1 人は言葉をどのように理解しているか / 2 仮想的身体運動としての想像 / 3 仮想的身体運動による言葉の理解―身体運動意味論 / 4 心の理解―仮想的身体運動による心の理解 / 5 母音の比重が大きい言語は主語や人称代名詞を省略しやすい / 6 主語や人称代名詞の省略は母音で決まる―身体運動統語論 / 7 文法の終焉
うーん、これはとても評価が難しい本だ。
本屋で手に取った時点で「??」という感じだった。タイトル「脳に主語はいらない」。そしてページを巡ると「様々な音を聴いたときの脳の左右差」という画像写真が載っている。以前
「日本語に主語はいらない」という本を読んでとても面白かったが、あれは文型の人が書いた文法寄りの本だった。こちらはどうも理系の人が脳側から書いた本のようだ。
果たして脳側から「日本人の脳に主語はいらない」なんて言えるのか? 講談社選書メチエから出ていなければ、「これって電波本?」という感じだった。
第1章からしばらくは、身体を軸とした認知科学の入門書、もしくはまとめ本という風である。かなり、面白い。そしてかなり話は認知科学全般を横断する。認知科学は現代版の哲学だと以前から思っていたが、その思いを強くする。月本さんのまとめ方で行くと、ほとんどカントのカテゴリー論に近いよね、と思って読んでいると、実際カントに対する記述があって笑った。
しかし、カントに行き着いたあたりでパタリと話は終わってしまい、後半、かなり唐突に本書の主題「日本人の脳には主語はいらない」に突入する。
月本氏の中ではそれらは全て整合しているのだろうが、前半の各章の接続、前半と後半の接続が私にはついて行けなかった。特に前半は面白かっただけに自分の理解力不足を残念に思い、三日ほどかけて読み返した。が、慎重に読み返したつもりだったのだけれど、気づけば筆者に振り落とされていたような気もする。やはり、残念ながら私には全体像が見えない。
後半部分の荒っぽさも気になった。大まかには「子音が多い」→「脳の仕組み上、主語が必要となる」(裏を返すと「日本語のように母音が多い」→「主語は特に必要ない」)といった仮説を検証するのだが、脳にはあまりにも不明なところが多いので、この程度のことではとても検証とは言えないだろう。また、各言語の音声など、脳以外からの比較検証アプローチも、サンプルが少なすぎて、学問的検証としてはかなり心許ない。
なんとなく、己が発見した仮説の面白さに溺れてしまった印象である。まとめの「文法の終焉」などは共感するところが多い。はっきり言って、この本の主題「日本人の脳には主語はいらない」だけ取り除いて、前半と末部を拡張したら、名著だったのではないかとも思う。
うーん、でもよく(この本の価値が)よく分からないところは多い。もう一度読もうかとも思う。