2017/6/8  13:39

彼女の話ー帰還  2017年

スピリチュアルな先生からは「ねえさんとは少し時間をかけて話さなくちゃね。いつでも会いに来なさい」と連絡先を教えてもらっていた。しかしなかなかその機会をつくれずにいた彼女は、先生に宛てて自らの体験を手紙に書いて送ったことがあった。今回のことも手紙にしようと便せんに向かっていたときのこと。ある体感がものすごい勢いで体中を駆け巡ったかと思うと、意識がトン、トン、トンと次元を駆け抜けていく。「すべてが美しい」次元を抜けて、終わりも始まりもない「無」の次元に出たと思ったら、さらに加速をつけてその先へ……。出たのは、「終わりも始まりもない」と同時に「すべてが存在する」次元だった。
私には足りないものなどなかった。最初からすべてを持っていた。どこから生まれて、どこに行き、どこに帰る? それを追い求めていくつの転生を繰り返してきただろう。でもそれは探し求めるものではなく、私は最初からそこにあるものだった。最初からそこにあり、今もそこにあるものだった……。
これこそがまさに彼女が追い求め続けてきた境地だった。魂の底から願ったそれを今、体験している。いくつもの人生を経て、ようやく最高の宝を手にした瞬間だった。

その体験を境に彼女の生活に急速な変化が訪れる。実家の店に客足が戻ったばかりか旦那の給料も上がり、晴れてパート勤務を続ける理由がなくなった。
「家の事情が解決したので、ここを辞めようと思います。一緒に辞めませんか?」
自分がいなくなったら年上女性は再びいじめのターゲットになってしまうだろう。それを心配して声をかけると、「金銭的にもう少し働く必要があるので、辞めるのを数か月待ってもらえませんか」という返事が返ってきた。彼女は今しばらく現状維持を続けることにした。

パワハラいじめを回避すべく、いつも通り作業に没頭しているときだった。不意に意識が別の何かとつながり始めた。
ふつふつとわきあがる旦那への不満。願っても叶わなかった家族の形。可愛くてたまらない甥っ子姪っ子たち。その子たちとの交流を阻む親族間の不和。すでに他界した親に対する後ろめたい感情。………。
それは古株女子の意識だった。浅い層からつながりはじめ、徐々に深みに入り、深く、深く、さらに深く、どんどん深く。やがて真っ暗な中ぽつんとスポットライトが当たる場所に出た。まあるい光の中で小さな女の子が膝を抱え、その膝頭に顔をうずめて泣いている。泣き声がだんだんと大きくなるにつれて、その体も成長していく。やがて少女と呼べるくらいになると、その子は同じ姿勢のままぶつぶつと何かをつぶやき始めた。
「傷ついた……傷ついた……傷ついた」
何が起こっているのだろう? 思わず駆け寄る。
「どうしたの?」
女の子はキッと顔を上げると、ありったけの声で叫んだ。
「傷けられるなら、友達なんていらない! 誰もいらない! 傷つけられるくらいなら、先に傷つけてやる!」
その声を聞き終えると、すーっと意識が現実に戻ってきた。

イメージの中で見た少女は、今の古株女子からは似ても似つかない容姿をしていたが、確かに古株女子だった。いくつか前の人生なのだろう。少女は怯えていた。その下には恐怖が横たわっていた。古株女子はどこかの人生でひどく傷つく体験をし、もう二度と同じ思いはしたくないと、人に刃を向けることを学んだのだ。あまりにも苦しかったから。あまりにも悲しかったから。あまりにも怖かったから。彼女には、古株女子の痛みがわかった。今のような態度をとるようになった心の経緯も理解した。そして、それが一筋縄では氷塊しないことも。
「ねえ、人の意識を覗いてはだめなんじゃなかったっけ?」
『学びの上では時に必要なこともある』
真我さんが言った。

「古株女子がああなった根っこには恐怖がありました。意識の底に恐怖がでんと腰を下ろしています。昨日今日知り合ったような人間にどうこうできる問題ではありません。無駄な努力に時間を費やすのはやめて、私たちももう先に進みませんか?」
二人きりになるタイミングを見計らってそう告げると、年上女性が言う。
「北風と太陽の話って知ってる?」
やれやれと思うそばで、真我さんが耳打ちした。
『それ以上話す必要はない。おまえの役割ではない』

それからほどなくしてのことだった。
「私がこっちのコピー機使うから、あんたはあっちのコピー機を使って」
古株女子の言う“あっちのコピー機”とは、トリセツに明記してある使用頻度をはるかに超えて酷使しているコピー機だった。メーカーの担当者からは、「もう限界に来ているので、この次故障したら新しいのに換えてください」というお墨付きをもらっている代物だ。案の定、使いはじめたそばからトラブってしまった。
「おまえ、壊したな! センター長に言いつけてやる!」
緊急の呼び出しをくらったメーカーの担当者がやってくるとすかさず、
「ろくすっぽ機械の扱いがわからないバカがさわったからこうなったんです」メーカー担当者が「いいえ、これはもう寿命だったんです」と律儀に返しても、「いや、このバカがさわったから壊れたんだよ」と譲らず、メーカー担当者はバカ呼ばわりされている彼女に同情のまなざしを向けるしかなかった。それを正社員たちが遠巻きに眺めている。
「もう見ていられません。私は大丈夫ですから、いつ辞めてもらっても構いません」
年上女性の言葉を受けて、彼女はその月いっぱいの退社を決めた。

2年余りに及んだ本業とパート勤務のダブルワーク生活。そこから帰還した彼女に馴染み深い日常が戻ってきた。何があるわけではない当たり前の日常が極上のひとときに感じられる。どの瞬間もかけがえがなく、どの瞬間も愛おしい。平和であるということは、なんて素晴らしいのだろう。
同じ日常を生きながら、彼女はもはや以前と同じ彼女ではなかった。何事にも白黒はっきり決着をつけたがる傾向は影を潜め、誰であれその心に寄り添えるようになった。誰もが分かちがたい自分の一部に思えた。試練につぐ試練が彼女の内面に深みを与えていた。
人にはそれぞれ事情というものがある。そして人にはそれぞれ学びというものがある。人と人が出会うということは、それぞれの事情と学びが交差するということだ。そこでは良いも悪いもない。ただ、体験がある。ただ、学びがある。いずれにせよ試練は学びという確かな果実を実らせてくれる。回避すればいいだけのものではない。不運と嘆くだけのものでもないのだ。今や彼女はそれを体で知っていた。試練をくぐるというのはそういうことだ。
そう遠くない日に、彼女は再び航海に出ることになる。そこでは試練という文字は消え、宿題という名の新たなテーマが与えられる。しかしその話はまた別の機会に譲ろう。その機会があればまた、ということだが。

2017/6/5  14:08

彼女の話ー氷解  2017年

真冬の朝だった。カーテンを開けると真っ白な世界が広がっていた。大粒の雪片がひらひらと途切れることなく舞い降り視界を遮る。おそらく深夜から降り始めたのだろう。すでに地面の痕跡が跡形もなくなっていた。
凍えるように寒い。それはそれとして、彼女はすぐに異変に気づいた。見え方が違うのだ。現実の世界を見ているのに、まるで「すべてが美しい次元」を体験しているときのよう。どういうこと? 瞑想もしていない。チャクラも使っていない。なのにどうしてこんな見え方をする? そればかりではない。どっちが上でどっちが下かがわからない。天と地の認識があやういのだ。あたかもサーファーが波にのまれ、海流に巻き込まれてぐるぐると回っているうちに空のありかがわらなくなってしまったかのように。
とにかく座ろうと椅子に腰を下ろすと、アジナチャクラがものすごい回転のしかたをしていることがわかった。頭痛にも近い動きで、立つことさえままならない。このままチャクラが爆発する? そんなありえないことが今にも起きそうだった。
「今日は何曜日だっけ? 店はどうだろう? 雪が降っているから客足が遠のいちゃうかな」
ふとそんなことを思うと、たちまち意識が現実に戻った。ん?と思っている間にまたそっちの世界につながってしまう。意識の逆転が起きていた。軸足が現実世界ではなく大いなる意識の世界に置かれていたのだ。
とにかくその日は、現実世界のモノやコトに意識を集中するように気をつけた。ラジオの声に耳を傾け、音楽に耳を傾け、人の言葉や現実のやりとりに意識を向ける。意識が吹き飛ぶたびに、何度も現実に意識を向け直す。そうしてようやく一日が終わろうとする頃、意識の向け方のコツをつかみ、ほっとして布団に入るのだった。

翌日はパート勤務の日だった。状態は変わらない。とにかく現実的なことを考えなくては。
「それは開眼かもしれません。ちょっと待ってくださいね。覚醒したと言われる勉強会の先輩に聞いてみます」
年上女性に相談すると、親切にも先輩とやらにメールしてくれた。いろいろと説明があったようだが、いずれにせよ“よい兆候”だという。よい兆候? これのどこがよい兆候なのか。それを聞いたからといって今の状況が好転するものでもない。これはもう先生に聞くしかないと思った彼女は、ちょうど一か月後に先生の講演会があるというので出向くことにした。それまでは意図して“儀我”に意識を向け続けるしかない。
「エネルギーがあふれちゃってるの。ぼくもそうなって講演を断念するしかなくなるときがあるの」
講演会会場の片隅のヒーリングのコーナーで、先生はそう話してくれた。
「どうにかなりませんか?」
「やがて馴染んでくるの」
「生活に支障をきたしているんです。“やがて”じゃ困るんです!」
切羽詰まっていることを告げても、先生はにこにこ笑うだけだった。万事休す。時を待つしかないということか。
電車に乗ってようやく家にたどり着くと、もはや何をする気力も体力もなかった。家事などとてもできる状態ではない。「お母さんは病気なのでもう寝ます」と宣言すると、布団の中で死んだように眠りに落ちた。
翌朝目覚めると、チャクラの動きがいくぶん落ち着いていた。ものの見え方やめまいの感覚は相変わらずだが、体は格段に楽だ。(そうして結局、先生が言う「馴染む」までに3か月を要することになる)

意識が尋常ではない体験をしはじめているというのに、現実の生活には何一つ変化が見られなかった。古株女子のパワハラいじめは相変わらずだし、年上女性の明るい意気込みも相変わらず。彼女はだんだん腹立たしさを覚えていった。
パート部屋の密室での横暴な仕打ちは今や誰の目にも明らかだというのに、どうして誰も何もしてくれない? 他の部署の仕事をパート社員が勝手に請け負うっておかしくない? あることないこと悪口を言い触らして回るその素行をなぜ誰も注意しない? 古株女子のやりたい放題がどうしてまかり通る? 
冷静に考えれば致し方ないことだった。彼女が勤めるのは大きな本店を構える会社の一支社でしかなく、正社員は2〜3年もすれば移動するのが当たり前なのだ。そのなかにあって古株女子は、その支社全体の古参といってもいい存在で、正社員ですら知らないことによく通じていた。わからないことがあれば古株女子に聞けばいい。古株女子に辞められるより、見てみぬふりを続けるのがいい。万事、さわらぬ神にたたりなし。
「会社ってどこもそういうものですよ。パート勤務は使い捨てなんです」
年上女性があっさり言うのを聞いても、とうてい納得できないものではない。やがて彼女の怒りは正社員への嫌悪という形でに矛先をかえていく。どうして上司は見て見ぬ振りを続けるのか。どうして正社員は「自分たちの仕事は自分たちでやるからいいですよ」と言わないのか。

そんなとき、たまたま彼女が一人きりで作業をしている時間帯があった。正社員の男性が1人、部屋に入ってきてあたりを見回す。そして彼女に向かってささやくように言った。
「大丈夫?」
え!?と思って顔を上げると、その男性はふだん古株女子が座る席をあごで示して苦笑いをした。そしていったん外に出ると、今度は自販機で買った缶コーヒーを手にやってきてコトリと机に置き、「がんばって」と声をかけて足早に部屋を去った。
わかってくれている人がいる……。
みるみるうちに、不満が、苦しみが、悲しみが、溶け去っていった。
そうなのだ。みんな、何とかしてあげたい気持ちはあっても、手も足も出せないのだ。私もそうだった。ハーフの子がいじめられたとき、何もできなかった。何もできなかったけど、それでいいとは決して思っていなかった。何もしないのは、加担しているのと同じ。しかし、人にはそれぞれ事情というものがある。今ならわかる。自分も経験したから。
そのとき、声が聞こえた。『我、何人とも裁かず』。そう。人が人を裁くことなどできない。被害者に被害者の気持ちがあるのと同様に、加害者にも加害者の気持ちがあり事情がある。よいも悪いもなくて、そこにあるのは各人の学びだけ。かつて真我さんたちが言った「それも学びの通過点」の意味がようやくわかった気がした。
加害者にならなければわからなかった気持ち。被害者にならなければわからなかった気持ち。その両方を体験して訪れた、許し。
「ほんと、体験することに、よいも悪いもないんだね」
『無駄なことは一つもない。すべては学びの通過点なのだ』
彼女に大いなる解放が訪れていた。

2017/6/2  13:33

彼女の話ー愛がすべてを救う?  2017年

そこには何もなかった。よいも悪いもなければ、上も下もない。喜びも悲しみもなければ、始まりも終わりもない。愛すらない。
「なんだこれ?」
古株女子のいない隙を狙って、年上女性に聞いてみた。なんといっても年上女性は先生のもとで何年も勉強している人物だ。
「美しい次元のその先に行ったら、何もない次元に出てしまいました」
そう告げると、年上女性は目をまんまるにした。
「本当ですか? 本当にそこに行ったのですか? 信じられない! それはおそらく根源です。えー、信じられない!」
「根源とは何ですか?」
「人が最後に行き着く場所です」
今度は彼女が目をまるくする番だった。これが最後に行き着く場所!? あんなすばらしい次元を体験したあとに行き着く場所がここ? 地球で過酷な労働に耐え、生活苦に耐え、壮絶ないじめの日々に耐えたあとに行き着く場所がここ? 納得できない。これが覚醒したいと望む人たちが手に入れる場所だなんて。
彼女は、次の勉強会と仕事の休みの日が重なったこともあり、直接先生に尋ねることにした。
「行き着いた場所には何もありませんでした。意味すらもない次元からどうしてここに生まれてきたかがわかりません」
先生はにこにこ笑って言った。
「ただそこに居ただけでは何も意味がないの」
首をかしげながら何度も同じことを口にする彼女に、先生もまたにこにこ笑いながら同じことを口にする。先生の言っている意味がわからない。真我さんたちに尋ねても翻訳できる答えはくれない。そうして彼女は腹をくくる。わからないものはわからない。クヨクヨしても始まらない。とりあえず今の生活を大切に生きよう。

「瞑想ばかりしていないで、もっと歩み寄りましょうよ。3人仲良く仕事ができるように、私たちで努力してみませんか?」
パートの時間を瞑想三昧で過ごす彼女に、年上女性が提案した。
「これ以上どうしろというんですか。ありえないくらい仕事量が増えて、もう十分すぎるくらい努力してきましたよ。私にはそんな余裕はありません。刺激を与えないように存在を消して、ミス無くこなすことでいっぱいいっぱいです」
「あの人は、わざと憎まれ役を買って出て、私たちを鍛えてくれているんです。私たちにその力があるからです。でないと、いつまで経っても私たち、ここを卒業できませんよ」
ここを卒業できない? 3人仲良く仕事ができるようにならないと、実家の店は赤字続きで、私は日々睡眠不足の過重労働から抜け出せない? 恐ろしき……学びの世界。
「私、学びやめたいです。一抜けた!って普通の生活に戻りたいです。どうすれば普通の生活に戻れますか?」
「そう言って、学びの世界から去っていった人たちもいます」
「去れるものなら去りたいです。でも、ここのパートを辞めるわけにはいかないんです。家から近くて、ご近所の誰にもバレずに働けるのはここしかないんです。どうしたらここを去らずに、学びから去れますか?」
そう聞きながら、彼女には年上女性の提案に同意するしかないことがわかっていた。
「がんばって、私たちで凍った心を溶かしましょう!」
年上女性が明るく言い放った。

翌日から少しずつ話しかけるも、古株女子は完全無視。罵詈雑言を口にするとき以外は、彼女の存在などまるでないがごときの態度を続ける。ぬれんに腕押しとはこのことだ。その一方で、パワハラいじめは手を替え品を替え実にバリエーション豊かに繰り広げられていく。季節は冬。彼女に与えられたのは大型冷凍庫の出入り口の冷気がもろに当たる場所だった。ただでさえ寒いのに、冬場となると凍えるよう。しかし古株女子は暖房器具の設定温度を上げることを許さない。彼女の座席付近は1℃ということもあったという。
それでも彼女には古株女子への憎悪はなかった。パートに勤め出した頃、ハーフの子と3人でゲラゲラ笑いながら作業をした日々が彼女の心を温めつづけていたのだ。ハーフの子へのいじめが始まる前日まで、パートの時間が楽しくて、パートに出かけるのが楽しみだった。あの日々を再現できたらどんなにいいだろう? 3人で仲良く仕事ができたらどんなに楽しいだろう? 彼女こそがそれを願っていた。

スピリチュアルな勉強会に参加するため年上女性がパートを休んだ日に、思い切って彼女は古株女子に話しかけた。
「無視したままで構わないので、話だけ聞いてください。どうして私を嫌うのかわかりませんが、私は仲が良かったあの頃と同じ気持ちです」
古株女子は口を真一文字に結んだまま手だけを動かし続けた。完全無視。そしてそれを機に、あちこちで彼女の悪口を言い放ち、「気持ち悪い奴」と罵った。もはや誰の目にもパート部屋でいじめが横行されているのは明らかだった。それでも年上女性は言う。「凍った心を溶かしましょう。愛が解決しないことは一つもありません」。彼女はしばらく傍観していることに決めた。

2017/5/27  10:13

彼女の話ー新たなる体験  2017年

翌朝のことだった。古株女子が開口一番言った。
「私、**さんのこと、嫌いじゃなくなった!」
**さんとは年上女性のことだ。勘のいい彼女はすぐに悟った。次のターゲットは私だ、と。案の定、その日から壮絶なパワハラが彼女に向けて行われることになる。もしかして、ハーフの子や年上女性のいじめは単に前哨戦に過ぎなかったのでは、といえるくらい苛烈ないじめの日々。古株という立場をいいことに、ノルマをこれまでの二倍に増やす、他の部署から余計な仕事を請け負ってきて押しつける、機器の故障を彼女のせいにする、彼女に関してあることないことを社員に言い触らす……。

「ごめんなさい。私をかばったばっかりに」
「いいんですよ。**さんがいじめられているのを何か月も見てみぬふりをしてきたんですから。因果応報です」
へたに口を開くと悪口雑言の嵐が吹き捲くるので、彼女は作業中ひたすらiPodに集中した。ふだんは音楽を聴くが、そのときは年上女性が“先生”の講話を貸してくれたので、それに耳を傾けることにした。人として生きていくうえでしごくもっともな内容ばかり、しかし実践するのは難しい。そんな一連の話のあと、瞑想開始の合図のように、よく知られるマントラが先生の口から放たれた。彼女の中で何かが起こる。宇宙空間で透明な扉がパタパタパタと開き、大切な何かを思い出す感じ。彼女は思う。私はこの先生に会いに行かなくては。

次の講話の予定日は、偶然にも彼女の仕事が休みの日だった。うさん臭さを完全には払拭できないまま、たいして期待もしないで彼女は会場へと向かった。めあては講話ではなく、先生が一人ひとりに直接行う“ヒーリング”だった。ずらっと並んで自分の順番が来たら、聞きたいことだけ聞いて帰ろう。正味数分のヒーリングの時間にはそれが許されていた。
「目に見えない存在と会話ができるんですけど、もしかしたらそれは私が思っているような宇宙意識といったものではなく、単に心の病が見せる妄想なんでしょうか。先生ならそれがわかると聞いてここに来ました」
先生は、他の人に対するのと同じ一連の所作をしてヒーリングなるものを始めると、しばらくして言った。
「ねえさん、これは真我だよ!」
「頭がおかしいわけじゃないんですね?」
一瞬にしてぱあっと心が晴れ上がった。頭がおかしくなったわけじゃなかったんだ! それで十分だった。しかし彼女が受け取ったのはそれだけではない。気づいたのは翌日のことだ。

いつものように口を閉ざし、気配を消して手だけを動かす。ふと、前日に教わった瞑想をやってみようと思った。先生の口にしたマントラの音を思い出しながら、教わった通りのやり方を繰り返すこと数度。ん? 眉間の奥に何かある! そうして彼女は思い出した。その瞑想法・呼吸法を以前にもやっていたことを。
先生から教わったという瞑想法は、ある呼吸法をしながら眉間の奥のチャクラに働きかけるものだった。彼女はチャクラのことに関してもあまり知識がない。それにもかかわらず、そのチャクラの存在をはっきりと認識し、それに働きかけることができた。
アジナチャクラに働きかけると、ガガガーッと真っ直ぐ上に引っ張られる感覚がした。真我さんたちとの会話も格段にスムーズになり、それまで翻訳しきれなかったものもやすやすと翻訳できるようになっている。
「何が起きてるのー?」
『おまえが我らを完全に受け入れたのだ』
どうやら先生に太鼓判を押されたことで、かすかに残っていた疑念が払拭され、このような体験を招いたようだった。
それはやるたびに完成されていった。音とリズムと呼吸と発光が一体化すると、ものすごい波動に引っ張られ、それに体を委ねたとたん、とてつもない境地にたどり着く。
やがて音を思い出す必要はなくなり、いつでもどこでもできるようになった。そこで体験されるのは、「すべてが美しい」次元。何もかもが美しい。そしてしばらくその次元を体験すると、その先へと出ていくことが起きた。「すべてが美しい」次元を通過して、その先へ。……そこは何もない次元だった。

2017/5/24  13:05

彼女の話ーサイは投げられた  2017年

古株女子の憎悪は日増しに強まっていった。強まって強まって、ある限界値までいくと体調を崩して休む。そのパターンが繰り返されるようになる。『放った波動は自分に返ってくるのだ』と真我さんたちの解説が入る。憎悪を放ち、放った憎悪が返ってきて、体調が狂う。そういうことが起きているのだと。

当然のことながら古株女子が休んだ日は、のびのびと仕事ができた。確実に作業量は一人分増えるのだが、それでも憎悪の嵐が飛び交うなかでの作業に比べればよっぽどましだ。気兼ねなくおしゃべりもできる。そんななか、ふとしたきっかけから年上女性がスピリチュアルに関心が深いことを知り、二人はスピリチュアル話で盛り上がることになる。年上女性が質問役で、答え役が彼女。なぜかそのときは彼女自身が知らないことでも答えを口にすることができた。何かしらの回路につながることができたのだろう。

そういう日々が繰り返されるなか、古株女子が2週間ほど休むことになる。二人は毎日毎日3時間半、スピリチュアル話を繰り広げた。
「その話、この間“先生”から聞いたばかりです。どうしてそれを知っているんですか?」
質問に答えると、年上女性がそう言った。
「“先生”……?」
「へんな宗教に入っていると勘違いされるのが嫌であまり人には言っていませんが、実は私はスピリチュアルなある先生のもとで真理を学んでいるのです」
信頼関係ができあがった証だろう。年上女性が自らの秘密を打ち明けてくれた。だったら自分も秘密を打ち明けなくてはと、彼女は真我さんたちの存在について話した。
「それって……大丈夫なんですか? 先生がよく言っています。人間の妄想はすごくて、そういう存在をねつ造して、自分は真理とつながったと思ってしまうことがある、と。……ごめんなさい! 疑っているわけじゃないんです。ただ、真我を身につけるのは大変なことで、それができる人は皆無に等しいと先生から教わっているものですから」
言葉で否定しながらも、彼女が疑いの目を向けているのは明らかだった。彼女は心の中で真我さんたちに語りかけた。
「ねえ、なんだかあなたたちの存在を思いっきり否定されたような気がするんだけど。あなたたちは私の妄想の産物なの?」
『おまえはこの期に及んでもまだ疑うのか? それだからおまえは○×※△〃』
途中から真我さんたちの言葉が意味不明になった。
「わあー、しっかりして!」
『おまえがだ! おまえがしっかりしろ! 真実を裁くことは誰にもできない。おまえにとっての真実よりもその他大勢の真実をおまえは選ぶのか』
ハッとした。そして彼女は年上女性に告げた。
「これが妄想か真実かは私にとってはどちらでもいいんです。どちらにしても、彼らは私にとって愉快でかけがえのない存在なんです」
「……ごめんなさい。私、ひどいことを言いましたよね。きっと嫉妬心があるんだと思います。膨大なお金と時間を費やして、命がけで真理を探求しているのに、何も感じられなくて」
そうしてひと呼吸おいて、年上女性が言った。
「先生に会いに行きませんか?」
「え?」
「先生には真実がわかります。一度、いっしょに勉強会に行きませんか?」
彼女は丁重にお断りをした。都合がつこうがつくまいが、そういう場所に足を踏み入れる気は毛頭なかった。そういう場所は、うさん臭さを拭えなくて、足を向ける気がしないのだ。しかし事態は彼女の思惑を超えて動いていく。彼女の目覚めを後押しするかのように。

家の都合で2週間欠勤していた古株女子が復帰した。復帰直後こそおとなしかったものの、すぐにいじめが再開。古株女子不在の間に年上女性と打ち解け合ったことが力になったのだろう。彼女はこれまで口にしなかったことを口にした。
「私も同じミス、したことありますよ。そのときはそんなに怒らなかったじゃないですか。そんなに怒るほどのことではないんじゃないですか」
一瞬、古株女子の表情が固まったように見えた。

2017/5/22  14:19

彼女の話―学びの通過点  2017年

1年半が経過するまでのこと。彼女は自身の体験を物語風に語ってくれた。あたかも短編小説を連載形式で配信する無料メルマガサービスのように。真我さんたちとの出会いから始まった物語は、すぐに彼女の身に起きた強烈なある一連の出来事へと移っていった。

舞台は早朝の時間帯に繰り広げられるパート社会。ふだんは実家が経営する店を手伝う専門職の彼女だが、その時期は業績が不振で、家計を助けるためにやむなくパートの仕事を入れることにした。「店を手伝っている娘がパート勤めを始めたことを人に知られたくない」という父親の希望をのむと、仕事の選択肢はごく限られたものになった。毎朝4時起きをし、本業の仕事が始まる前の3時間半を時間給の単純作業にあてる。祭日があろうがなかろうが、週5日勤務。幼稚園と小学校に通う子どもが二人いて、旦那を支え、家事労働もしなくてはならない。その頃の睡眠時間は平均3〜4時間だったという。

勤務先のパート社員は3人だった。1人は彼女とほぼ同い年の古株の女性、もう1人は少し前に入ったばかりの年若いハーフの女の子、そして彼女。隣室では正社員が机に向かいそれぞれの業務にいそしんでいたが、ドアを隔てた十畳ほどの密室には3人しかいなかった。仕事は手先だけを動かせばいい単純作業で、時間内にノルマさえこなせば、どれだけ口を動かそうとも文句を言う人はいない。
最初の頃は笑いが絶えなかったという。たわいもないバカ話をたくさんした。ハーフの子とは時に意見がぶつかりもしたが、毎日顔を合わせることで心の距離は縮まり、意見の対立が必ずしも仲違いにつながるわけではないことを肌身で知る経験になった。古株女子は年季の入った二枚舌の持ち主で、正社員の前では猫なで声を出し、ハーフの子がいなくなるとその子の悪口三昧になるという危険人物ではあったが、君子危うきに近寄らずを遵守すれば、つつがなくパート生活を送れそうな気がした。
その様相が変わったのは3か月を過ぎた頃だ。きっかけはきわめて些細なことだった。ハーフの子が古株女子の気に障るようなことをしてしまい、そこから猛烈ないじめが始まったのだ。古株女子が何かにつけてハーフの子を罵倒し、執拗なパワハラを行う。「精神的に追いつめて、あいつをぶっ潰してやる」と陰で宣言した通り、端から見ても理不尽で壮絶ないじめだったという。1週間後、ハーフの子は辞めていった。「ふん、案外もたなかったな」と古株女子は鼻で笑った。
代わりの人が入るまでの2人体制の間、勤務時間は古株女子の武勇伝劇場と化した。過去にどんなバカがパートに入り、そのバカをどんなふうにいじめ倒して辞めさせていったか、そういう話をえんえんと聞かされる日が続く。

ようやく1か月後、一回りほど年上の女性が入ってきた。3人体制の復活だ。ほっとしたのも束の間、今度は3日目からいじめが始まった。もともと器用でも俊敏でもなさそうな年上女性が凡ミスをしでかし、それを目ざとく見つけた古株女子が年上女性を罵倒した。スイッチオン。戦闘開始。そこから年上女性のミスが連発するようになり、いじめが過熱していく。
「なんで、あんなにミスを連発しちゃうのかな」
心の中で思うと真我さんたちが答えてくれた。
『年上女性のミスは恐怖によるものだ。古株女子にあのような波動を浴びせられたら、恐怖が恐怖を呼んでしまう。恐怖のスパイラルにはまってしまったのだ』

年上女性の取るに足らないミスはだんだん度を超すようになっていく。目の前で繰り広げられるいじめに歯止めをかけられない申し訳なさも手伝って何かとフォローしてきた彼女も、ついに声を荒らげる日がやってくる。嬉々とした様子の古株女子。自分の不甲斐なさにうなだれる彼女。オロオロする年上女性。
「その仕事ぶりを見ているとイライラしてきちゃうんだよね。どうしてもっと優しく接してあげられないんだろう?」
『学びの通過点なのだ』
「いじめをただ黙って見てるって、いじめに加担してるのと同じだよね。いじめられるのは嫌だけど、いじめるのはもっと嫌だ」
『本当にそう思っているのか?』
「え?」
『今言ったことは真実か?』
「………」
淡々と聞き返す真我さんたちの言葉が彼女の胸に突き刺さった。いじめられるのは嫌だけど、いじめるのはもっと嫌だ。そう言いながら、余計な波風は立たせたくなくて何もしない自分こそ一番の卑怯者じゃないか? そうして彼女は深く決心する。自分の仕事もきちんとこなしつつ、年上女性のフォローもしっかりやっていこう。いじめを阻止できないのなら、せめてそのくらいしなくては。

2017/5/18  11:57

再会  2017年

出会ったばかりなのに、何十年来の知り合いのように話がツーカーで通じ合う相手というのがいる。そこそこの年数を生きていれば、誰しも一人や二人はそういう相手に巡り会っているよね? 私にもいた。過去形で書いたのはまさにその通りで、なぜか私の場合、そういう人とのつきあいは短いスパンで終わってしまうのが常なのだ。ツーカーの相手というのは元来そういうものかもしれないが。
彼女はまさにそんな1人だった。仕事の場面で知り合い、ちょっとしたキーワードから一気に互いの距離を縮めていった。頭の回転が早くて、勘がよくて、噓が大嫌いで、だから言葉に噓がなくて、曖昧さのないオリジナルな言葉で語り、家族を大事にしている彼女とのやりとりは、メールにしても電話にしても直接会うにしても、いつも私を触発してくれた。いつまでもこの関係が続くといいな、と思った。でも運命のパターンというのはそうそう変わるものではない。短い蜜月のシーズンを終えると、私たちは互いの近況さえ報告しあう機会のない関係性に戻っていった。いつものように。

郵便受けにファンシー色たっぷりな封筒を見たのは2年前のことだ。懐かしい筆跡。彼女が今もなお魂の探求を続けていることが書かれてあり、よかったらメールをくださいという一文が添えてあった。ケータイがオシャカになってメルアドをなくしてしまったという。はやる心を抑えて彼女のアドレスをあちこち探したが、どこにもなかった。ケータイのアドレス帳はその都度更新してしまっているし、PCのアドレス帳にもなぜか彼女のケータイアドレスはなかった。なんてこった、整理整頓好きがこんなところでマイナスに響くとは……。少し考えたあと、封書で返事を出した。ケータイのメルアドを添えて。そうして再び彼女とのやりとりが始まった。

しょっぱなのメールには、「何でも聞いてください」という文面があった。音信の途絶えている間に彼女は目に見えない存在たちとコンタクトがとれるようになり、彼らがいろいろと教えてくれる日々を送っているという。「質問をする→回答を得る」のプロセスが、彼女の認識を広げ、魂の成長に役立つので、質問大歓迎らしい。
彼らって? 「彼らは私です」と彼女が言う。スピリチュアル用語を使えば「本当の私」「高次の私」だろうか。さる高名なスピリチュアルな先生からは「ねえさん、それは真我だよ」というお墨付きをもらったらしい。「もしかして自分は頭がおかしくなったのでは???」と思えなくもない事態に、御大からのお墨付きは安心感を与えてくれた。しかし大勢の人に筒抜けの状態で言われたことで、御大である先生の取り巻きのおばさま方から嫉妬と羨望の眼差しを向けられることになり、それはなかなか面倒なことだったという。
彼女は続けて言った。「つながるきっかけを作ってくれたのはcooさんなんですよ」。え!? 私? ……確かに覚えがあった。彼女と最後に会ったときのこと。池袋のスペインバルでパエリアランチを一緒に食べたあと、本で読んだばかりの「見えない存在たちとコンタクトを取る方法」を人通りの多い場所でさくっと教えたのだ。彼女に伝えるためにその本に出会ったという感覚が私にはあった。彼女に限らず、私にはそういうふうに巡り会う本がある。読んだばかりの本を人に紹介したあとに、「ああ、この人に伝えるために出会ったのか」と気づくことしばし。
彼女はそのやり方を試し、一発でつながった。威厳のある声で「質問は何だ?」と聞かれ、あまりに突然のことだったので「間違えました! ガシャン!」という感じですぐにコンタクトを切った。質問なんて考えていなかったし、本当につながるなんて思ってもみなかったから。しかし話はそこで終わらない。また別の機会にコンタクトを試み、晴れてやりとりが始まったという。
存在は、最初は一人だった。あるとき、「ねえ、物言いが偉そうなんだけど。もっと優しく言えない? ユーモアを交えるとかさ」と苦言を呈したら、キャラクターの異なる三人の存在になったらしい。強面と、学者タイプと、ひょうきんなおじさん?
彼らと交流を続けながら、彼女は日々気づきを深め、今回の人生の宿題を片付けようと果敢に挑んでいる。3次元の枠を超えた世界を垣間みる体験も増えたという。私から言わせれば、それ以前から彼女は日常茶飯事的に3次元の枠を超える体験していた。その一方で、彼女には浮ついたところが1つもなく現実にしっかり根を張って生きていた。そんな彼女にそういうことが起きたのだ(むしろそんな彼女だからそういうことが起きたとも言える)。私は彼女に人類の一つの希望を見せてもらっているような気がした。時が満ちれば、それは起きるのだ、という希望。

「何でも聞いてください。時期尚早だったり魂の成長を妨げたりする以外なら、彼らが答えてくれます」とメールにはあった。私はそのとき読んでいた本がらみで「覚醒」について聞いた。抽象的な事柄は自分で体得するしかないから質問するのはお門違いな気がしたが、だからといって「私の人生、これからどうなるのでしょうか?」みたいな個人的な質問をするのはNGな気がした。
正直、私自身の人生はゆるやかに破滅に向かっているように感じていた。でも、それは人様の“真我さん”(私は3人組をそう呼んでいる)に聞くべきことではないはずだ。何がどうなっているのか、それを繙くのは自分の仕事であり、それを含めて探求と呼ぶのであって、安易に答えを得るのは違う気がした。それで、質問のための質問をした。残念ながらそのときにはそれしか思いつかなかったのだ。回答は当然ながら抽象論に終始するもので、心に響くものとは言いがたかった。それはそうだろう。捻出した質問の回答が心に響くわけがない。

数日経って、心にある思いが湧き出てくる瞬間があった。1人の友人と電話で話した直後のことだ。その人はスピリチュアルな探求を続けていたが、ずいぶんと長い間、変わらない状況に苦しんでいた。彼女との定期的な会話の中で、私は幾度も同じ昔話を聞き、変わることのない胸の内を聞いた。いつもはそうでもないが、そのときはなぜか理不尽さを感じた。「どうして彼女が!?」」という思い。これをチャンスとばかりに質問メールを出した。
回答は鋭利なナイフでスパッと切るようなものだった。「彼女は変わらない。人のせいにしているうちは、誰も何も変わらない。おそらく彼女は今生の宿題を持ち越すだろう」。真我さんたちが一般論をいっているのではなく、彼女という存在を的確に捉えて読んでいることがわかる文面だった。そこには希望的観測的な甘さはみじんもなかった。そんな身もふたもない……、と思う一方で、真実の世界のリアルさ(シビアさ)に触れた気がした。
『これは彼女に限った話じゃない。ある意味これは、私に向けて言われている言葉なんだ』
スピリチュアルの世界で、目にしたもの耳にしたことが人ごとで済むのは皆無に等しい。人生というのはそういうふうにできている――。頭で理解していたことをリアルに実感したのは、それから実に1年半もの時間が経ったあとのことだった。でも、その話はもう少しあとにしよう。その前に話して(書いて)おきたいこともあるから。

2017/5/17  12:22

宣言!  2017年

私にとって意味深い今日という日に、私は宣言する。

私は幸せになる。
私は幸せになる道を歩くことにする。

師は、弟子にその準備ができたときに現れるという。
長い間、本は私にとって師に等しいものだった。特に仕事で深く関わることになる本は、私の学びのためにこのタイミングでこうして現れてくれたと思えることが多々あった。しかしリアル3次元に生きる身としては、いつまでもそれだけでは飽き足りない。生身の師を求めたくなるものだ。幸いにも現代社会では師と仰げる人が万人に向け教えを開示している。特に日本ではお金さえ払えば誰でも師を得る環境が整っているといえる。それに乗っかるのも一つの手だろう。この人だ!と思える人がいるのなら。残念ながら私にはそう思える人がいなかった。

やがて私は知ることになる。スピリチュアル界に身を置きながら、スピリチュアル界に足を突っ込んだ人が多かれ少なかれ求めている体験が、私に訪れる日がやってくることはないことを。少なくとも今生それが起きることはない。幸か不幸か本物に出会うチャンスがある私は、本物に出会うことで否が応でもその事実を受け入れざるを得なかった。
だったらどこに向かえばいいのだろう? 何をどうすればいいのだろう?
心は彷徨った。心は荒んだ。そして心は頑なになることを選んだ。

師は思いもよらないときに、思いもよらない方向から現れるもの。
「cooさんは心を閉ざしましたね。もう傷つくのがいやだから。そうしてcooさんは楽な道を選んでここまで来てしまったんです」
師は――少なくとも私の師は――獅子のようだった……。深い谷底に子を突き落とすというあの獅子さながらに、ぐうの音も出ない奈落の底に突き落とされること2回。おいおい、追いつめ過ぎだろう? そんな軽口が叩けるようになるにはそれ相当の山を越えなくてはならなかった。

今に始まったことではないのだ。心を閉ざしたのも、心が彷徨い荒んだのも。ずっと以前からそれは私の中にあり、それをどう扱ったらいいかわからなくてもがいていたふしが私にはある。スピリチュアル界に足を突っ込んだのも、それあってのことだと理解している。

師が現れる前。いくつもの学びを経るなかで、自分に足りないものが見えてきた。人生を何とかしたいと思うのなら、自分が幸せになることを百パーセント受け入れるところから始めなくてはならない。それなのに、頑然とそれを拒否する私がいる。「最大の復讐は、自分が幸せになることだ」という言葉があるが、その真逆を行こうとする私がいる。残念ながら、それに気づいたからといって何ができるわけでもない。説得にかかるとさらに真逆に突っ走り、なだめすかすとつけあがるのだ、その存在は。ほとほと手を焼き、それならそれでしかたないとたぶん私は人生をあきらめたのだろう。そのとき師が現れた。

昨日か一昨日のことだった。過去の一切を忘れることにしたらどうだろう? まだ生乾きの傷も、かさぶたと化した傷跡も、かつて傷つきどす黒く変色した皮膚も、すべてがなかったことにしたらどうだろう? 人は一瞬で自分の意識(波動)を変えられる。一瞬だけ変えるのは簡単だ。誰にでもできるし、誰でもやっている。しかし恒久に変えるとなると話は別だ。誰にでもできるが、意外とやらない。完全に手放すというのは、何か惜しい感じがするのだろう。おそらく私も長いことそうやって、古傷を後生大事に抱えていたのだ。それで何かいいことあった? 人の痛みに寄り添えるようになったかもしれない。それから? それから……。そのためにどこにも行けないのなら、どこかに行くために手放しちゃったら? ……。心がふわっと軽くなった。おもしろいかもしれない……。かすかに心がときめいた。

あれから一日、二日経って。私は宣言する。

私は幸せになる。
幸せになる道を歩くことにする。

2016/8/12  7:06

続報 >kan.さんの半日ワーク  2009-2016

7月9日にアップした記事(↓)の続報です。

kan.さんの1000人規模のワークショップ、満席になったそうです。
スピリチュアル系で1000人規模のワークショップというのは、
なかなかあるものではありません。
すごい、というか、さすが、というか、やっぱり、というか。

引き続きキャンセル待ちを受け付けるようなので、
間に合わなかった方は、諦めずにそちらに登録するのがいいようです。

kan.さんが日々、準備を重ねているように、
私も私なりに日々之精進の毎日。
3歩進んで2歩下がる、くらいならまだしも、
3歩進んで10歩下がってないか!? と思うこともたびたび。
それでも進んでいくしかない。私の人生なのだから。

いつかそういったことも含めてシェアできるといいのだけど、
いったい誰がそんな話、聞きたい?と自分にツッコミが入ることたびたび。

まずは10月15日。
楽しんでその日を迎えられるように、
今日も私を生きていきます。ときに悪戦苦闘しながら。

   *   *   *

来る10月15日(土)に、
kan.さんの半日ワークが千人規模で開催されます。
主催は、船井フォーラム2016。

毎回、秒殺でチケットが売り切れてしまうkan.さんのセミナーですが、
今回は、さすがに行きたい人がほぼもれなく行けるはず。

せっかくの機会なので、見逃してほしくなくて、ご紹介しました。
詳細は、次のURLの頁をご覧ください。

http://funai-forum.com/2016/news/2609/

とりいそぎ!

<2016年7月9日記>

2015/8/25  18:08

彼女の、終わりも始まりもない体験  2009-2016

ロングロングインタビューは、
クライマックスを目前にして、
ぱたりと動きが止まってしまった。

いったい、何が???

というほどのことでもなく、
本という形態にするにあたって、
そこの部分はどうしてもご本人に
書いてもらうしかない箇所(核の部分)があって、
その原稿待ちの状態が、思いの外、長びいているのだ。

たぶん、ご当人にしてもそれは想定外のことだったと思う。
物理次元を超えたものを
物理次元の器に入れて表現しようというのだから、
文字通り雲をつかむような作業が
そこにはあったということだろう。
なにしろ、プロの文筆家ではないわけだし。

年明けには何とかなるのではないか。
3月中にはいくつかを見せてもらえるのではないか。
さすがに7月にはそれなりのものをもらえるのでは?
と、期待を内包したタイムリミットを
うしろにどんどん倒す自体がやってきて、
現段階では、年内にはなんとか……、
となっている。

とりあえず、辛抱強く待つしかない。
そして、ただ待つだけではなく、
私も先へと進んでいかないと。

というわけで、ブログを再々開します。

本当は、別の表現手段を模索していたのだけど、
インプットばかりが多い今日この頃、
アウトプットがないと、相当につらくなってきた。

ここはもう自分の気持ちに正直になって、
別の表現手段の模索は続けつつ、
ブログ記事の更新を続けたいと思う。

      *

春もまだ浅い日のことだった。
一通の封書が届いた。

「お久しぶりです。
話したいことはたくさんありますが、
それほど多くの時間を割いてもらうのは申し訳ないので、
完結に近況をお知らせしますね」

そこには、一時期よく目にした文字で、
軽快な文章が綴られていた。

「私は最近、『終わりもない始まりもない』体験をしました。
それはものすごい体験でした」

明るい語り口ながら、私の心境は複雑だった。
手紙の送り主である彼女は、今幸せなのだろうか? と。

その少し前に、
「終わりもない始まりもない」体験をしたという
女性の手記を読んでいた。
それは非二元の体験書として
わりと古典の部類に入る一冊だったが、
その3分の1くらいが、
「終わりもない始まりもない」体験によって
些末な事柄の数珠つなぎのような日常を送ることが
どれだけ困難になるかが書かれてあった。
(しかも、そこ止まりで完読していないので、
その先があるのかどうかもわからずじまいときた)

その体験とは相当な違いがあるとは思うけど、
私もかつて、とんでもない意識の広がりを体験したとき、
日常生活に戻るのが相当に困難だった。
当時は、そのとんでもない意識の広がりのまま
日常を生きることが覚醒した生き方だという
これまたとんでもない勘違いをしていたので、
意識が広がっては、狭く窮屈な日常に入り込み、
再び意識が広がっては、狭く窮屈な日常に入り込む、
というチャレンジを、それこそ果てしなく続けていた。
そのときは近くに“仲間”がいたので、
なんとかめげずに続けたけれど、
正直、生きている意味がわからなくなった
(まあそれは、今に始まった話ではないけれど)。

だから、手紙を読みながら真っ先に浮かんだのは、
彼女は大丈夫だろうか? ということだった。

私は先の本を引用しながら、
彼女が今幸せかどうかを訪ねる手紙を書いて投函した。
それが到着しただろう頃に、彼女からメールが届いた。

「私は幸せです。
日常生活に大きな変わりはありませんが、
その体験の前とあととでは、
私の中の安心感が大きく違っています」

携帯メールだというのに、相変わらずの長文、
しかも返事を返すと速攻に長文で返信が届くという神業は、
先へ先へと読むこととを促す彼女の
軽快で力強い魅力的な文体とともに、
今もなお健在だった。

そうして、私はしばらくの間、
彼女の体験に耳を澄ます(正確には“目で読む”)という
心ときめく充実した時間を過ごすことになった。
タグ: 宇宙 ワンネス 

2015/4/7  16:13

唯一無二の「個」  2009-2016

今、スピリチュアル界では、
「アドヴァイタ」が主流らしい。

「個としての自分がいなくなった」

そう表現している人達は、
ほとんどの場合、アドヴァイタの世界観を
表現しているといってもいいのではないかと思う。

アドヴァイタを日本語に訳すと、
「非二元」あるいは「不二一元」。
その意味するところは、
「すべては一つであり、
 個々に分離した存在というものはない」
というもの。

その境地に至ったことをもって、
一つの「悟り」「覚醒」としている人達もいる。
ただし、終着点としての「悟り」「覚醒」ではなく、
はじまりとしてのそれになるらしいけれど。

「すべてが一つの意識だという経験は、
 それまでの『エゴ』しか経験していない意識からすれば、
 すばらしいものだと思います。
 『エゴ』同士はぶつかり合いますから、
 そこにいては苦しいばかりですけど、
 「すべては一つ」の意識になると、
 ぶつかることなく楽ですし、
 『エゴ』以外の意識も体験できたわけですから。

 でも、そこをもってして『覚醒』と呼ぶのはどうでしょう。
 だいたいの人が体験する『すべては一つ』は、
 『集合無意識』の世界です。
 『集合無意識』の世界を体験したら、
 そこから『個』の世界に向かわなくてはいけません。

 個の自分というものを極めていくと、
 唯一無二の自分に出会っていきます。
 そうすると人は、『宇宙が自分を用いてくれた』
 という瞬間を体験します。

 宇宙と一つに溶けさる瞬間です。
 と同時に、唯一無二の自分、
 かけがえのない自分をも体験する瞬間です。

 そのとき人は、人としてのポテンシャルを
 本当の意味で発揮できる場所に立ったと
 言えるのではないかと思います。

 かけがえのない自分を体験するとき、
 自分にしかできないことを知るとともに、
 自分にはできないことも同時に知ります。
 そのとき、他の人も、自分と同じように
 唯一無二のかけがえのない存在だということを
 あたりまえのように知ります。

 唯一無二と唯一無二の存在同士が出会う。
 それが本当の意味で『人が人と出会う』
 ということではないでしょうか」

私がこの話を聞いたのは、
今ほどに「アドヴァイタ」の話が
巷にあふれていない頃だった。

だから、話の中に出てくる
「集合無意識を体験しているだけ」というのが
何を指しているのか、今ひとつ不明瞭だった。

でも、それ以上に心に残ったのは、
「かけがえのない自分」を体験できるということだった。
「かけがえのない自分」を生きられるということだった。
その自分で、この地球と関われるということだった。

「『すべては一つ』に溶けさって終わりだったら、
 この地球を体験する必要はないんじゃないですか?
 すべては一つ、ああ気持ちいい、で終わっていたら、
 いろいろな問題が山積みしているこの地球に
 今、存在している意味はないんじゃないですか?」

人が本当の自分に目覚めるというのは、
それほどぶっ飛んだ道程を行くわけではなく、
それほどぶっ飛んだ場所に出るわけでもない。
しかし、本当にそこに出たいのなら、
それなりに本気で人生に取り組んでいく必要がある。

そういうことを、その話で教えてもらった気がする。

そして、そこから確かに、私の足場は変わった。

すぐに変わったわけではなくて、
最初は「足場が変わることが始まった」にすぎないのだけれど。
タグ: 宇宙 ワンネス 

2015/3/20  15:00

ネイティヴ・ジャパニーズ  2009-2016

より多くを持つものが、より多くの力を持つ。

人類の歴史は、この法則に則って
繰り広げられてきたといってもいいかもしれない。
領土を奪い合い、領海を奪い合い、資源を奪い合う。
そうして自分の力を強大なものにする。
他よりも少しでも長く生き延びるために。

今から2000年前の日本でも、
すでにその図式は成り立っていた。

人々は、生き延びるために日々を生きていた。
そこでは、持てる者は、持たざる者よりも、優位に立っていた。
ある意味、今と同じように。

この考え方のベースにあるのは、
物理的資源は、使えば減る、という方程式だ。
そこでは必然的に、持てる者のほうが、より長く生き延びられる。
つまり、それだけ力を持っているということになる。

しかし、本当にそうだろうか?
使えば減るものだけしか、
私達は持っていないのだろうか?
使えば減るものだけでしか、
人の価値ははかれないのだろうか?

そのことについて、考えを巡らせた女性がいた。
2000年前の日本でのことである。

女性は熟考に熟考を重ね、気がついた。
体力や気力やエネルギーといったものも含めた
形あるものは、使えば減っていくけれど、
その代わりに、蓄えられていくものがある。

その目に見えないものは、
人としての資質、徳と表現してもいいかもしれない。
やさしさ、強さ、共感力、たくましさとも
表現できるかもしれない。

目に見えるものは、減っていく一方でも、
目に見えないものは、蓄えられていく。

それに気づいた彼女には、普通の人が気づかない、
目に見えないものを見て取ることができた。
それを声高に吹聴したり、
それによって人を諭したりすることはなかったけれど、
彼女の発する何気ない言葉の端々に、部族の民は、
彼女が見ていたものを窺い知ることができた。

彼女は、ある部族の長だった。

この人は、ちゃんと見てくれている。
この人は、ちゃんとわかってくれている。

それが部族を平和のうちに治めていた。

やがて部族内に、
目に見えないものこそが尊いものだ
という空気が漂うようになっていった。
現代のスピリチュアルブームを
思い起こしてもらえばわかりやすいかもしれない。

その段階になると、彼女には、
目に見えないものと目に見えるものが
同等であることが見えるようになっていた。

目に見えないものが、目に見えるものよりも尊いのではなく、
目に見えないものと、目に見えるものが、
両方あって、ともに対等であることが、
同時に見えるようになっていたのである。

物理次元があって、非物理次元があり、それが地球。

彼女には、その「ありのまま」が見えるようになっていた。

あるとき、日本全土を制圧しようと、
ある勢力が、彼女の部族に攻め込んできた。
部族が生き延びるためには、
降伏するか、攻防するかの
二者択一が残されているにすぎない。

しかし彼女には、
AかBかの二元の選択ではなく、
AとBからシフトした先へと出ることができた。

(A)降伏するのでもなく、
(B)攻防の策に出るのでもなく、
攻め込んできた勢力も、自分の部族の民も、
全員が満面の笑みで交流し、平和のうちに
もとのさやにおさめることができたのだ。

それは、彼女がその境地に至っていたから。
そして、それが彼女個人の境地に留まることなく、
部族の民全員が、同じ境地に至ることができたから。

それを「共振」と呼んでもいいだろう。
その共振が、敵陣営にも伝播した。

これは、口伝伝承として残る史実だという。

その女性の名は、「日本書紀」にも納められているが、
しかしそこでは、女性の部族は
制圧されたことになっているという。

歴史というのは、そういうふうに作られているものらしい。

彼女のDNAは私達一人ひとりの中に受け継がれている。
本当の平和を求めるなら、私達一人ひとりが、
自分の中に、その女性を見つけるしかない。

自分の内に、神を見つけ、
ホーリースピリットを見つけ、
ありのままを見れるようになるのと同様(同等)に。

      *

先日参加した「ネイティヴ・ジャパニーズ」の
第2回セミナーの「お話」の部分の骨子をまとめてみました。
タグ: 宇宙 ワンネス 

2015/3/9  18:27

やるべきことを淡々と  2009-2016

仕事がらみにしろ、仕事がらみでないにしろ、
セミナー最優先の生活を手放してから、少し経つ。
だから、そのセミナーへの参加を打診されたときも、
すでに入っていた予定をキャンセルすることは頭になかった。

それは2日間のセミナーだった。
シリーズものの一貫として開催され、
今回で7回目を迎えるという。

「内容が深みを増してきたのと、
 参加された方々の反響がいいので、
 もし書籍化できるのならしたいと思うのだけど、
 それが可能化どうか、意見を聞かせてもらえないかしら?
 もちろん、satocooさんが、
 セミナーのテーマに興味があれば、の前提だけれど」

かいつまんでいえば、そういう話。
考えるより先に、「Yes!」という声が私の中で響いていた。

「ぜひ参加させていただきたいと思いますが、
 残念ながら初日はすでに予定が入っているんです。
 2日目だけの参加でも大丈夫ですか?」

そういう参加のしかたを嫌う主催者も多いが、
その方はあっさりと言った。

「もちろん、構いません。では当日、
 会場でお会いできるのを楽しみにしていますね」

「はい。よろしくお願いします」

電話を切ってから気がついた。
もしかして、途中からなら初日も参加可能かも?
ネットで調べてみると、用事を済ませたあとに駆けつけても、
十分にセミナーを堪能できることがわかった。

その旨をメールで伝えると、
その参加のしかたもOKだという。

いつからだろう?
セミナーというものに、
大きな期待を抱かなくなったのは。
それは少し寂しいことかもしれないけれど、
そのほうが健全だと今は思っている。
そして、セミナ―当日のその日も
そんな感じで会場に向かった。

こっそりと部屋に入って、
空いている席に座ったとたん、強烈な睡魔が襲ってきた。
目がチカチカして、開けていられない。
でも、目をつぶってしまうと、
とたんに意識が別の時空に入って、
セミナーどころではなくなってしまう。

なんなんだ、この時空。

ほどなくして、誘導瞑想が始まった。
声が聞こえていたのは冒頭だけで、
あとはばっさり意識がなくなり、
何がテーマの瞑想だったかも
まるで思い出せない迷子状態に。

なんてこった……。

ようやく睡魔から解放されたのは、
グループワークに入ったときだった。

2日目はもう少しましだったけど、
私が「睡魔」と称したそれを、
「泥酔状態」と表現した参加者もいた。

「初めての領域をテーマにするときは、
 みなさん必ず、そういう体験をされるんですよ」

睡魔体験をシェアすると、
主催者はそんなふうに答えてくれた。

2日間のセミナーは興味深いものだった。
テーマそのものは、わりにオーソドックスなものだったが、
そこで繰り広げられている時空は、
他では体験できないものがあった。

実際、私はすっかり忘れ切っていた
ある意識を思い出すことができた。
それは思いのほか、今、私に力を与えてくれている。

そういったものが、
主催者の真摯な探究心によるものは明確だった。

今回のセミナーは、シリーズもので7回目だと最初に書いたが、
ここに至るまでにすでに12年の月日が過ぎているという。
なぜか――。主催者が実際にそのテーマを生き、
それをクリアしてはじめてセミナー開催に至る
という方式をとっているからだ。

セミナーありきではなく、人生ありき。

これを書籍化できるだろうか?

字面を追っただけの書籍化では、
セミナー会場で繰り広げられているリアルな恩恵を
読者にもたらすことはできない。
このいくつもの層からなる時空を、
紙面という2次元に、どう降ろせばいいのだろう?

なんだか途方もないものを相手にしているような気になる。

でも、主催者は、明確にビジョンを持っていた。
これが書籍になれば、多くの人に恩恵をもたらすことができる。
その波及のしかたは、セミナーの非ではないだろう。
だから、セミナー会場で繰り広げられていることが
そのまま本で実現できるようにしたいのだと。

主催者にとって師である一人は、
25年以上の月日をかけて、
いまだにあるワークの書籍化を試みているという。
そのことも、主催者に力を与えていた。

時間のあるこの領域で、
時間を超えた探求を真摯に続けている人達がいる。

書籍化の話が今後どういう形で進んでいくかは、
現時点ではわからないけれど、
そのセミナーをきっかけに、私の中で、
より精妙な領域への探求心に火をつけたのは確か。

以前、関心をもったことがあるけれど、
実際に着手してみると、現実とかけ離れすぎていて、
それ以上、探求する気になれなかった領域だ。

時期というのは、確かにあるようだ。

そして、それが私のメインテーマではないこともわかっている。

でも、そこを活性化することで、
点と点とがつながり、切れ切れの支流が、
一本の本流へとつながっているのを、
深いところで感知するような感覚が芽生えている。

淡々と、やるべきことをやっていく。
それがいつか、見えなかった扉を見せてくれるだろう。
タグ: 宇宙 ワンネス 

2015/2/20  15:35

新しい波  2009-2016

ランチをしながら、
ちょっとした作戦会議を開く機会があった。
作戦会議といっても2人きり。
しかも策士とはほど遠い2人だから、
すぐに結果を出すみたいな話にはならないだろう、
そう思っていたら、彼女の口から
一人の人物の名前があがった。

映像関係の仕事をしている人物で、
今、注目株らしいという。
変わった名字なので、
目にしていれば記憶に残るはずだけれど、
私はまったくのノーマークだった。
その人物と引き合わせてくれるという人が、
彼女の周りに現れたというのだ。

それが私たちの目論みと
どうつながるかはわからないけれど、
なんだか楽しそうな話に聞こえた。

「いいんじゃないですか?
 その話、進めてみましょうよ」

ネットでその人物の公式HPを見るが、
どういう人なのかが今ひとつよくわからない。
「どうしたもんだかなあ……」と思いながら、
届いて間もなくの「スターピープル」最新号を開くと、
なんと、その人物の名前があった。

個人インタビューから、対談から、
果ては、その人物が考案したという
おまけまでついている。

対談を読んで驚いた。
どこかから借りてきた言葉ではなく、
その人の体験から出てきたことがわかる
リアルな言葉ですべてが語られていた。

こんな話し方をするこの人って、誰?

彼は、俳優業、声優業に携わるかたわら、
監督としてもデビューし、
何作目かになる作品「祈り」は、
海外で賞も獲得しているという。
しかも、その内容は、タイトル通り、
スピリチュアルのど真ん中をいくような作品だ。

しかし、私が最も興味を魅かれたのは、
彼が数年前に脳腫瘍を発症し、
それを自分の意識を変容させることによって
消滅させたという事実だった。

「闘病中の1年間は自分の意識と向き合っていたんです。
 自分の過去に抱いたものを全部受け入れて肯定し、
 ゆるすことを続けたんですね。―中略―
 それを続けたところ、
 出なかった声が出始めるんですよ。
 そのうち肩の筋肉も動くようになって、
 最終的には腫瘍が消えました。
 意識が現実を作っているんだと、
 はっきり自覚しましたね」
(「スターピープル」vol.54)

その闘病中の出来事を記した本がある。
『ギフト――天からの贈り物』

今すぐにこの本を読みたいと思った。
久しぶりの衝動だった。
でも、どの書店を調べても、
取り寄せしか術がない。
だったら、と、その本はネットで注文して、
彼が実践したというホ・オポノポノの本から
読んでみることにした。
私はいまだその本を手にしたことがなかったし、
もちろん、実践したことすらなかったから。

そうして、『ギフト』が届く前の段階で、
ホ・オポノポノの日々を過ごしはじめた。

コンセプトは、以前、どっぷりはまった
イメージワークに似ているかもしれない。
でも、大きく違うのは、
4つの言葉を口にすることで、
丹田に確かな存在を感じられること。

そんなささやかな驚きや発見の日々を
過ごしているうちに、『ギフト』が届いた。
思っていた以上に、彼が、次から次へと
スピリチュアルの手法を試していくさまは、
現実逃避が目的の「スピリチュアルおたく」と
重なる部分があったけれど、
大きく異なっていたのは、
彼が現実世界へ戻るために、
スピリチュアルな手法を試していった点だった。

彼は、病気になった自分の
ストーリーを書き換えたのだと思う。
すべての体験を、今後の創作活動に活かすことを踏まえて。
(『ギフト』には、その経緯が読み取れる)

そして、意識が現実を作っているという知識を、
自らの体験で一つひとつ確認することで、
その因果関係を反転させ(=正常な形に戻し)、
意識を「主」に、現実を「従」として
生きるところに出た。

彼のような経験をした人は、
世の中にたくさんいると思う。
その中で、彼という存在が特異なのは、
自らの体験を踏まえた「スピリチュアル」を、
メジャーな作品として世に出せることだと思う。

新しい幕が上がったのかもしれない。

私は彼から「希望」をもらった。
こんなふうに誰かから
希望をもらうなんて、思わなかった。

彼の名は、白鳥哲さん。

いつか彼の映像作品を目にする機会があるだろう。
その日を楽しみにしたい。

私は私のやるべきことを、
日々こつこつと積み重ねながら。
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2015/2/4  16:35

日本人であるということ  2009-2016

心痛む一連の出来事がまったく想定外だった、
今からそう遠くない時期に出た話。

「日本人というのは、不思議な民族ですよ。
 原爆で、あれほど悲惨な経験をしたら、
 普通なら、目には目を、核には核を、
 と、報復のほうにいきそうなところを、
 日本人は、この地上から
 核をなくそうという方向にいくのですから」

ごく一般的な市民感情として、
そういうものが生まれ、
そういう活動が生まれるというのは、
世界を例にとると、
それほどスタンダードな発想ではないらしい。

今回、こういう事態になって、
フリーで動くジャーナリストたちを中心に、
「憎悪を増幅させることは、本意ではない、
 本当の意味で、世界に平和をもたらしていこう」
というメッセージが発信され、
それに同意する人達がたくさんいたことに、
心救われる思いだった。

また、ヨルダンの人々が抱く心情が、
日本人と近いように思えたことにも安堵を覚えた。

争いを好まず、平和を望む。
個を主張するよりも、協調を選ぶ。

それは日本人の特徴と呼べるものだが、
前者はともかく、後者については、
欧米主義が社会にまん延するにつれ、
あまりよきこととは言われなくなった感がある。

思いは口にしなければ、伝わらない。
自分の主張を通さなければ、願う現実は手に入らない。

でも、今、思う。

思いは、口にしなくても伝わる。
主張を通すことだけが、現実を創造するツールではない。
何もかもを口にする必要はない。

緊迫した状況が続くなか、ネットでは、
「村上さんのところ」というサイトが開設されていた。
そこに行けば、毎日、村上春樹さんの
日常会話的な文章が更新されていた。
(質問の受付は終了しましたが、
 現在もサイトは期間限定で開設中)

安定した語り口に、
大きなやさしさと見識を見て取ることができた。
それに、どれほど救われたことだろう。

まだ師走の声を聞く前に、
2015年の展望というタイトルで
インタビューする機会があった。

「『受け入れる』ということが、一つのテーマになります。
 世界および自分に起こってくることに対して、
 あまり意味付けをせずに、
 それは起こるから起こるのだと、
 素直に受け入れて、淡々といくことが、
 大きな流れになるでしょう」

まさに年明けからそのとおりになるとは思わなかった。

すべてを受け入れて、
心の井戸を深く大きなものにしていきたい。
それが魂の深さにつながっていくと思うから。
それが、未来を開くことにつながっていくと思うから。
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