たまにはまじめなことでも書こうかなぁと・・・。
いやぁ、今高校生が高校生を殺しちゃった事件なんてのが
世の中では騒がれているみたいですが、まぁ例のごとく
心理学者やら、精神科医やらがこぞって事件の動機や背後関係なんぞを
詮索しているみたいですが、久しぶりにわかりやすい事件がおきたためか
どの学者さんたちも大筋一緒のことを言っておられます。
しかも、ここ最近の事件の中では割とはっきりとした
動機があるみたいなのでそれも当然のことだと思います。
まだ、少年の素行や殺されたほうの女の子の実態も
明らかになっていないし、ましてや少年法とやらで守られている「少年」
については、せいぜいワイドショーのご近所インタビュー程度の情報でしか実態を知ることはできないでしょう。
しかし、私に言わせればそんなことは、何の意味もないとは言いませんが、大して重要視する必要性はないと思います。このような事件が多発しているにもかかわらず、「動機」というものばかりに焦点が当てられ、その後の
「動機の手当て」の部分の議論と言うものが全くないような気がします。
これは、神戸の事件から、さらにさかのぼったところの話ですがみんなで、
「動機」について意味なく騒ぐだけ騒いで、時間がたったたら忘れてしまう。
いわゆるある学者さんがおっしゃっている「お祭り体質」と言うものがこのようなところでも発揮されているみたいです。まぁ、これはいろんな場面で言えることなのですが・・・。
私に言わせれば、どの事件も背後に潜んでいるものは、動機がわかりやすい事件もわかりにくい事件も一緒だと思うのです。それが何かと言うのは、端的に言えば「決まりきった未来」と言うことだと考えます。もっと言えば、「未来」と言うものが個人個人のものになり全体で共有するものではなくなったと言うことですね。具体的には世の中は、自分ひとりがどーなったって変わるもんじゃないと思ったり、そもそも「未来」なんてものはないと思う人がいるということです。
でもそのことについて否定することは、難しいと私は考えます。確かに以上のようなことは日本だけではなく世界中のいわゆる先進国と呼ばれる国々の中でもそう思ってる人はけっして少なくないからです。だから、日本特有のものだとは考えません。
それでは、どのような解決策があるか?という問題ですが、
「いろんな生き方があるんだよ!」
と教えてあげることに尽きると思います。今の現状を見ていると
「いろんな生き方をしている人がいるんだなぁ。」
と思う瞬間と言うのが少ない気がします。現に今だったらまるで
「ニート」&「フリーター」or「まじめに働いているサラリーマン」
みたいに二者択一のような状況になってしまってるような気がします。
日本人ていうのはなんでこうなんでしょうかねぇ。もっといろんな人が
いていいと思うのですが・・・。というか、いろんな人がいるにもかかわらず
そこに焦点が行かないと言うのがほんとのところでしょう。
そういうことを示していけば、自分に対していろんな可能性を与えるチャンスが増えると考えられませんかねぇ?これがすべてのことに対して万能な処方箋とは思いませんが・・・。
今日はこの辺で終わり。
つまらぬことをUPしてしまったと後悔するあたいでした。
あと、コメント欄使っていいっすよ。こへさん!!!(みなさまも!!!)
そろそろ、双方向のデジタルにでも生まれ変わろうと思いますわ!!!
別にかけってわけじゃないですからね。気にしないように!!!

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