思う。
なんで、そのような参議院が出来たのか。
参議院 - Wikipedia
-----(以下引用・一部略)-----
GHQの示した憲法改正案では、衆議院のみの一院制にする予定で、日本側の反発によっては取り引き材料としての譲歩も考慮に入れていた。果たして、日本側の松本烝治は二院制の意義を説き強く反発したため、GHQ側は第二院を第一院(衆議院)同様、民選議員のみにすることを条件に、二院制の存続を認めた。こうして成立したのが参議院であった。
-----(引用終わり)-----
何故松本らが二院制に拘ったかは上の文からは不明だが、恐らく国体護持的発想(なるべく戦前の制度を変えたくない)と、大政翼賛会の経験からの反省だろうと思う。
当時の人の気持ちは分からないではないが、むしろ太平洋戦争に突入してしまった経緯は政府と軍との力関係の不均衡、衆院の非力、政党政治の不在などがある。それを改善するためには内閣を支える議会=衆院の機能を強めるべきであり、より分散的な参院を置いたことは的外れとも思える。
ただし、当時は一度民主主義を取り入れた明治以来の政治運営を徹底的に失敗した直後であり、再び本格的な民主主義の道を歩み出す段階において、よりチェック機能を強化するべく第二の衆院とも言うべき参院を置いたのはある程度意義はあったかも知れない。
だが、民主主義の経験を積み重ねてきた現在、本当に参院が必要なのは疑念を持たざる得ない。不要論のページを具体的に見ていこう。
-----(以下引用・一部略)-----
アーレンド・レイプハルトは、両院制を推奨する前提として、
・人口が多い
・連邦制である(アメリカ、ドイツなど)
・多民族国家である(カナダのケベック州やベルギーのフランデレン地域・ワロン地域等)
のうち2つ以上に当てはまる場合、と述べている。そして「日本は人口が多い」という条件しか当てはまらないため日本に参議院は不要であると結論付けている。
-----(引用終わり)-----
アーレンド・レイプハルトの主張は本来の上院の意義に根ざしたもので、分かりやすい。日本が今後道州制を導入しない限り、参院は不要というわけである。
-----(以下引用・一部略)-----
日本で参議院の不要論が出る背景には、まず第一に参議院の政党化による衆議院のカーボンコピー化が挙げられる。参議院の衆議院化によって、元来参議院に期待されていた良識の府としての機能が、十分に果たされなくなったということである。
戦後に公選の参議院にせざるを得なくなった際にも、被選挙権が30歳以上と定められ、全国区制を採用するなど、できるだけ有識で党派に属さない議員が増えるような努力がされた。
-----(引用終わり)-----
最大の参院不要論はいわゆる「カーボンコピー論」だろう。衆院と同じような構成なら、二重審議は無用だし、コスト的に有害ですらある。(参院の運営費用は平成18年で年間約400億円)
衆参の違いは被選挙権の年齢による違いというのでは、あまりにお粗末だ。選挙制度はその後の改正で大選挙区制と比例代表制の並立制となり、衆院とは程度の問題はあっても、ほぼ同じような結果が出るように思う。むしろ内容的には参院独特の緩い名簿作成で、衆院に比べ変な議員が目立つのが現状だと思う。
また、昨今の衆参ねじれの状況を見て、「カーボンコピー論は誤り」という論旨があるようだが、そんなことはないだろう。衆参が揃っている時は「カーボンコピーに過ぎない参院は不要」だし、衆参がねじれている時は「異なる意志決定をもたらす参院は有害」という論が成り立ちうる。そして、私もそう思う。
なぜ有害か、どのように有害かは、現在のように政党中心の運営で、政局化も厭わない参院を見れば分かる。ちゃんとした政権選択ができるのかという、かなり民主主義根幹にかかわる問題である。
参院は6年の任期で半分ずつ3年ごとに改選される。選挙時期が違う参議院議員を入れ替えるには6年、さらにその後衆議院の選挙を最大4年待たなければならない。つまり現状、仮に国民が政権交代が必要と考えても、6年+αもの期間が必要になる可能性がある。
また、その間様々なねじれも起こり得るわけで、参院を一度過半数とったものしかまともな政権は作れないことになる。そして、その政権が出来るまでの数年間、国民は再選択も許されず、国会の空転をただ見つめるしかないのだ。
常に政権交代にこれだけの時間的コストが必要な仕組みが望ましいはずがないし、国民は自然とそのコストを避けようと考えるだろうから、本当に公平な政権選択が可能かどうかすら疑わしい。
しかし、参院を廃止するにしても、学識経験者等の別枠を設けて改革するにしても、権限を縮小するにしても、憲法改正が必ず必要となる(42条、44条、67条)。長いこと参院自身による改革が言われてきたようだが、現状を見ると全くそれは期待できない。国会議員が己の職を減らす参院廃止に積極的に取り組むとも思えない。世論の盛り上がりに期待するしかないのだが、難しいだろうな…。
比較の問題だろうが、参院廃止はむしろ民主党より、自民党の方が積極的のようだ。郵政改革の見直し等、野党のくせにむしろ自民以上の「抵抗勢力」化している民主党。なんなんだろうね。
それにしても、何を改革しようとしても立ちはだかるのは最終的には憲法だね。戦後のGHQは徳川家康並の強力な体制維持装置を日本に仕掛けていったわけだ。もう一度占領でもされない限り、己の体制を変えられないのでは、ちょっと情けないのでは。