2007/6/3
「洞口依子−「書くこと」のはじまりにむけて」
手紙
心待ちにしていた彼女からの手紙が届いた。
手紙というのは、1冊の本。『子宮会議』。書き手は洞口依子。
もちろん、彼女はわたしのことを知らない。
わたしも彼女のことはよく知らない、ただ、彼女の出演作を見たり、
WEB上で時折彼女の様子を垣間見たりするくらいの遠い存在。
金曜日の夕暮れ。職場を出て最寄の本屋へかけつける。
目的の本は今日が発売日、それはタレント本コーナーの一角に平積みされていた。
すでにもうだれか数人の人が買っていったのか、2冊しか残っておらず
その場所だけが本の山に囲まれて谷のようになっていた。
この本を買うとき、正直、少し勇気が必要だった。
真っ白な地に赤字で表題と著者名だけのシンプルな装丁
それは病院の白と血の赤を思い起こさせる。
帯に並ぶ癌や子宮や卵巣という言葉。
唯一、彼女の微笑む美しい写真が救いとなっていた。

これまでのことが思い返される。
2003年『ユリイカ』7月号の黒澤清特集号でのインタビュー記事で
語り手としての彼女の魅力に出会い、
2004年11月、新聞でのコラムの闘病記ではじめて彼女の病気のことを知り、
2005年8月、再び新聞のコラム「未来を生きる自分に会うために」で、
術後報告とともに未来の自分に対して再生を誓う彼女に再び出会うとともに、
書き手としての彼女の魅力を再確認したのだった。
そして去年4月に彼女がWEBで手記を書き始めてからの1年、
日々、書き継がれるものの表現力の豊かさや音楽などへの造詣の深さに驚きながら
映画『マクガフィン』の公開やウクレレ・ユニット『パイティティ』での活動など
彼女の外部に向けての表現活動が広がりつつあることが、一読者としてただ嬉しかったし、
彼女の幸を祈り、心の中で祝福を送るばかりだった。
そして出版されたこの一冊の本を、彼女からの貴重な手紙として手に取っている。
本人は「座ったり寝そべったり思い思いの格好で楽しんでよんでください」
と書いていらっしゃるけれど、これは、こころして読まれねばなるまい。
生やさしい内容ではないことはわかっているし、実際読み始めたら3時間弱、
ぐいぐい引っ張られて、最後の頁がくるまで読み手を放しはしない。
読み終えてしばし呆然とする。これは、そんな本だ
この一編を通して、生身の彼女の苦痛や絶望、そして喜びや希望が伝わってくる。
この際立つ生身感が、シリアスな内容とともにひしひしとこちらに伝わってくる。
それでいて、文章は読み手を決して突き放さない。
どこか読み手を包んでくれるようなところがある。
それは、胎内感覚とでもよぶべきものだろうか。
くぐもった鼓動の向こうに強い生命をかんじさせるような、
そんな世界を感じさせられることで読み手は救われる。
第一章は、発症から手術までが、彼女と彼女の中の「おんなのこ」との対話形式で進められる。
第二章では、「おんなのこ」によって彼女の「生い立ち」が語られる。
そして、第三章、「おんなのこ」はもういない。彼女自身によって現在までのことが語られる。
それは等身大の彼女による自身の再生、自己救済の記録である。
「おんなのこ」は「アタシ」となり、病や心の闇、世の性などをわがものとして、
個として立っている。
その凛々しさにわたしは心動かされる。
彼女は、多くの人々との縁や自身の努力によってようやくここまでたどり着いた。
そんな様々な出来事のなかでも、彼女にとって「書くこと」が大きな意味を持っていた。
わたしが彼女のWEB上の手記で嬉しかったのが、
「のら猫万華鏡記」の2006年4月29日の手記と今年の1月5日の手記である。
そこには、彼女の「書くこと」への明確な意思が表明されていた。
それは、これからも彼女が「書いたもの」を読みたいと思う一人の読み手にとって
嬉しい手記だった。そして、今ここに真新しい一冊の本も手にすることができた。
洞口依子さん。これからもお元気でいらしてください。
そして「書くこと」も含めて、これからもよりいっそう
あなたの数々の表現が私たちのもとに届きますよう。
わたしも、ここで書くことによって、あなたへの祝福と新しい作品へのリスペクトを表明しつつ、
ささやかながらあなたとつながりたいと思います。
「書くこと」のはじまりと連帯に向けて。
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