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2007/1/7
「Kim Jung Mi のこと (1)」
oto
Kim Jing Mi
60年代後半から70年代前半にかけての韓国のロック文化は世界水準だった。現代よりむしろ当時のほうが容易に西欧のアルバムを入手し聴くことができた。光化門一帯には100店舗あまりのレコード屋が乱立し、各店のショーケースには大きな百科事典が並んでいた。レコードの原盤をその中に隠しておいたのである。これらのレコードはPX(Post Exchange = アメリカ軍基地の売店)から流出したもので、ほぼリアルタイムで最新の西欧音楽が次々と入ってきた。このような状況を韓国政府は見て見ぬふりをして放置していた。このような音楽が聴きやすい環境をベースに、セゾン文化会館では先鋭的なロックバンドコンテストが次から次へと開催された。しかし、このようなロックルネサンスは、70年代中盤の「歌謡規制処置」「マリファナ波紋」で幕を閉じる。これを期に、韓国音楽は徐々に暗黒期に入ってゆく。
Shin Jung-Hyun
シン・ジュンヒョンは「韓国ロックの父」である。音楽活動を始めた1955年当時は朝鮮戦争直後でミュージシャンが殆どいなかったということもあり、1957年には韓国の米軍基地で演奏する機会に恵まれた。そのサイケデリックなギタープレイは米軍兵士を熱狂させ、いくつかのレコード会社からレコード製作の話をもちかけられた。1962年にバンド「Add4」を結成し、これは韓国初のロックバンドとなる。バンドのファーストアルバムのための曲を書き始めるが、西欧のポップやロックをそのまま受け入れずに韓国的な風土でどのように消化しようかということで非常に悩んだという。その後、パール・シスターズ、キム・チュジャ、キム・ジョンミ、パクリン・ス、イム・アヨン、ジャン・ヘヨンといった歌手達をサポートしてデビューさせ、ヒット曲を連発するようになり、彼は韓国歌謡シーンの中で絶大な力を持つようになってゆく。
「タバコはチョンジャ、歌はチュジャ」 − 70年代初頭にこういう流行語があった。当時のテレビショーでは「不世出のダンシングスター」「韓国最高の律動歌手」と先を争って紹介していたが、これらは歌手キム・チュジャの人気を端的にあらわす言葉だった。当時、小学校にもまだ入っていないような幼女までがお尻を揺らしながら、キム・チュジャの歌を一生懸命に口ずさんでいた。あらゆる歌手たちが愛国歌を歌うかのように厳粛な姿勢で歌っていた時期、波のように激烈にからだを揺さぶりながら艶やかに歌うキム・チュジャの登場は衝撃的な事件であった。
Kim Choo Ja
パール・シスターズとキム・チュジャの成功後、ソウル明洞にあったシン・ジュンヒョンの事務所には続々と歌手志望者達がオーディションを受けに集まってきた。その中の一人に、当時高校3年生だったキム・ジョンミもいた。ソウルジョンシン女子高在学中の彼女は、韓国古典舞踊とモダンバレエを学んで律動の基本を身につけ、アレサ・フランクリンとエルビス・プレスリー、キム・チュジャ、そして何と言ってもジェファーソン・エアプレインのファンであり、当時流行していたフォークよりもロックを好んで歌っていた。また、凉しい目鼻立ちと164cmの凛とした背とグラマーな体つきは常に周囲の視線を一身に受けた。野性的で魅惑的な浅黒い肌の持ち主である彼女を友人達は「インディアン酋長の娘」と呼んで慕っていた。キム・ジョンミの才能を惜しんだ友人達はある日「歌手作り作戦」を立てて作曲家シン・ジュンヒョンに連絡し、事前にオーディションを受けるアポイントメントを取っておいた。友人達についていったキム・ジョンミはシン・ジュンヒョンのお眼鏡に叶い、その後1年6ヶ月に渡って歌の指導を徹底的に受けることとなる。シン・ジュンヒョンはキム・ジョンミにこう言った。
「お前はパールやキム・チュジャには追い付くことができないから、新しいことをやろう」
(2に続く)
2
投稿者: seki
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投稿者:seki
2007/1/8 22:30
あるいは中川家の兄。
投稿者:shibuya
2007/1/8 20:12
シン・ジュンヒョンって小田和正みたいだな。
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